第9話 嫌な予感

 まずは勇者とともに洞窟付近にいる冒険者たちが、荷物の中から干し草の束を取り出し、洞窟の前に積み上げはじめた。

 吟遊詩人のエルディはいつのまにか双眼鏡を取り出して、洞窟前の様子を見ている。


「火をつけて煙でいぶし出すのかな?」

「ああ。あの草の煙は魔物の嫌うにおいだ。住処すみかいぶすと大抵の奴は怒り狂って出てくる。それに、あの中には眩暈を誘発する薬草も混ぜてある。火竜にどのぐらい効果があるのかわからんが……」


 念のためにと大盾を持ちながら、状況を見守る剣士ダンの額にも緊張の汗が滲んでいた。


 勇者たちは対火竜用にいろいろと対策してきたようだ。

 洞窟の前に、こんもり積まれた干し草に火をつけると、紫色の煙が上がる。

 その前で魔導士ラヴィスが杖を振り、風魔法で煙を洞窟の中に送り込んでいく。


 洞窟に煙が充満するのを待つ間、冒険者たちは洞窟を取り囲むように陣形を組む。

 前列に大盾を構えた近接職の剣士たち、後列に遠距離攻撃の魔導士や弓を構えたスナイパーが続く。その後ろに回復や支援を担当する者たちが陣取った。

 洞窟に一番近い最前列には、青く光る剣と盾を構えたエリオネル。

 そのいでたちは、まさに勇者と呼ぶにふさわしい雄々しさと貫禄を備えていた。

 冒険者たちがふわりとした黄色い光に包まれる。後方で僧侶たちが唱えたダメージ軽減の魔法の影響だ。


 その時、洞窟から、耳をつんざくような音が轟いた。

 怒り狂った火竜の咆哮だ。

 空気が震える轟音に、リオンは思わず耳を押さえる。 


「来たぞ!」


 誰かが叫んだ瞬間、洞窟から炎が吹き上がった。

 前衛が盾を構えて防ぐ。

 直後、そこに現れたのは、緋色に輝く鱗に覆われた体長十メートルほどの火竜だった。

 勇者の号令と共に前衛の盾が一斉に突撃する。

 火竜の体勢が揺らいだ隙に、エリオネルは竜の右足に切りかかった。

 深い斬撃に赤い血が飛び散る。


「強い! さすが勇者様!」

「あの鱗を切れるとはな、やっぱスゲェよ勇者は」


 歓声を上げるエルディとダンの横で、リオンは冷静に戦況を観察している。

 後方の魔導士たちに混じって、僧侶イデアが手に持った四角い器具を目の前にかざしているのが見えた。


「あれ、ギルドの適性検査で使ったやつかな?」

 

 リオンの言葉に、腕を組んで観戦していたシルフィードが頷く。

 

「竜の能力を探っているようですね。勇者たちはフレスイードでも、こうやって魔族のデータを集めてたんでしょうね」

 

 リオンたちが見守る中、洞窟の前では激しい戦闘が繰り広げられていた。

 耳を塞ぎたくなるような火竜の咆哮が響く。

 直後に、真っ赤な口から吐き出される強烈な炎が冒険者たちを襲った。

 持ちこたえた前衛の後ろで、魔導士たちが氷魔法を火竜の顔面に浴びせる。 

 火竜が少し怯む。

 エリオネルはその隙を見逃さず、首を狙って切り込んだ。

 その後方で魔導士ラヴィスが、特大の氷魔法を竜の鼻面にぶつけた。

 痛みに大きく仰け反った竜の悲鳴が上がる。

 冒険者たちが、ここぞとばかりに攻撃を叩きこむ。

 鋭い剣撃、凍てつくような氷魔法に加えて、雨のように降り注ぐ矢が、火竜の巨躯に傷を残していく。

 緋色の鱗が赤い血に染まる。

 戦況は、勇者側が圧倒的優位に進んでいた。

 

