第16話 リオン王子の行方

 薄暗い広間に、赤い灯火の照明が妖しく揺らめく。

 魔王の城、玉座の間の空気は重く張りつめていた。

 磨かれた黒曜石の床に敷かれた深紅の絨毯の上には、四天王と呼ばれる上位魔族たちが片膝をついて頭を下げている。

 彼らが崇める主――魔王グラディウスは、最奥の壇上にある豪奢な椅子にゆったりと足を組んで座っていた。

 冷ややかに部下を見下す瞳は、血のように赤い。

 そこから放たれる底知れぬ威圧感が、魔王の苛立ちを表しているようで、四天王たちは背筋が凍る思いがしていた。

 全員がこの場所に召集された理由を理解していた。

 だが、誰一人、自分からその話題を口に出せなかった。

 重苦しい沈黙の中、魔王が最初に口を開いた。

 

「リオンの痕跡が見つかった」


 魔王グラディウスの口からその一報を聞いたとき、魔王の側近である四天王カーディナルはそっと安堵の息を漏らした。




 時は、四日前に遡る。 

 その日、魔王の城では、愚かにもフレスイードへ侵攻してきた人間の国、キグナシア帝国に対抗するための軍事戦略会議が開かれた。

 四天王の他にも名だたる上位魔族たちが魔王の城に集った。

 その会議の場で、魔王は第四子であるリオン王子に勇者撃退の命令を出したのだ。

 これが彼の公的な場での初陣となる。 

 

