味の感想
三月
第1話
久しぶりというと、松崎は眩しかったのか天井に下がった電球を見やって火に掛けた鉄瓶を触るようにジョッキを取った。
まだ名古屋に居るの?
いいやと彼は首を振り自分はいま任官して実習生のようなことをやっているからと答え、私は知っていたけれどそりゃ意外だというように驚いてみせた。というのも、高校時代の友人たちと会えば大抵、自分の境遇を手札にしてあれこれ見せあうからだ。拮抗するといつまでも勝負がつかない。負けるは勝ち、だった。彼は静かに口を付け、手を擦り合わせると布巾で拭った。それから肉が焼けるのを待つように手元を見ていた。その間、私は松崎と最後に会ったのなんて学生の頃になるけど、よく何のしこりも無く会えるものだ。いやしかしどんなに仲良くなった人間がいても、一人になった時に思い出すのは高校時代の、最近は
次を頼むと、松崎は
たとえば彼は採用面接の対策で、職務経験にホテルの短期求人をやったことを話した。某所は三千寺筋の裏にある「サンゼンジビル」と佐川急便の出張所に挟まれており、ルームサービスが付かない代わりに安かった。若い客が多く、次々に出入りするうえにカウンターにいる彼もまだ学生らしいものだから、接客している方は
ある日、34号室に入ろうと
それじゃどうぞ、でも終わったら部屋から出てって。
相談所の人がここに来るの、と尋ねた。
いつも来るわ、何日か泊めてくれた後に、やっぱりお母さんの所へ帰りなさいって言うのよと彼女はいった。親御さんのところが一番だって。
どうしてここに?
ここから動けないから。それに死んじゃってるもんねと彼女はいい彼の顔を
嘘だ。
なんで。
本当なら、同じ場所に居ないだろ。死んだ後ならもっと慎重に、用心深くなる筈だ。なんたって一度死んでるんだから。
それじゃあ……忘れ物があったらどうするの。
残ってないよ。
それでも、残ってたらどうするの。
残ってたってそれが本物だって訳でもないし、過去にあったって証明になる訳じゃない。
じゃあもうそれっきりってこと?
もう無いものについて何か言うなんて、只のいかさまだってだけだよ。
彼女は
うん。
あそこに、といって少女は空調ダクトを指した。紙飛行機が入っちゃったの。
成程、椅子を使っても取れない訳だと松崎はいいながら椅子を起こし座面に乗ってダクトのねじを袖を使って拭ってから爪で回して開けた。そして薄暗くかび臭い
私は、その子は弟を取り戻したかったのだろうといった。松崎は死人にも身内があるなら、死んだ場所なんてもっと変えられないだろうなといい硝子の
次に電話が掛かってきたのはあれから暫くのことで、出ると向こう側は松崎の兄を名乗り、彼が違法漁業の調査中に安全プロペラに巻き込まれるという不幸な事故に遭った、木曜には通夜をやるからと告げた。私は逡巡し、地元が違うし邪魔をしたくないので遠慮するが、お別れならさせて欲しいといった。
少しと経たず、彼の家に線香をあげに行った。彼の写真の隣にはもう二枚ほど写真があった。松崎の兄と少し話をした後、市販の温泉饅頭を土産に見送ってくれた。私の好きなやつだった。田んぼ同士で挟み撃ちされたどこにでもあるような路を辿る帰途、包みを開け饅頭を食べるとなに一つといっていい、変わらない味がした。
味の感想 三月 @sanngatu
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