第3話 強がる気持ちと不安に揺れる赤い果実

幾分の時が流れただろうか。


「ねえ、これ……ずっと持つのかな」


美羽は不安を帯びた声でぽつりと呟いた。

無理もない。まだ出会って間もない、たった1週間ほど前まで知り合いですらなかった者と、訳の分からない場所で閉じ込められているのだから。


「電気が切れない限りはな。だけど、この世界でどれくらい安定してるかは分からない」


「……なにそれ、不安煽るじゃん」


ぷいっと顔を背ける美羽。

だが、心細さを隠すようにわざとそっけなく言った。


「ま、まあ……冷蔵庫にある分くらいなら、兄さんが料理してくれるんでしょ?」


「……は?」


「え、え、だってあんた、前にお母さんと一緒に台所立ってたじゃん! あたし、そういうの全然できないし!料理とかわかんないし!」


悠翔は少し呆れた顔で、美羽を見る。


「……お前な、こういう時だけ頼ってくるのな」


「別に頼ってない! ……ちょっと言っただけ!」


そのやり取りの最中にも、窓の外からはかすかな光が瞬いていた。


悠翔はリビングのカーテンをそっと閉じる。


「外に気を取られるな。まずは、この家のどこまで“普通に使える”のか調べておこう」


「……そうだね」


二人は手分けして確認を始めた。

リビングの照明は問題なく点き、水道の蛇口からは水も出る。

洗濯機も一応動くようだが、窓から差し込む異様な光に照らされると、その当たり前が逆に不気味に思えた。


「……やっぱり、この家だけ切り取られてるみたい」


美羽は廊下に立ち尽くし、震える声で言った。


悠翔は静かに頷く。


「まるで、守られているみたいにな」


「でも……なんであたしたちが?」


答えはない。

けれど、この“当たり前”がどれだけ長く続くのかも分からなかった。


だからこそ、二人は自然とソファに近い場所に集まり、互いに背中を預けるようにして座り込んでいた。


「……ちょっとだけ、怖いんだ」


美羽は膝を抱え、小さな声で漏らす。


「……俺だって同じだよ」


悠翔はそう言い、窓の外をにらんだ。


悠翔の横顔をちらちらと盗み見る。窓の外は見慣れぬ森が広がり、光が木々の間を揺らす。胸の奥でざわつく不安が、どうにも消えない。


「……ねえ」


声は小さく、しかし必死さを帯びている。


「なに」


悠翔は平静さを装い、視線を逸らさず彼女の表情を追う。


「……なんかさ、あんたばっかり冷静ぶってずるい」


「ずるい?」


「そうだよ! あたしだって怖いのに……あんたが平然としてるから、あたしだけ子どもみたいじゃん!」


声を張り上げる美羽。その頬にわずかに赤みが差す。


悠翔はため息をつく。


「平然なんかしてない。ただ、お前が余計に怯えないように――」


「そういうとこ! また“お兄ちゃん”気取り!」


美羽は立ち上がり、強がるように背を伸ばした。


「いいもん! どうせあんたなんか頼らないから! この家のことも、この先のことも、ぜーんぶ自分でなんとかする!」


美羽はずたずたとわざとらしく足音を鳴らし、リビングを横切って冷蔵庫の前に立つ。手をかけると冷気が指先にじんわりと伝わる。目に映ったのは、冷凍食品や保存食の整然とした並びの中、ひときわ鮮やかに赤く光るリンゴ。


「ん」


彼女はそっと手に取り、膝に抱える。冷たく硬いその果肉が、今の自分にとって唯一の確かな存在のように感じられた。かじるたび、わずかに緊張がほぐれ、恐怖を一瞬だけ遠ざける。


「……どうせあんたんは冷静に考えてるんでしょ。“この家は守られてる〜”とか、そういう小難しいこと」


「まあ……その通りだ」


「……」


眉を寄せ、口元を引き締める美羽。だが膝の上のリンゴは、彼女の心の支えとして微かに温度を保っていた。手のひらで感じる重みと冷たさが、現実の中の小さな安定を示している。


窓の外の森は依然として光を揺らし、不気味な静けさを湛える。次の瞬間、床下からぬるりとした影が揺れ、家全体に低い振動が伝わった。


「……っ! い、今の音……なに?」

美羽は反射的に悠翔の袖に手をかけ、距離を縮める。慌てて手を離し、膝のリンゴに顔を寄せる。


「べ、別に怖がってないから!」


悠翔は細めた目で彼女を見つめる。


「……どう見ても怖がってるだろ」


「うるさい!」


美羽は小さく足を踏み鳴らしながら、抱えたリンゴを胸に引き寄せる。硬く冷たい果肉が、荒れる心をぎゅっと押さえつける。まるで異世界の混沌の中で、たった一つの“自分の領域”を守っているかのようだった。


家の中は静まり返り、外の森の不穏な光だけが、二人の距離と空気の緊張を際立たせる。膝の上のリンゴだけが、現実と自分をつなぐ小さな確かさとなっているのを、美羽はまだ知らない。

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兄妹はじめての異世界生活! yuyu @Acha9071023

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