『未来予知、容疑者一名』*

志乃原七海

第1話『我が家のヘッドライン』



### **『我が家のヘッドライン』 第一話**


**1.**


高槻家の土曜の夜は、いつも決まってすき焼きだった。

安売りの牛肉が醤油と砂糖の匂いを立て、しらたきが煮汁を吸って膨らんでいく。そんなありふれた光景が広がるリビングで、テレビだけがやけに饒舌に、どうでもいい芸能人の不倫ニュースを垂れ流していた。


「祐樹、あんた肉ばっかり食べないの」

母・聡子の小言を右から左へ受け流しながら、俺、高槻祐樹は熱々の牛肉を白米の丼に叩きつけた。子供の頃、目の前で起きた交通事故で何もできなかった無力感を、時々こうして肉をかき込むことで誤魔化す癖がある。


向かいでは、大学生の妹・美咲がスマホをいじりながら、心ここにあらずといった様子で箸を動かしている。一家の主である父・和也は、缶ビールのプルタブを小気味よい音で開けた。

これが、俺の家族。どこにでもある、平凡で、退屈で、そして平和な家族。

そのはずだった。昨日の夜までは。


『――続いてのニュースです。本日午前8時14分ごろ、JR山手線、田端駅構内で大規模な漏電事故が発生。ホームにいた乗客らが次々と感電し――』


テレビから流れてきたアナウンサーの冷静な声に、俺と美咲は同時に箸を止めた。

顔を見合わせる。互いの目に浮かんでいたのは、恐怖と、ありえないという困惑。


「……きのうの、あれ」

美咲が震える声で呟いた。

父が、怪訝な顔で俺たちを見る。

「どうした、二人して。幽霊でも見たみたいな顔して」

「いや……だって、父さん」


俺は言葉を詰まらせた。言えるはずがない。

昨日の深夜、俺と美咲がこのリビングで目撃した、あの悪夢のようなニュース速報のことを。


**2.**


それは金曜の深夜、日付が変わる少し前のことだった。

俺はソファで惰性でバラエティ番組を見ていて、美咲はテーブルでレポート課題に取り組んでいた。父と母は、とうに寝室に引っ込んでいる。


突然、画面がブラックアウトした。放送事故かと思った瞬間、リビングの空気が軋むような、不快なチャイム音が鳴り響いた。既存のどの放送局のものとも違う、わずかに音程がずれた不協和音。

画面中央に、血のような赤色のテロップが浮かび上がる。


『ニュース速報:明日午前8時14分 JR田端駅で大規模漏電事故 死傷者多数』


アナウンサーの声が聞こえた。だが、それは人間の声ではなかった。感情の起伏が一切ない、機械が合成したような平坦な音声。その声の奥で、「ザー」というホワイトノイズが小さく混じっている。

テロップはわずか3秒ほどで掻き消え、画面は一瞬、砂嵐に覆われた。その砂嵐の中に、ほんの一瞬、0.5秒にも満たない時間、今俺たちがいるこのリビングの天井の隅が映り込んだ気がした。

次の瞬間、何事もなかったかのように、お笑い芸人のけたたましい笑い声がリビングに戻ってきた。


「……今の、見た?」

背後から聞こえた声に振り返ると、美咲がPCの画面から顔を上げ、蒼白な顔でこちらを見ていた。

「お前も?」

「うん……『明日』って書いてなかった? それに、なんか声が変じゃなかった?」

俺たちは顔を見合わせた。集団幻覚? それにしては妙にリアルで、気味が悪かった。ネットの掲示板やSNSを検索してみても、そんな奇妙な速報を見たという書き込みはどこにもない。

