プロティ・アガピ

@love_whale

第1話

 愛の反対は無関心という言葉がある。

 それが本当なら、私はどれだけ救われただろう。そんなことを考えながら窓の外を見ると薄暗く曇った天から、パサパサと雪が降り始めたのが見えた。カバンの中からマフラーを取り出そうと腕を突っ込むと、ヴーとメールが鳴った。


 『茜ちゃんへ、ばーちゃんは港の西側駐車場で待ってます。』


 時計を確認してみると、もうじき到着予定の十三時。船内でも到着のアナウンスが流れ始めた。私は急ぎマフラーを首に巻き、スマホをポケットの中に放り込んだ。

 港に着くと、生臭い匂いと聞いたことのない鳥の声が耳を抜けた。カモメ?それともウミネコかな?考えていると、駐車場でこちらに手を振る祖母の姿が目に入った。私は彼女のもとへ、キャリーバッグとカバンを両手に持ち、歩いた。


 「いやー、茜ちゃん!こんなに大きくなっちゃって!もう十六歳?しかもこんなにベッピンさんときた!いやー将来が楽しみだねぇ!」


 「あ、あの」


 「あー、ごめんねぇ。茜ちゃん疲れてるよね!荷物は、ばばが積むっけな、休んでれ!な!」


 そういうと祖母は難なく二つの荷物を担ぎ軽トラックの荷台へ乗せた。

 元気な人だなぁ。本当にこの人、七十歳なのかなぁ。母から聞いたことが本当なのかどうも怪しい。それはともかく。


 「あの!これからしばらくの間よろしくお願いします。」


 私は深々と祖母に頭を下げた。祖母とはいえ、母と父の仕事の都合や、はやり病のせいもあり、もう5年ぶりの再会なのだ。我ながら少し他人行儀だったかななんて考えた。

 その様子を見た祖母は目をぱちくりさせ、アッハッハと笑った。


 「何そんなこと気にしてるんだ。ばばと茜なんだからそんなよそよそしくしないで~。」


 そういってくれる彼女に少し、ほんの少しだけ気分が楽になった。

 私と祖母は車に乗り港から山手のほうにある祖母の家に向かう。その道中窓からは灰色の空と海が見え、船乗りたちが船を出すちょうどその時に遭遇した。


 「お~い、幸~。」


 一人の男性がこちらに向かって手を振っている。頭に巻いたタオルや前掛けからおそらく彼は漁師なのだろう。

 祖母は、車を止め、窓を開けた。


 「なんだ、正雄でねぇか。どうだ、漁の調子は。」


 「まずまず、いや、よくねぇかもしんねぇなぁ。多分そろそろあいつら産卵期に入るからそのせいかもな。こっちは魚取られてたまったもんじゃねぇだが。」


 あいつら?


 「そうか。それでも我が家の食卓はあんたらにかかってるんだから、そっちが頑張ってくんねぇと。根性出して頑張れよ!」


 「おうよ!」


 祖母と正雄さんは顔を見合わせてガッハッハと笑いあった。


 「ところで、そこのベッピンさんはそこの人だ?」


 「この子け? この子はおらの孫の茜ちゃん」

 

 正雄さんはこちらに向き直ってにんまり笑った。


 「初めまして、俺は正雄って言います。鈴木正雄。もしかしたらまた会うかもだから、よろしく。」


 そういうと、おもむろに右手を差し出してきた。


 「は、はい。柳田茜って言います。こちらこそよろしくお願いします。」

 

 そういって正雄さんの手を握ると腕がとれるほどぶんぶん振ってきた。正直ちょっと痛かった。


 「茜ちゃん魚好きか?おじさんのところ魚仕入れてっから、何でも好きな魚言ってね。今の季節だと…」


 「正雄!茜ちゃんさ今来たところだっけ家で休ませねばなんねんだ。」


 そういうとシフトレバーをドライブに入れた。


 「あとで、魚買いに行くから。」


 「おう、茜ちゃんもまたね。」


 私はペコリと頭を下げた。

 約十分後、到着した祖母の家は相変わらずの2階建てで、磨りガラスの玄関ドアに、木彫りの熊、座卓の上にある食卓蚊帳まで、以前来た時と何も変わっていなかった。


 「茜ちゃんの部屋は2階ね。お母さんが使ってた机と、前に言ってたやつ。なんだっけ、るーたー?はお部屋にあるからね。」 

 

