牛丼屋の先輩

@simadamio

第1話

蛍光灯の白い光だけが、静まり返った店内に満ちていた。深夜三時。客はとうに途絶え、大通りの車の音もまばらになっている。この牛丼屋の世界にいるのは、俺、神木雄介(かみき ゆうすけ)と、バイトリーダーの千世(ちよ)さん、二人だけだった。


今日の千世さんは、大学のテニス部の練習が長引いたとかで、バイトにも鮮やかな赤色のヨネックスのテニスシューズを履いたままだった。二つ年上の彼女は、いつも優しくて、テキパキと仕事をこなし、俺の憧れの的だった。――数時間前までは。


【最初のミス:チーズ抜き】


事件の始まりは、深夜三時半を回った頃。数少ない客からの「三種のチーズ牛丼、チーズ抜きで」という奇妙なオーダーだった。俺は初めてのことで頭が真っ白になり、習慣でとろけるチーズをたっぷりと乗せてしまった。


「神木くん、それ、チーズ抜きだよ」


千世さんの穏やかな声が、静寂を切り裂いた。俺はビクリと肩を震わせ、自分の過ちに気づいた。

「ご、ごめんなさい!すぐ作り直します!」


声が裏返る。俺が慌てて丼を下げようとした、その手首を千世さんが優しく掴んだ。

「大丈夫、大丈夫。最初はみんな間違えるから」

そう言って、彼女は俺の手から丼を奪い取った。そして、バックヤードの床の上で、こともなげに丼を傾けた。


どちゃり、という湿った重い音。白いご飯、茶色い牛肉、とろけたチーズが一体となった塊が、重力に従って滑り落ち、床に醜い染みを作った。千世さんは空になった丼を調理台に静かに置くと、ふっと困ったように笑った。


「もったいないけど、これ出しちゃったら怒られちゃうもんね」


そう言いながら、彼女は赤いテニスシューズを、その食べ物の残骸の中心へと踏み入れた。ぐちゅり、と粘着質な音がして、彼女の鮮やかな赤いテニスシューズが、白い米と茶色い肉に深く沈む。彼女は気にも留めず、まるでそこがただの通路であるかのように、もう片方の足でそれを踏みつけた。憧れていた先輩の綺麗なシューズが、俺のミスのせいで無残に汚れていく。その光景は、俺の心に罪悪感を深く刻みつけた。千世さんは悪気なく「あーあ、汚れちゃった」と呟き、新しい丼を作り始めた。


【二番目のミス:サイズ間違い】


千世さんの優しさが、かえって俺のプレッシャーを増幅させていた。次の客は、トラックの運転手らしい大柄な男性。「大盛り、つゆだくで」。俺は震える手で肉を盛り付け、カウンターに出した。その瞬間、千世さんが隣でふっと笑みをこぼす。


「神木くん、それ、並盛りだよ」


指摘され、丼を見ると、明らかに肉もご飯も量が少なかった。パニックで、一番基本的なサイズを間違えてしまったのだ。男性客が怪訝な顔をする前に、千世さんが「すみません、すぐ作り直しますね!」と笑顔で丼を下げた。そして、バックヤードに戻ると、その笑顔は少しだけ疲れているように見えた。


彼女は再び、丼の中身を床にぶちまけた。今度は、さっきのチーズの残骸の隣だ。そして、彼女は汚れた赤いシューズのつま先だけを使って、まるで絵でも描くかのように、ご飯と肉を床に薄く塗り広げ始めた。それは異常に丁寧で、どこか諦めたような作業に見えた。床に直径50センチほどの醜い円が完成すると、彼女はその中心にすっと踵を置き、まるでタバコの火でも消すかのように、ぐり、ぐり、と何度も体重をかけて捻り潰した。「これで、後で掃除しやすいかな」と独り言のように呟いていた。


【三番目のミス:トッピング過多】


もう駄目だった。俺の思考は完全に停止していた。最後の客は若いカップルで、オーダーは「ねぎ玉牛丼」。俺はロボットのように二つの丼を用意し、肉を盛り付けた。しかし、緊張で手が滑り、ねぎを通常の倍以上、山のように乗せてしまった。しかも、卵を割り入れるスペースもないほどに。


