ウェルフェアウェル

ハセ

1

 駅前のファーストフード店で遅い昼食をとっていると、手首の端末が振動を伝えた。口の中の物を慌ててコーヒーで流しながら、透はイヤホンを叩いて応答した。

「はい、カバテック営業佐々木でございます」

『突然のお電話で申し訳ございません。私、ウェルフェアウェルコーディネーターの三嶋と申します』

 聞こえてきた声に一瞬戸惑う。液晶画面を確かめてやっと、それが社用ではない、個人のスマホで受けた電話なのだと気付いた。相手はアンノウン、端末には登録されていない個人。

『佐々木透様のお電話でよろしいでしょうか』

「そう、です。ええと、三嶋さんですか?」

『はい。葬儀会社の、と言えばお分かりになるでしょうか。明日朝10時に面談のご予約をいただいております』

「もちろん、分かり、ます……げほっ」

 飲み込み切れなかったポテトの欠片が喉を引っ掻き、咳してしまう。『大丈夫ですか』という柔らかな声が耳をくすぐるのを、透は鳥肌の立つ思いで聞いた。

「……すみません、大丈夫です。三嶋、拓さんですよね。どうも、この度は、お世話になります。よろしくお願いします」

『こちらこそ、どうぞよろしくお願いいたします。今、少しお時間よろしいでしょうか』

 それは透が一方的に聞き慣れた声だった。話すことを仕事にしている人間らしい、朗らかで明瞭な発声。しかし彼はどこか外にいるらしく、背後にはざわめきや子供の泣き声が聞こえていた。

 透は手首の時間を見た。午後4時半。5時までに来るはずの取引先からの連絡はまだ来ていない。

「少しなら、大丈夫です。……すみません、例のテロのせいでちょっと、仕事がバタついてまして。頑張らないと明日の有休怪しくて、お会いできなくなりそうで」

 乾いた笑いで焦りを誤魔化す。『その明日なのですが』と三嶋が引き取った。

『申し訳ないのですが、スケジュールの調整をお願いできないでしょうか。……というのも私が、今大阪におりまして、例のテロで動けなくなってしまい』

「えっ」

 透は思わず高い声を上げる。周囲の客の視線を集めてしまい、慌てて声を抑えた。

「え、それ、大丈夫ですか。何か巻き込まれたとかですか」

『いえ、私自身は大丈夫です。ただ、乗った新幹線がずっと動かなくて弱りました。なんとか今日中に東京に着ければいいと思っていたのですが、先程乗務員の方に伺ったところ、今日は行けても京都止まりになるだろうと』

「……え? それじゃ今、新幹線に閉じ込められてる感じですか?」

『ええ、まあ』

 巻き込まれてるじゃないですか、と透は言いかける。電話口の向こうで聞こえる子供の泣き声に、一気に同情心が押し寄せた。しかし三嶋は落ち着いていた。

『私のことはいいのですが。佐々木様には、もっと早い時点でご連絡をさしあげるべきでした。申し訳ございません』

「いや、そんなの三嶋さんが謝ることじゃないです」

 言いながら、透は無意味に両手を握った。

「もしお電話やリモート会議でもよろしければ、明日予定通りのお時間で承ることも可能かと思いますが」

「あ、いや、いいですよ。それじゃ三嶋さんが大変でしょう。それにリモートはちょっと……うち壁薄くて、電話の内容が隣に丸聞こえなんです。かといって、外で赤の他人に聞かれるのももっと嫌ですし」

『仰るとおりですね。失礼いたしました。では他の日に振替ということで。ご希望の日を伺えますか』

「ちなみに土日って、ありですか。サイトから申し込んだときは、平日しか空いてない感じでしたけど」

『今回は弊社都合の変更ですから、佐々木様のご希望を優先的させていただきます。二回目以降はまたご相談となりますが』

 じゃあ、と土日祝ばかりで候補日を挙げると、振替先はその中から最も早い日に決まった。三嶋はどこまでも丁寧だった。

『後ほどメールでもご連絡さしあげます。ご調整いただきありがとうございました』

『いえ。おれのは、今日明日どうにかしなきゃって話じゃないですし。…… 連絡いただけてよかったです。なんというか、命の方が大事ですから。おれなんかが言うのも変ですけど、家に帰れたらよく休んで下さい、三嶋さん』

 すると、それまでテンポよく続いていた会話が途切れた。三嶋が黙ったのだ。年上を相手に失礼な物言いをしただろうかと、透は焦る。しかしすぐに耳の傍で、ふっと息を零すような気配があった。

『ありがとうございます。佐々木様も、どうぞご自愛ください』

「あ、ハイ、ども。……じゃあ、失礼します」

 もう少しまともな終話ができただろうと、後から思っても遅い。

 透は落ち着かない心地だった。液晶を何度か光らせてみるが、取引先からの連絡はまだ来ない。

 テロは、5時間ほど前に起きた。

 大阪のサミット会場、大阪市内のホテル、京都駅に停車中の新幹線車両内で、立て続けに爆発が起きたのだ。

 報道によれば、一連の死亡者は5名。全員が不運な一般市民だった。サミット会場では日本政府の事務方に怪我人が出たが、SPやスタッフを含め諸外国の人々に被害はなかった。他の場所でもいくつか爆発物が見つかったが、それらはすべて不発のまま機動隊に処理されたという。

 それなら、と世間は思ったはずだった。5名ならまだいい、と。人々は失われた命よりもむしろ、大きく乱れた交通や物流のほうを、直接的な被害として受け止めていた。

 ここ10年、日本の治安は悪化の一途を辿り、爆発物による悪質な悪戯や通り魔的な殺傷は、もはや珍しくもなくなった。今日の事件は諸外国の要人を巻き込んだことから大きく報道されたが、死者の数が片手に収まるような事件は、世間に知られないまま終わることもある。

 今では誰もが知っている。人は人が思うよりもずっと簡単に死ぬ。

 透は小さく深呼吸して、冷めたバーガーに手を伸ばした。ほとんど噛まずに食べ切って、コーヒーを最後の一滴まで飲み干す。紙ナプキンで乱暴に口を拭いながらやっと思いついて、着信履歴の先頭にあった番号を端末に登録した。

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