「疲れてんのかな、俺たち」

「たぶんね」

そう言って無理やり笑い合い、俺たちはその不可解な出来事を、深夜の悪夢として処理することに決めた。


**3.**


だが、それは悪夢ではなかった。

土曜の朝、テレビが報じたのは、昨夜俺たちが見た「未来のニュース」が、寸分違わぬ現実になったという事実だった。時刻も、場所も、事故の内容も、すべてが一致していた。


すき焼き鍋を囲むリビングの空気は、急激に冷えていく。

俺は意を決して、昨夜の出来事を父と母に話した。美咲も、こわばった顔で頷いている。


「……というわけなんだ。信じられないかもしれないけど、俺たちは昨日の夜、この事故が起きることを知ってたんだ」

父・和也は、眉間に深い皺を刻み、腕を組んだ。

「祐樹、その時刻にお前は田端駅にいたのか? 違うだろ。ネットで事故を知ってから、お前たちが『そういえば昨日そんな夢を見た』と思い込んでるだけだ。人間の記憶なんて曖昧なもんなんだよ」

「夢じゃない! 二人ではっきり見たんだ! 音も変だったし!」

俺が声を荒げると、母・聡子が「まあまあ」と間に入った。

「お父さんの言う通りよ。きっと見間違いだわ。ね? そんな怖いこと、うちのテレビで起きるわけないじゃない」

母は、そう言って無理に微笑んだ。その目は、明らかに俺たちを心配しているというより、厄介事から目をそらそうとしているように見えた。

「私も見たんだけど……でも、お父さんの言うことも、分かる気もする……」

美咲が俯きながら呟く。兄と両親の間で、彼女も混乱しているのが見て取れた。

結局、話し合いは「集団的な記憶の錯誤」という形で強制的に終了させられた。リビングには、気まずい沈黙だけが残った。


**4.**


その夜、家族が寝静まったリビングで、俺と美咲は再び顔を突き合わせていた。

「信じてくれないね」

「まあ、当然だろ。俺だって、一人で見てたら自分の頭を疑う」

諦めにも似た空気が流れる。だが、もし、あれが本物だとしたら? もし、また「未来」が見えたとしたら?


その瞬間だった。

カチリ、と何かのスイッチが入るように、ついていたはずのテレビ画面が、再びブラックアウトした。

心臓が跳ね上がる。きた。

俺と美咲は息を飲んで画面を凝視した。鳴り響く、あの不快なチャイム音。浮かび上がる、赤いテロップ。


『ニュース速報:明後日月曜 午後3時20分ごろ 〇〇市さくらショッピングモール3階 書店付近で火災発生』


機械音声のアナウンスと共に、映像が差し込まれる。スマホで撮影されたような荒い画質で、黒煙が立ち上る店内と、逃げ惑う人々の姿が見える。阿鼻叫喚の地獄絵図。それはほんの数秒で消え、再び深夜の通販番組へと切り替わった。


「……見た?」

「……見た」

全身から汗が噴き出す。間違いなく、あれは現実だ。このテレビは、未来を映し出す。

どうする?

見て見ぬふりをするか?

脳裏に、子供の頃の光景が蘇る。目の前で車にはねられた猫。何もできず、ただ立ち尽くすことしかできなかった幼い自分。あの時の無力感が、胃の底からせり上がってくる。


「警察に、電話しよう」

美咲が「やめたほうがいいよ!」と悲鳴のような声を上げる。

「信じてもらえるわけない! いたずら電話だと思われるだけだよ!」

「でも、何もしないで人が死ぬのを見てるなんてできない!」

「じゃあ、どうするの!? あのモール、私も友達とよく行くんだよ! でも、私たちに何ができるっていうのよ!」

妹の言葉が、逆に俺の決意を固めさせた。他人事じゃない。


俺は拳を強く握りしめた。

「俺が行く」

「は……?」

「月曜、会社を休んで、そのショッピングモールに行く。そして、火事が起きる前に、何とかする」

無謀だとはわかっていた。だが、知ってしまった以上、何もしないという選択肢は、俺の中にはなかった。

それは、これから始まる長い悪夢の、そして、俺たち家族の戦いの、ほんの入り口に過ぎないことを、この時の俺はまだ、知る由もなかった。


(第一話 了)

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