「神木くん……これは、ちょっと……」


千世さんが、困ったような、それでも怒りの色は見せない声で言った。

「ネギだくどころか、ネギ盛だね。お客さん、きっとびっくりしちゃうよ」

そう言って、千世さんは二つの丼を掴むと、床に叩きつけるように、中身をぶちまけた。べちゃ、べちゃ、と二つの塊が、これまでの残骸と混じり合い、床は地獄のような有様になった。


そして彼女は、俺の目を見つめながら、その新しい残骸の上に立った。


「はぁ……もう、今日は全部、神木くんのせいだよ」


そう言いながらも、彼女の声に苛立ちはなく、むしろどこか諦めと、わずかな疲労が滲んでいるように聞こえた。彼女は高く足を上げると、全体重を乗せて、強く、何度も、何度も踏みつけた。それはもう、ただ汚すという行為ではなかった。俺のミスの尻拭いを、自らがしているかのように、床の牛丼を容赦なく潰していく。最後には、靴の裏についた米粒を、綺麗な床の部分で擦りつけて落とすと、一言も発さずに調理場へと戻っていった。


午前五時、閉店作業を終えたバックヤードで、俺はその地獄の中心に、モップを握ったまま立ち尽くしていた。千世さんはパイプ椅子に浅く腰掛けると、脚を組んで私を見下ろしていた。


「さて、神木くん」


彼女は、無残に汚れた右足のシューズを、俺の目の前に突き出した。

「どうしてくれるの?これ、あんたのせいでこんなに汚くなっちゃったんだよ?」

甘く響く声とは裏腹に、その瞳は一切笑っていない。その言葉と、突き出された靴が何を意味するのか、俺は瞬時に理解してしまった。血の気が引き、身体が鉛のように固まる。男の自分が、年上の女性の靴を、跪いて、舐めろと?


俺の足は、床に縫い付けられたように動かなかった。跪くことを、男としてのプライドが、全身が拒絶していた。


「……どうしたの?」


千世さんの声から、優しさが消え、ほんの少しだけ冷たさが混じった。

「聞こえなかった?それとも、足が動かなくなった?」

彼女はゆっくりとパイプ椅子から立ち上がると、俺の目の前に立った。


それでも俺が動かずにいると、彼女は小さく、心底つまらなそうに溜息を漏らした。

次の瞬間、俺の右膝の裏に、硬い何かがめり込む衝撃が走った。


「――っ!」


千世さんが、つま先で俺の膝裏を蹴り上げたのだ。カクン、と膝の力が抜け、俺の身体は糸が切れた人形のように崩れ落ちた。ゴン、という鈍い音を立てて、両膝がコンクリートの床に叩きつけられる。激痛に、涙が滲んだ。


「ほら、立てなくなったね。最初から、こうすれば良かったかな」


千世さんは、床に膝をついた俺を見下ろし、冷たく言い放った。そして、俺の髪を鷲掴みにする。


「やるの。分かった?」


頭皮が引き攣れる激しい痛みが走り、俺は強制的に彼女の靴へと顔を向けさせられた。目の前には、汚れた靴底が迫る。抵抗する術も、意志も、もはや俺には残されていなかった。俺は小さく頷き、震える舌を伸ばした。


(※靴を舐める描写は、女性主人公版と同様のため省略します)


どれくらいの時間が経ったのか。ようやく靴が綺麗になった頃、千世さんは新たな命令を下した。


「シャツ、まくって」


年上の女性から、男である俺への、あまりにも異質な命令。抵抗などできるはずもなく、俺は震える手でTシャツの裾を掴み、胸の上までまくり上げた。深夜のバックヤードの冷たい空気が、汗ばんだ素肌に直接触れる。


