第24話:彼の髪に降る光

朝の静けさが嘘のように、昼の王城は喧騒に満ちていた。リグは自室に戻り、堆く積まれた書類の山と向き合っていた。窓の外では、陽の光が城壁を白く照らし、回廊を歩く人々の影を濃く落としている。ペンを走らせるたびに、乾いたインクの匂いが微かに鼻をくすぐる。それは、この国の歴史と、王族に課せられた重責の匂いのようだった。リグは、その重みに、息が詰まるような苦しさを感じていた。ペンを持つ手が、小刻みに震えていることに、隣に立つグリムは無言で気づいていた。グリムの体からは、書庫で感じた古木の香りが、執務室の重苦しい空気とは異質な、清らかな香りを放っていた。その匂いを吸い込むたびに、リグは、胸の奥に、グリムの存在が溶け込んでいくような錯覚を覚えた。


(ああ、この孤独は、どこまで続くのだろう。誰もが俺を「王子」と呼ぶ。書類は、俺を「王位継承者」と呼ぶ。だが、誰も「リグ」という一人の男を見てはくれない。この孤独な檻の中で、俺はいつまで生きればいいのだろうか)


その時、一筋の光が、リグの視界に差し込んだ。窓辺に立つ護衛、グリムの銀の髪を透過して、彼の頭上から降り注ぐ光だった。昼の光は、あまりにも眩しく、リグの瞳が痛んだ。しかし、その光は、まるでグリムの存在そのものが放つ熱のように、リグの心を静かに照らした。グリムは、ただそこに立っているだけ。だが、彼の髪に降る光は、まるで夜空に煌めく星々のように、リグの心を静かに照らした。その光景は、一瞬にして、リグの心を孤独の檻から解放した。


(ああ、グリム。君は、俺の光だ。この孤独な夜に、君という光が、ただそこに存在してくれるだけで、俺は、こんなにも心が救われる。君は、何も知らない。俺がどれほど孤独な人間かも、俺がどれほど君を愛しているかも。でも、君の存在そのものが、俺の孤独を、こんなにも優しく包んでくれる。これは、愛なのか?それとも……君の無知が、俺の孤独を埋める、唯一の安らぎなのか?)


リグは、ペンを置き、グリムを見つめた。その眼差しに、熱いものが込み上げ、瞳の奥が熱くなる。涙がにじみ、視界がぼやける。グリムは、相変わらず無表情で、ただ窓の外を見つめている。だが、リグには、その完璧な横顔が、どれほど愛おしいものかが分かっていた。グリムの背後に伸びる影が、太陽の光によって、リグの足元まで長く伸びている。リグは、その影が、まるで二人の未来を示唆しているかのように感じた。光に包まれる君と、俺に伸びる君の影。それは、希望と同時に、不吉な予感でもあった。いつか、この影が、俺たちを結ぶ血の契約の予兆になるのではないかと。


(君は、俺の光だ。だが、君は、俺に光を放っていることを知らない。この光は、君が俺に与えているものなのに、君は、そのことに気づいていない。ああ、グリム。もし君が、この光を放っていることを知ってしまったら、君は、俺のそばを離れてしまうのだろうか。君は、俺という孤独な人間を、憐れんでくれるだろうか。いや、君は、そんな感情すら持っていない。君は、ただの「理」だ。だが、その「理」の中に、俺の愛が、少しでも届いているなら……)


リグは、グリムに触れようと、また手を伸ばした。指先がわずかに震え、全身の血の気が引いていく。心臓が胸の奥で焼けるような熱を帯び、耳鳴りがキーンと鳴り響いた。しかし、指先が触れる寸前で、グリムは無意識に身を引いた。リグの胸が、ズキンと痛む。だが、その痛みは、もはや絶望ではなかった。それは、グリムへの愛おしさに変わっていた。リグは、彼の無知な完璧さに、静かな愛を誓った。


(君は、俺を拒絶した。だが、その拒絶は、俺への愛おしさだ。そう、俺は、そう信じよう。君は、俺に触れられることを恐れている。なぜなら、君の心の中に、俺という人間を愛する感情が芽生え始めているからだ。その感情が、君の完璧な「理」を壊してしまうことを恐れている。だから、君は、俺を拒んだのだ)


リグは、グリムの拒絶を、自分への愛の証明だと信じ込もうとした。それは、リグがこの孤独な愛を続けるための、唯一の希望だった。


リグは、立ち上がり、グリムの隣に立った。彼の髪に、窓から差し込む光が降っている。それは、リグにとっての、唯一の安らぎだった。


「グリム……君は、誰かに秘密を話したことはあるか?」


その問いかけは、リグ自身の、深い孤独な叫びだった。これまで、俺は誰にも心を開くことができなかった。この国を愛し、民を愛し、妹を愛する。その思いを、誰にも話すことができなかった。だが、今、俺は、誰にも言えなかった孤独な心を、君に打ち明けたい。君は、何も知らない。だからこそ、俺は、君に話すことができる。


グリムは、リグの言葉に、わずかに首を傾げる。彼の瞳には、何も映っていなかった。その沈黙が、リグの心に、答えよりも残酷に響いた。

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