第捌話:境の灯が揺れる頃


 夜の帳が降りる頃、駅前の広場は静まり返っていた。


 薄い霧が街灯の光を柔らかく包み込み、風のない空気に列車の音だけが遠く響く。車を降りた五人は、改札口の前で立ち止まった。

 それぞれ疲れの色を滲ませているが、どこか安心したような表情でもある。


 經永が伸びをしながら大きく息を吐いた。


「ふぅ~、やっと戻ってきたなぁ。あのトンネル、空気重すぎて身体がまだゾワゾワするわ」


 軽口を叩きながらも、目の奥にはほんの少しの高揚が残っている。奏は静かに頷き、凛響は隣でまだ少し不安げに唇を噛んでいた。

 黑がポケットから何かを取り出す。


 それは、店名が記された名刺。月明かりに照らされ、薄く艶を浮かべる。


「それやるけ、持っとて」


 三人が同時に顔を上げる。黑は穏やかな目をして、続けた。


「うちの居酒屋は、悩みを抱えちょらんと本来は来れんのじゃけど。

 それ持って、鳥居ば潜れば悩み抱えちょらんでも来れるけ。……ただ、自分ら以外の客はほとんど俺らと同類じゃけどな ? 


 ……何もなくてもいつでも来んしゃい。待っとるばい」


 その声音には、どこか柔らかい温もりがあった。凛響は少し目を瞬かせ、名刺を受け取って指先で撫でる。

 白地に筆文字で【居酒屋・鬼】とあり、裏には小さく開店時間と「店主・黑」とだけ記されている。


「……今まで、こんなこと話せる人いなかったから……ありがとうございます」


 凛響が小さく頭を下げる。その横で奏も改めて名刺を見つめた。


「同類って……つまり…………」


 奏が呟き、黑と白哉の方をちらりと見る。先ほど……――――拝殿で見た、朱と碧の角が脳裏を掠める。


「え、めっちゃおもろそうやん ! 」


 奏の怯えた反応とは対照的に、經永は目を輝かせて笑った。經永は名刺を逆さにしたり透かしたりして眺めながら、にやりと口角を上げる。


「今から行くんが、楽しみや ♪ 久々に、どきがムネムネしとるわ ♪ ♪ 」

「お前、ほんま懲りんやっちゃな……」


 隣の黑は特に何も言わず、ただ静かに三人の姿を見ている。やがて列車のアナウンスが流れ、凛響と奏が軽く頭を下げた。


「本当に、ありがとうございました」

「また……行きます。きっと」

「ほな俺も帰るわ。さいなら」


 凛響と奏は改札を抜け、構内の灯に吸い込まれていく。經永は車に乗り込みエンジンをかけると、二人に向かって手を振り去って行った。


 白哉は静かになった駅前で、ちらりと兄の顔を覗き込む。


「兄ちゃんが人間に名刺渡すなんて、珍しいな。……どしたん ? 」


 黑は少しだけ目を細め、ポケットに残った名刺を指で弾いた。


「……ただの気まくれじゃよ。何となく、今度はあの三人が【繋ぐ側】さなる気がしての」


 白哉は一瞬驚いた顔をしてから、ふっと笑った。


「そうやな。……なんか、そんな気するわ」


 二人は夜風に髪を揺らしながら、改札を背に歩き出す。遠く、列車の走る音が静かに響いた。



 

 一枚の落ち葉が、風に乗って線路の上を渡っていく……――――まるで、誰かの次の【縁】を探すように。

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