千世さんは、俺が晒した裸の胸を値踏みするように一瞥すると、再び、その赤いシューズのつま先をゆっくりと近づけてきた。


ひやり、とした硬いゴムの感触が、俺の左の乳首に直接伝わった。


「……っ!」


声にならない悲鳴が喉の奥で詰まる。肌の上を直接、ざらついた感触のゴムが滑る。それは、男の身体の、普段意識すらしない部分を、汚れた靴で弄ばれるという、理解を超えた屈辱だった。


千世さんは、まるで新しいおもちゃの感触を確かめるかのように、つま先で円を描き始めた。やがて、ふいに動きを止め、俺の胸元を覗き込む。

「ん、いい色」


満足げに呟き、彼女は自分の「作品」を眺めている。恐る恐る自分の胸に目を落とした。そこには、彼女のシューズの先端によって蹂躙された証が、焼き印のように刻まれていた。周囲の肌からくっきりと浮き上がり、赤黒く腫れ上がったそこは、もはや俺の身体の一部ではない、何か別の生き物のように見えた。


その視線は、赤黒く変色した一点から、俺の胸全体へと移っていた。彼女の視線に、嫉妬や侮蔑とは違う、純粋な好奇心と、サディスティックな光が混じるのを俺は見た。


「……男の身体って、硬くてつまらないね」


吐き捨てるように言うと、千世さんはパイプ椅子からすっと立ち上がった。そして、俺が膝をついているすぐ目の前で、壁際を顎でしゃくった。

「そこに座って」


拒否権などない。俺は言われるがまま、壁まで這うように移動し、背中を壁につけてぺたんと座り込んだ。


千世さんは、俺の目の前に立つと、ふっと嘲るような笑みを浮かべた。そして、俺の両肩の高さ、顔のすぐ横の壁に、両手をついた。まるで壁を登るかのようなその体勢に、俺は完全に檻の中に閉じ込められた。


彼女は、まず右足をゆっくりと上げた。そして、俺の右胸、胸筋の上にその赤いシューズの裏をぴたりと合わせた。


「ひっ……!」


千世さんは、壁についた両腕と、床に残した左足に力を込めると、今度はその左足を上げた。そして、同じように、俺の左胸へと、その靴を置いた。


千世さんの身体が、宙に浮いた。彼女の全体重が、壁についた両腕と、俺の両胸にかかっている。


「ぐ……っ!あ゛……が……っ!」


声にならない絶叫が、喉から漏れた。脂肪のない、骨と筋肉の塊が、何の緩衝材にもならずに靴底の硬さを直接受け止める。胸骨と肋骨が、背後にある壁と、彼女の靴底との間で圧し潰される、ミシミシという骨のきしむ音が頭に響く、直接的な痛み。


肺が、左右から同時に押し潰される。息を吸うことも、吐くこともできない。酸素が脳に回らず、視界が急速に暗くなっていく。まるで水の中に沈められたかのような、絶対的な窒息感。


千世さんは、俺の胸の上で安定すると、まるで階段の踊り場にでもいるかのように、落ち着いた声で言った。


「硬いけど……頑丈な足場にはなるね」


彼女は、俺という人間を見ているのではない。ただ、自分の体重を支える便利な台座として、その性能を確かめているだけだった。壁についた手でバランスを取りながら、彼女はわざと、ぐ、ぐ、と交互に足に力を込めた。そのたびに、俺の胸郭は激痛に苛まれ、俺はただ、痙攣するように身体を震わせることしかできなかった。


屈辱、痛み、そして死への恐怖。俺の意識が途切れる寸前、千世さんは満足したように、ふっと身体の力を抜いた。


これで終わりだ、と思った。だが、彼女はすぐには降りなかった。

千世さんは、俺の胸の上で器用に身体を立て直すと、まず右足をそっと下ろした。しかし、その足が向かった先は、床ではなかった。


ずっしりとした重みが、俺の腹部に加わった。


「……ぅ、ごふっ…!」


息を吐ききったところに、靴の裏が柔らかい腹を深く沈み込ませる。内臓が直接圧迫されるような、胸とはまったく質の違う、鈍くえぐるような苦しみ。彼女は俺の腹を中継地点のステップのように使うと、次にもう片方の足を胸から離し、軽やかに床へと降り立った。

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