クラス全員で異世界転移したら、俺だけステータスが「殺人鬼」だった

てててんぐ

第1話 日常の終わり

 四月の昼下がり。

 窓から差し込む陽射しが黒板を白く照らし、教師の声が単調に響いていた。

 春とはいえ空気は少しずつ温み、眠気を誘う。篠崎(しのざき)蓮(れん)は、後ろから二番目の窓際の席で、頬杖をつきながら景色を眺めていた。

 開いた教科書はただの飾り。頭に入るのは、緩やかに流れる午後の空気と、窓の外に揺れる桜の花びらだけだった。


「おい蓮、寝てんのか?」


 前の席から、小声が飛んできた。

 振り返ったのは佐久間(さくま)隼人(はやと)。サッカー部のエースで、明るく快活、誰からも好かれるクラスの中心人物だ。


「別に」


 曖昧に肩をすくめて返す。

 佐久間はにっと笑い、また黒板に視線を戻した。

 この距離感が心地よかった。俺は特に人気者ではないし、かといって孤立もしていない。クラスにいても空気のような存在。だがそれで十分だった。


 教室の前方からは、女子の明るい声が聞こえてきた。水瀬(みなせ)美優(みゆ)。成績優秀で運動神経もよく、笑顔を絶やさない。誰からも好かれる、いわゆるヒロイン的存在だ。周囲にはいつも友人が集まり、彼女を中心に輪ができている。

 同じ教室にいながら、俺とは別世界の住人。

 その事実を意識するたびに、胸の奥がひやりと冷える。


 窓の外では、校庭を走る運動部の掛け声。

 黒板には、教師が淡々と板書する公式。

 ――退屈で、平凡で、つまらない日常。

 けれど、この単調さが永遠に続くのだと思っていた。


 あの瞬間が訪れるまでは。



 最初に感じたのは、揺れだった。


 机が小刻みに震え、窓ガラスがかたかたと音を立てる。

 生徒たちがざわめき、誰かが「地震!?」と叫んだ。

 だが、違う。地面の震えではない。空気そのものが、ぐにゃりと歪んでいる。


「な、なに……?」


 誰かの声が掠れる。


 次の瞬間、視界を覆い尽くすほどの光が弾けた。

 目を閉じても焼き付くような強烈な輝き。

 鼓膜を突き破るような轟音。


 体が宙に放り出される感覚に、息が詰まる。

 浮遊。重力の消失。心臓が喉に張り付く。


 隣の席の女子が悲鳴を上げ、後方の男子が「ふざけんな!」と怒鳴る。

 だが、その声すら光に呑み込まれ、消えた。


 そして――。



 気づけば、俺たちは見知らぬ場所に立っていた。


 広大な石造りの大広間。

 高くそびえる天井には金の装飾が施され、巨大なシャンデリアが煌めいている。

 赤い絨毯が一直線に延び、その先には玉座。


 そこに座るのは、豪奢な衣をまとった初老の男だった。

 白い髭をたくわえ、鋭い眼光で俺たちを見下ろしている。


「……え?」


 言葉を失う。俺だけじゃない。クラス全員が呆然と立ち尽くし、口々に困惑の声を洩らしていた。


「ここ……どこ……?」

「映画のセット?」

「ドッキリ?」


 ざわめきが広がる。だが、笑い声はない。


 やがて、玉座の男が重々しい声を放った。


「よくぞ参った、異界よりの勇士たちよ」


 その声は石壁に反響し、教室で聞いたことのないほどの威圧感を帯びていた。


「我らが王国は今、滅亡の危機に瀕している。魔王の軍勢が迫り、人々は恐怖と絶望に苛まれておる。ゆえに――汝らを召喚した」


 勇士。魔王。召喚。

 冗談めいた響きのはずの単語が、この場では異様なほど現実味を帯びていた。


「なにそれ……ゲームの話?」


 誰かが震える声で呟いた。


 けれど、俺の心臓は不穏に高鳴っていた。

 これは夢じゃない。

 もう戻れない。


 日常は、あの光で終わったのだ。



 玉座の横に立つ神官風の男が、一歩前に進み出る。

 長い白衣をまとい、手には光る杖。

 年齢は三十代ほどだろうか。整った顔立ちに笑みを浮かべているが、その目には奇妙な熱が宿っていた。


「皆様、落ち着きください。我が神の導きにより、あなた方の魂はこの世界に呼ばれました」


 神官は穏やかに言葉を続けた。


「皆様には、それぞれにふさわしい役割――ジョブが与えられます。それは天命であり、使命であります」


 教室中がざわめく。

 役割? ジョブ?


 佐久間が小声で呟く。

「RPGかよ……」


 だが、誰も笑わなかった。

 神官は厳かに杖を掲げ、淡い光を生み出す。


「今より、順にジョブを鑑定いたします」


 大広間に張り詰めた沈黙。

 生徒たちが緊張に息を呑む。


「まずは……そこの君から」


 神官が指したのは、クラスの学級委員長だった。

 優等生タイプの彼が恐る恐る前へ進む。

 杖の光が彼を包み、神官の声が高らかに響いた。


「――ジョブは勇者!」


 その瞬間、クラスがざわめきに包まれた。

「勇者!?」「マジかよ!」


 委員長は目を丸くしていたが、すぐに誇らしげな笑みを浮かべた。

 周囲の生徒たちも興奮気味に騒ぐ。


 次に呼ばれた女子は「聖女」。

 別の男子は「剣士」。

 さらに「魔導士」「弓使い」と、次々に華やかな職業が告げられていく。


 興奮と羨望が交錯し、空気が熱を帯びていく。


 だが俺の胸の奥には、冷たい予感が広がっていた。


 皆が次々と勇ましい称号を与えられていく中で――。

 俺には、一体どんな役割が与えられるのか。


 嫌な汗が背中を伝う。

 心臓の鼓動が耳に響く。


「次は……お前だ」


 神官の指が、俺を示した。


 ざわめきが静まり、視線が一斉に俺へと集まる。

 足がすくむ。けれど、拒めるはずもない。


 俺は一歩、赤い絨毯の上に踏み出した。

 これから告げられる言葉が、自分の運命を決定づけるのだ。

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