 ふいに、シルフィードが言った。


「あの火竜、雌ですね。確かギルドの報告書には若い雄だと……」

「確かに雄にしては角が短いな……調査員が見間違えたかな?」


 ダンも首を傾げる。

 リオンはなんだか嫌な予感がしたが、気のせいだと思うことにした。

 しかし――気のせいじゃなかったのだ。


 突如吹き荒れた上空からの熱風に、リオンは空を仰ぐ。

 空の青を裂くように巨大な影が差し込んだ。

 そこにいたのは、大きく翼を広げた赤黒い鱗を持つ火竜――


「二匹目……? 嘘だろ…」


 呆然と呟くダンの言葉と同時に、空を旋回した火竜はリオンたちに向かって大きく口を開けた。

 そこから吐き出された激しい炎が襲いかかってくる。


 竜種は通常、群れない。

 単体で強大な力を持つ竜は、群れを作る必要がないからだ。

 だが、繁殖期は別だ。

 伴侶を見つけた竜の雄と雌は、一定の期間つがいとなって共に暮らす。

 洞窟の中で身ごもっている雌に、獲物を貢ぐ雄――おそらくギルドの調査員が見たのは、この雄の火竜だけだ。

 

 ダンがとっさに盾を構え、リオンたちの前に立った。


 「炎属性軽減アンチフレイム!」


 早口で呪文を唱える。ダンはブレスを魔法と盾で防いだ。

 しかし、直後に旋回した火竜の尾がダンを盾ごと横に吹っ飛ばした。

 ダンの身体は大きな岩に叩きつけられ、崩れ落ちる。

 そのまま、火竜はリオンたちには目もくれず、つがいの雌の元に向かった。 

 突如現れた二匹目の火竜の怒りの咆哮に、洞窟前の冒険者たちから悲鳴が上がる。

   

「ダン! 大丈夫ですか!?」 


 駆け寄ったエルディに、ダンは岩にもたれたまま言った。

 

「逃げろ……」


 掠れた声が漏れた口は、岩に叩きつけられた衝撃で吐き出した血にまみれていた。

 火傷を負った四肢は赤くただれ、投げ出された左腕は不自然に曲がっている。

 近くに転がった大破した盾とひび割れて破損した鎧が、彼の受けた一撃の強烈さを物語っていた。

 エルディは急いで動けないでいるダンを助け起こそうとした。

 しかしその手を、ダンは振り払う。 


「俺に構うな! 今すぐ走って逃げろ!」


 絞り出すようにそう言ったダンの目には、自分の責務を全うしようとするベテラン冒険者の強い意志があった。

 そんなダンに、エルディも焦る。 


「でも、このままじゃ死んでしまいますよ!」

「奴があっちに行ってる今がチャンスなんだよ!」

 

 ダンの視線が洞窟の方に向けられる。

 そちらは二匹目の乱入に、もはや阿鼻叫喚だ。

 勇者をはじめとした冒険者たちは、陣形が乱れるどころか、もはや戦いにすらなっていない。

 二匹の火竜の攻撃を受け、散り散りに逃げ惑う冒険者たち。

 だが、怒れる火竜たちがそれを許すはずもない。

 舞い上がる火炎と黒煙の中で、冒険者たちは次々と倒れ、勇者すらも翻弄されている。

 全滅するのも時間の問題だった。 


「シルフィード、いくぞ」

 

 低くそう言って、リオンは歩き出した。シルフィードもその後ろに続く。

 ダンが慌てて引き留める。


「やめろ!! おまえらが行っても、足手まといになるだけだ……」


 後半はもはや切れ切れに言ったダンの前にリオンは跪くと、その胸に手をかざす。

 口の中で小さく何か呟いた。

 その瞬間、ダンの身体は緑の光に包まれる。

 火傷を含めた身体中の傷が一瞬で治癒し、痛みも消えた。

 ダンは驚きに目を見開く。


「この回復力……大回復グレートヒールか? そんな高位の魔法が使えるなんて……おまえ、一体……」


「ただの小回復ヒールだけど?」


 肩をすくめたリオンの隣で、シルフィードがダンとエルディに眠りの魔法をかけた。

 これ以上、見られるわけにはいかない。

 ダンとエルディはその場で崩れ落ちた。

 シルフィードは深海のような青い瞳でリオンを見て微笑む。 


「リオン様、いいんですか? 勇者に味方することになりますよ?」

「前金の銀貨もらっちゃったし、あいつらには世話になったからな」

 

 リオンはシルフィードを見上げてニッと笑った。

 

「通行証の恩は返さないとね」


 リオンとシルフィードは、二匹の火竜が暴れまわる戦場へと足を向けた。

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