 「はい、ありがとうございます。」


 「茜ちゃん、私たちは家族なんだから、もっと気楽にしゃべってくれ。ずっと敬語ってのも疲れねが?」


 「わかり、うん、わかった。」

 

 そういうと祖母はにっこり笑ってもう一度軽トラに乗った。そして窓を開け、


 「茜ちゃん!これからばば買い物行ってくっから、荷物片付けたら後は好きにしてね。大体5時くらいには帰ってくるからそれまでには家にいてね。」

 

 それだけ言うと祖母は車を出していってしまった。私は持ってきた荷物を部屋に運んだ。部屋には箪笥と机があり、机の上には、聞いたことのないスーパーのチラシの裏に『ようこそ茜ちゃん!これからよろしく!冷蔵庫にケーキ買ってあるから食べてね!ばばより』と書かれた手紙とルーターが設置されていた。本当にあの人には感謝してもしきれない。持ってきたキャリーバッグには衣類と必要最低限の化粧品。カバンには携帯の充電器にハンドクリーム、リップ、買ったばかりの古本が3冊だけだったのでそれほど片付けには時間を費やさなかった。

 時計を見ると現在時刻が15時半。本を読む気にもなれない。スマホは…もっと触る気になれない。何をしようか。そういえば、さっきのメモにケーキが冷蔵庫にあると書かれていたような。

 部屋から出てみると部屋の前に窓があることが分かった。へえ、家の裏って海近いんだ。

 階段を降り、キッチンへ向かい冷蔵庫を開ける。タッパーに入った煮物などの中に紛れて10パーセントオフのシールが貼られた2つのショートケーキがそこにいた。消費期限は明日までらしい。

 今食べるのはやめておこう。夕飯の時におばあちゃんと一緒に食べよう。

 冷蔵庫の中にあった2リットルの麦茶を湯呑みに注ぎ入れ、ぐびっと飲み、キッチンを後にした。

 部屋に戻る途中、空いたふすまからチラッと祖父の遺影が目に入った。そういえばおじいちゃんに挨拶してない。私は仏間に入り、仏壇の前に座る。仏壇や遺影はきれいに整頓されていてほこりひとつない。線香は付けずにリンだけ鳴らして手を合わせた。

 柳田信定。彼は私が生まれる前、海難事故にあって帰らぬ人となったらしい。私も詳しいことは知らないが、母が言うには祖母は当時、手が付けられないほどふさぎ込んだらしい。

 2階に着き、部屋に入ろうとした一瞬、ほんの一瞬だが部屋の前の窓に奇妙なものが見えた。先ほどはなかった。窓から見える浜辺に、黒い網に包まれた何かがバタバタと動いていた。


「え?えっ…え?」


私の心はそれを見て、興味5と恐怖5になってしまった。だが、黒いのが動かなくなったのが目に入って、なぜか、恐怖がほんの少し減った。ほんの0,5だけ減ってしまった。次の瞬間私は玄関を飛び出し、家の裏に回った。なんと好都合なことに家の裏にはかなり急ではあるが、浜辺に続く階段がそこにあるではないか。

 錆びた手すりにつながりながらゆっくりと階段を降りる。転んだら洒落にならないくらいの怪我をするだろう。何とか階段を降り、恐る恐る網に近づくと、海特有の生臭さが鼻を抜けた。

 イルカでも網に引っかかったのかな。私はびくびくしながらも網に近づき、手をかけると再び、ビタンビタンとそれは暴れまわった。


 「キュー!キュー!」


 多分苦しんでいる。急ぎ縄をほどくと、そこにはイルカほどの大きな尾があった。ただし、イルカと違って、真っ白な鱗が生えていて、上半身には色素の薄い美少年が…。


 ん?美少年?