 会議が終わったあとのリオン王子は目に見えて思い悩んでいる様子だったと周囲の者が語っていた。

 リオン王子は、まだ十五歳。

 幼さの残る顔立ちは人間の聖女である母親のソフィア様によく似ていた。

 そしてその性質を受け継いだのか、平和を愛する優しい性格だった。

 だが、いくらリオン王子が戦いを嫌っていても、魔王が直々に下された命令には逆らえない。

 きっと初めての戦闘命令に緊張されているのだろう。

 誰もが通る道だと、周囲は皆そう思っていた。


 その日、リオン王子は夕食を摂らずに寝室にこもった。

 大変お疲れの様子なので、自分で起きるまで起こすなと命令されたと、リオン王子の部屋付きの召使いは言った。

 翌日、召使いは昼近くまで起きてこないリオン王子を心配し、様子を見に行った。

 起こすなと命令されているとはいえ、さすがにこの時間まで起きないのは、何かあったのではないかと心配になったのだ。

 もしかしたら、体調を崩されているのかもしれない。


 おそるおそる寝室に入った召使いは、寝台で半分溶けて形が崩れかけている王子を発見し、城中に響き渡るような悲鳴を上げて腰を抜かした。

 駆けつけた他の使用人により、その溶けて崩れた物体は、リオン王子の姿をした擬態スライムが形を保てなくなっていたものだと判明した。

 同時に、テーブルの上にリオン王子の筆跡の置き手紙が見つかる。


  旅に出ます。

  探さないでください。

       リオン

  P.S.シルフィードも連れて行きます。


 使用人が報告とともに持ってきたその置手紙を見たとき、四天王カーディナルはくらりと眩暈がして、額を押さえた。

 シルフィード。それは、リオン王子の従者であり、彼の息子の名前だった。

 まったく、なにが『P.S.』だ。

 怒りとも呆れともつかない脱力感の中で、カーディナルは、ことの次第をすみやかに彼の主である魔王グラディウスに報告したのだった。


 リオン王子が従者シルフィードを連れて家出した。

 その出来事は、瞬く間に城中に広がった。




「そ、それで、リオン様は今どこに?」


水の四天王フロースベルグがおそるおそる魔王に問いかける。


「エターナ領のアルセ谷の街道付近にリオンが居た痕跡があった。本人はまだ見つかっていない」


 魔王は険しい顔でそう答えた。


 魔王は使い魔として百匹ほどの飛行タイプの魔犬を使い、リオン王子の匂いと魔力の波動を覚えさせ、捜索させていた。

 リオン王子の八本足馬スレイプニルが一緒にいなくなっていることから、行動範囲はかなり広いと想定された。 

 魔犬たちはフレスイード一帯の比較的大きな街と、ブラッケン山脈付近の人間の領地に絞って、リオン王子の行方を捜していた。

 彼らは機動力に優れ、優秀な嗅覚と魔力感知能力を持った精鋭たちだ。

 リオン王子の行方はすぐに見つかると思われた。

 しかし、家出の発覚から痕跡を探し出すのに、もう三日もかかっていた。

 その間、魔王はずっと不機嫌で、カーディナルの胃はいつにも増してキリキリと痛んだ。

 魔王には四人の息子がいるが、魔王はソフィア様との唯一の子供であるリオン王子をとくに溺愛していた。

 そんな息子が突然家出したのだ。

 魔王はショックのあまり、使い魔たちに捜索命令を出した後、二日間ほど自室に引きこもっていた。

 そして、魔王の側近であるカーディナルにとっても、それは大変ショッキングな出来事だった。

 なにしろ、リオン王子と共謀して出て行ったシルフィードは、彼の息子である。

 魔王はカーディナルを咎めなかったが、リオンの家出が発覚して以降、カーディナルは針の筵の上にいるような気持ちだった。


「エターナ領……ということは、人間の国ですね。リオン様の痕跡とは?」

「これだ。使い魔どもが拾ってきた」


 カーディナルの問いかけに、魔王がサイドテーブルに置いてあった箱を開けて見せた。その中にあったのは、折れた剣の欠片だった。鈍い光沢の、いかにも安物の剣だ。


「この剣に魔力を流して戦ったのだろう。リオンの魔力が残っている。使い魔によると、その場所一帯にも僅かにリオンの魔力と匂いが残っていたそうだ」

「リオン様が戦った?」


 意外な情報に、カーディナルは首を傾げる。

 争いを嫌うリオン王子があえて戦ったというのは、どういう相手なのだろう。

 しかも、土地や物に痕跡が残るほどの強い魔力を使ってだ。


「どうやら竜と戦ったらしい。いったいあいつは何をしているのか……」


 魔王は剣の欠片を指で弾いて、呆れたようにため息をついた。


「竜……他に手がかりはなかったのですか?」

「ないな。リオンたちは我らの捜索から逃れるために、魔力を隠して動いているようだ」


 魔王の言葉に、カーディナルは俯いて考え込んだ。

 魔族が魔力を隠す方法はいくつかあるが、一番は角を隠すことだ。

 魔族にとって、角は魔力のコントロールを司る機関であり、大きな魔力を使うときほど重要になってくる。

 逆に言うと、さほど魔力を使わなければ、角を出している必要はない。

 角は上位魔族の象徴でもあるため、フレスイードで角を隠している魔族はいない。むしろ誇るように見せびらかしている者がほとんどだ。

 角を隠すには鍛錬が必要で、その技を習得している者は少ない。

 だが、リオン王子はソフィア様と共に人間の国に赴くことがあったため、日常的に角を引っ込められるようになっていた。

 そしてリオン王子の従者であるシルフィードも、彼に付き添うために角を隠す技を習得していたはずだ。


「ただでさえ、リオンの魔力は角を隠すと人間と区別がつかなくなる。人間の国にいるのは厄介だな……」


 そこで言葉を切った魔王は、カーディナルを見下ろして目を細める。 


「それと、シルフィードの能力も厄介だ。あいつの魔法と妙に機転の利く悪知恵はあなどれん。そもそもリオンはシルフィードの手助けがなければ、この城を出ることすら出来なかっただろうな。おおかた人間の国でもあいつが潜伏の手引きをしてるんだろう」

「も、申し訳ありません……」


 カーディナルは、いたたまれない気持ちで深く頭を下げる。

 

(シルフィード……なんてことをしてくれたんだ)


 カーディナルの脳裏に小賢しい息子の顔がちらつく。

 胃に穴が開きそうだ。

 だが、謝罪したカーディナルに対して、魔王は意外な反応だった。


「カーディナル、俺はシルフィードのことを咎めているわけではない。むしろ褒めているつもりだ」

「は?」


 虚を突かれたカーディナルに向かって、魔王はニヤリと口端を上げた。


「つまり、シルフィードは魔王である俺を裏切るほどの忠誠をリオンに捧げているということだろう? リオンの側近としては申し分ない」

「……我が不肖の息子に、勿体ないお言葉でございます」


 恐縮しながらも、カーディナルは内心安堵した。

 この様子では、もし見つかって連れ戻されても、息子は大した罰は受けないだろう。

 

「しかし、問題はどうやってリオンを探すかだ。エターナ領に魔犬の群れを放つわけにもいかんだろう」


 ため息交じりにそう言った魔王は、椅子にもたれて考え込むように腕を組んだ。

 

「我におまかせください!!」


 意気揚々と手を挙げたのは、火の四天王バーンハルトだった。

 勇敢と言えば聞こえはいいが、つまりは脳が筋肉でできてるような男だ。


「まず我が一軍を率いアルセに攻め込んで人間どもを制圧する! 全員捕えれば、その中にリオン様もいらっしゃるだろう」

「アルセの街はエターナ国の領土なので、中立です。攻め込まないでください」


 バーンハルトの乱暴で大雑把すぎる提案を、地の四天王イグナティスが冷静に否定した。

 ぐぬぬと悔しげに拳を握るバーンハルトの横で、カーディナルが発言する。


「魔王様、リオン様は竜と戦われたのですよね? それが手掛かりになるかもしれません」

「ほう……」 


 カーディナルの言葉に、魔王が興味深そうに赤い目を細める。


「まずは人間に化けることのできる者がアルセの街に直接赴き、リオン様の情報を集めるのが得策でしょう。人間たちに竜と戦った者について聞いて回れば、リオン様の手がかりがつかめると思われます」


 すると、四天王たちが次々に声を上げた。


「それならば、私にお任せください! 適任の部下がおります!」

「いえいえ、私に任せていただければ、必ずリオン様を連れ戻してみせます!」

「いやいや、魔王様、我こそが適任! お任せください!」


 口々に言った四天王たちに、魔王は命令を下す。


「誰でもよい! 直ちにエターナに赴き、リオンを連れ戻して来い!」


 こうして、魔王の忠実な部下である四天王たちは、リオンを連れ戻すために動き出したのだった。

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