第2話 葬式ごっこ

 田舎町のこの中学校は、学年に30人しか生徒がいないため、1クラスしかなかった。

 入学して早々、私を知らない生徒はいなかった。

 ――地元で幅を利かせている暴力団「藤木会」の組長の娘。

 それが私だったから。


 こんな小さな町で有名な暴力団の規模など、たかが知れている。

 でも、不良を目指すような若者にとっては憧れの的だった。

 私を見るなり、「沙羅の父親は藤木会の組長なんだろう」と声をかけてくる男子の顔つきと声色は、友好的な人間のそれではなかった。

 狡猾で、嘘くさい狸のようなものだ。

 彼らの目に映るのは「ヤクザの娘と知り合いになった」という事実であり、私という人間ではない。


 父に従う部屋住みや舎弟を何人も見てきた私からすれば、一目で分かることだった。

 とはいえ、別に毛嫌いすることもない。

 退屈な学校生活に期待も何もしていない私からすれば、

 一時間半も自転車を漕いで隣町の不良と喧嘩をしただの、スーパーで万引きした商品の値段を競っただの、どこに落書きをしただのといった子どもじみた武勇伝を謳う思春期坊主たちとの戯れは、学校という膨大な暇を潰すにはちょうどよかった。


 一方、日和は典型的な大人しい子だった。

 休み時間は本を読み、授業は聞いていても先生から指されると答えられない。

 誰もやりたがらない学級委員を押し付けられ、ただ黙って受け入れてしまう。

 とにかく「人に迷惑をかけない子」だった。

 私からすれば、なんの魅力もない――無の存在。


 入学して2か月が経った6月。

 私の取り巻きの中で、全く目立たない一人の男子がいた。

 身体つきはもやし。運動神経は皆無。もちろん脳みそはミジンコレベルで、他人の模倣しかできない無能。

 珍しく、その猿が行動を起こした。


 朝、登校して引き戸を開けると、線香と彼岸花が一本ずつ、日和の机の上に並べられているのが目に入った。

 最初は何か分からず席に向かったが、男子どもの口から「葬式ごっこ」という言葉が聞こえた。


 しがない暴力団の娘でも、人の死は経験する。

 怨恨、陰謀、けじめ。

 昨日まで笑顔を交わした人が、次の日には骸になることが何度もあった。

 それゆえに、人の死の重さも遺族の激しい悲しみも理解しているつもりだった。


 だからこそ――限度も礼節もないその非道に、全身の血が沸騰した。


「これやったの誰」


 荷物を自分の机に投げ置き、ゆっくりと日和の机に向かう。

「俺。気付いた?」

 気付いてもらえたことに喜び、尻尾を振る犬のように上機嫌な犯人が、日和の机を挟んで私の正面に来る。


 息が熱くなり、体が震えた。

 ――この碌でもない犬には、躾が必要だ。


 ケタケタと笑い、「やりすぎだよお前」などと烏合の衆が囃し立てる。

 その声を聞いた瞬間、顎に強烈な力がかかり、目が飛び出しそうになるほど眼圧が高まった。


「こいつマジでクラスにいてもなんも意味ねえしさ、存在価値もないから俺が葬式あげてやろうと思って」


 その言葉を聞いた刹那、私の怒りは臨界点に達した。

 にやけた馬面に、握り込まれた右の拳が発射された。

 腕から拳だけが飛んでいくのではないかと錯覚するほどのスピードとパワー。


 馬鹿は首をすくめ、両手で鼻を押さえる。

 手と手の隙間から鮮血が滴り、日和の机に、ぼとっ、ぼとっと音を立てて落ちた。


 女子の甲高い叫び声が耳を刺す。

 「大丈夫か」と馬鹿を庇おうと走ってくる男子の姿が視界に飛び込む。


 外野に止められる前に仕留める。でなければ、やり損ねる。

 一瞬にして、右手で彼岸花を握り、鼻を押さえる両腕の隙間から左腕を捻じ込んだ。

 左手で胸ぐらを掴み、目にも止まらぬスピードで一気に回し倒す。


 不意打ちをまともに食らった腰抜けの上に跨り、刺し殺す勢いで彼岸花の茎を右眼球の寸前まで振り下ろした。


「私の前で二度と同じことをするな。次はお前の目に花を刺してやる」


 腹の奥の子宮が揺れるほど響く、ドスの効いた大きな声が出た。

 びくびくと震える怯えた目をまっすぐに覗き込む。

 野次馬の声は止み、呼吸すら感じない静寂が数秒続いた。


 その沈黙を破ったのは、ゆっくりと近づいてくる足音だった。

 とんっ……とんっ……とんっ……。


「お花がかわいそう」


 なんとも弱々しい足音とともに、静かで透き通った声が耳を撫でた。

 首だけ振り返ると、日和が私の前に立ち、そっと膝を畳んだ。


 憂いを帯びた瞳は私を逃さない。

「この手も、お花も、痛がってるでしょ」


 日和の両手が、私の右手と彼岸花を包み込んだ。

 ふんわりとした花の香りを纏うその仕草は、まるで子どもを諭す母のように暖かかった。


 気づけば全身の力が抜けていた。

 胸ぐらを掴んでいた左手も、するりと外れていた。

 

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