 目が合った。


 数秒ほど彼と目が合い、時が、止まった。


 「え、な、わああああああああああああああああ!!!!」


 やっと脳が処理できたところで私は階段の手前まで逃げていた。


 「キュイ?!キュー!キュー!」


 もう何が何だかしっちゃかめっちゃかだ。

 人魚?妖怪?UMA?この場合は警察?漁業組合か?こういうのって知ってしまったらピカッとされる?あれ、それ宇宙人だっけ?


 パニックになっている。しかし、それは、相手も同じことだった。


 「キュイッ!キュッキュー…!」


 あちらもパニックになっており、目頭に涙をためながら必死に海に戻ろうとしている。だが、私が中途半端に網をほどいたせいだろう。うまく動くことができずにバタバタ暴れてしまっている。なんなら暴れたせいでより絡まってしまっている。

 なぜだろう。自分よりも慌てている人を見ると、冷静になる自分がいるのは。いや、相手は人間とはちょっと違うが。

 

 「・・・・・・・・・・・だ、大丈夫だからねぇ~。傷つけたりしないよ~。」


 私はゆっくりと彼に掌を見せつけながら近寄った。あと十メートル。あっちもこちらに気づいたようで、睨むような、怯えるような目でこっちをじっと見つめてくる。あと五メートル。あっちは涙を流しながキュイキュイ泣いている。泣きたいのはこっちだよ。こんな寒い季節に、何時間電車やフェリーに揺られ、こんな辺境の島まで来て、祖母との二人暮らし。そんな最初の日が未知との遭遇。加えて救出なんて。

 だが、彼の眼を私は知ってる。心細くて、パニックになって、助けが必要な目だ。その目をされたら、私は手を差し伸べるしかないじゃないか。

 ようやく、絡まった網に触れる距離まで来た。まずは尾びれに絡みついた網を、


 「キュイッ!」


 「…へ?あっ」


 少しの衝撃の後、左の二の腕あたりにじわじわと痛みがやってくる。腕を見てみると3本の爪痕が残っており、来ていた上着がじわじわと赤に染まっていく。引っ掻かれたのだ。

 あちらは、やってしまった!みたいな半表情でわなわなしている。この野郎。


 「ぐぅぅぅっ・・・少しの間だから、いい子にしてて、頼むから。」


 私はその間に急ぎ作業を始めた。 変な汗まで出てくる始末。腕にうまく力は入らないものの、何とか、全身の網をほどいた。彼は黙ってただこちらを見ている。

 

 「キュイ?」


 彼は解かれた体と私のほうを交互に見て、浜辺に這っていった。

 そして、最後にもう一度心配そうにこちらを振り返った。


 「早く帰ってね。私もそろそろ戻らないとだから。」


 時計は現在16時45分、おばあちゃんが戻ってくる。これから戻って、体にこびりついた血を何とかしなくては。幸い傷は浅かったようでもう出血自体は止まっている。

 私があっちと人差し指で海を指さすと、分かってくれたようで彼は海へと潜っていった。 

 潜ったのを見送った後は、猛ダッシュで自分の部屋まで駆け込み、血の付いた服を洗面台でゴシゴシ洗った。だが完全に血の跡が落ちることはなく、諦めて絞っただけの服を自室に放り投げた。そして、風呂場まで走り急いで傷口を洗った。


 「くっ!」


 言うまでもないが、結構痛かった。

 居間には救急箱があり、よくわからない傷に効くという軟膏を見つけた。まあ、他に今できることが無いので、それをべっとり塗った。


 「いっっつ!」


もちろん痛かった。

それから私は居間で祖母の帰りを待った。

 

 「茜ちゃん、ごめんねぇ、ばば、買い物さ夢中になってしまって、15分も遅れたねぇ。勘弁ね。」


 「全然気にしてない。それとケーキ、ありがとう。」


 「あ!気づいてくった?ばばなケーキみたいなオシャレなもん、あんま買わねっけお店の人に聞いたんだ。おいしかったけ?」

 

 「まだ食べてない。おばあちゃんと食べようと思って。」


 そう答えると祖母の顔がパッと明るくなった。


 「ええ?何?そんなことしてくれるの?あいやぁ、ばばは本当に幸せもんだ。」


 「荷物持つよ。」

 

 にこやかな祖母をよそに私は助手席にある買い物袋を持った。

 重っつ!!?? このばあちゃんどれだけ買ったんだ。


 「いやぁ、茜ちゃんが来るっていうから、いっぱい作らねばって思って、買いすぎたなぁ。でも茜ちゃん成長期だっけ大丈夫だよな。」


 これはケーキ一緒に食べれないかな。

 夕飯時には案の定、煮物や刺身、海藻サラダにワカメご飯が二人、いや三人前出てきた。これが世にいうおばあちゃん家あるあるなのか・・・。

 私は気になっていることを祖母に聞いてみた。


 「ねぇ、おばあちゃん。家の裏の浜辺って。」


 「ん?茜ちゃん見てきたんけ?」


 「うん、おばあちゃんが買い物に行っている間に。」


 「あそこはじいちゃんが釣り好きで釣りするために階段でつないでもらったんだ。役所だったか漁業組合だったか、家の管理会社だったか忘れたけど、どうしても海に通じる階段が作りたいって言って床に頭ばこすりつけたの思い出すと、はぁ…情けねぇ。」


 「おじいちゃんってさどんな人だったの?」


 「ばかで騙されやすい奴。でもその分優しい奴だったなあぁ。それがあんな…」


 祖母はなにやらぶつぶつ言いだし、その目はうつろになっていた。


 「おばあちゃん?」


 「ん?ああ。なんでもねぇよ。というか茜ちゃん。一人で海に行くなんてあんま感心しねぇなぁ。まぁ危ないこともわかる歳だしあんまとやかく言われんのも嫌だよなぁ?」


 祖母は思い出したかのように笑顔になった。


 「最後に一つ聞いてもいい?」


 「なんだ?」


 「ここら辺の海ってなんか珍しい魚でもいるの?なんていうか、イルカぐらいの大きさの」


 次の瞬間祖母の雰囲気が変わった。


 「……なしてそんなこと聞くんだ。おらがいないとき海でなんか見たんけ?」


 その目は、私の体を貫くがごとく睨みつけてきた。まるで獲物を逃がさんとする蛇のように。なぜかこの時祖母にはおそらく人魚の話はしてはいけないと直感で分かった。


 「えっと、あの、昼間鈴木さんが言ってたのが気になって。ほら、漁の調子がイマイチみたいなこと言っていた、よう、な。ね?」


 それを聞くと、祖母は目を丸くして、明後日の方向を向いた。


 「あ~、あれな。そうだ、この前発見されたんだ。なんかよくわかんねぇけどでっかい魚が、この辺の魚をば食いまくってるって正雄言ってたなぁ。」


 多分ばあちゃんは人魚について何か知っている。だがそれを私には言うつもりがないのだろう。


 「分かった。ごちそうさまでした。ごはんおいしかったよ。」


 「なんだ、もういいんけ?」


 「うん、もうお腹いっぱいだから。」


 本当にお腹パンパン。たぶん、明日の朝食はいらないかも。


 「じゃあ私、お風呂入って寝るね。」


 そういって茶碗をもって立ち上がる。


 「茜ちゃん。」


 私はおばあちゃんのほうに顔を向けた。


 「茜ちゃん、何か困ったことがあったら相談してね。ばばとの約束。」


 「うん。」


 そういって、私は居間を後にした。

 疲れた、本当に疲れた。夜、自室のベッドで傷を触ると、ああ、昼の出来事は本当にあったことなんだと実感する。同時に祖母は人魚について多分何か知っている。おそらく良いことではないだろう。

 とはいえ、もう人魚に出会うこともないだろう。明日からは普通の生活を送れる。

 そんなことを考えているうちにどんどん瞼が重く…なって…。

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