第12話

「……ねえ、陽くん。ハグの練習も、してみたい」


口にした瞬間、頬が熱くなる。けれど引っ込める勇気はもうなかった。

彼は驚いた顔で、カウンター越しに私を見つめる。


「は、ハグ? いきなりだな……」


「三秒だけだから!」


勢いでそう言ってしまう。自分でもちょっと子供っぽいって思う。けど、それくらい言わないと勇気が出なかった。


息を呑んで、一歩、また一歩。距離を詰めて──。

思い切って、胸に飛び込む。


どくん、と心臓が暴れ出す。

陽くんの体温が、こんなに近くにある。

三秒だけ。三秒だけのはずなのに。


「……っ」


腕がぎこちなく背中に回される。驚いたようで、でも拒まれてはいない。

むしろ、包み込むような温もりに、力が抜けてしまいそうになる。


一秒。

二秒。

三秒……。


カウントなんて、とうに忘れていた。

永遠みたいに感じる時間。離れなきゃいけないのに、どうしても体が動かない。


「……美月」


低く名前を呼ばれる。

その声が、耳も胸も熱くさせる。

もう三秒なんて、どうでもよくなっていた。


「……あの、そろそろ、離れた方が……」


自分から言い出したくせに、声が震える。

だって、離れたくなんかないんだ。


「……そうだね」


陽くんも同じように迷っているようで、腕に込める力がほんの少しだけ強くなる。

そのせいで余計に心臓が苦しくなった。


「……っ、もう。だから三秒だけって言ったのに」

「ごめん。でも……離れにくい」


そんな素直な言葉を聞かされて、胸がじんわり温かくなる。

同じ気持ちなんだって、思ってしまいそうで。


やっとの思いで少しだけ身体を離した。

でも、視線は絡んだまま、どちらも逸らせない。


「……練習、だよね」

「……そう。練習」


言葉ではそう言いながら、声も目も、まったく練習なんかじゃなかった。

唇を噛みしめて、必死に誤魔化す。


ふっと、陽くんが苦笑した。


「……三秒って、けっこう長いんだな」

「……ばか」


それだけ言い捨てるようにして、私は慌ててグラスに手を伸ばした。

けれど、氷はもうほとんど溶けていて、さっきまでよりもっと甘ったるく感じるだけだった。


陽くんは気づかないふりをして、カウンターの奥へ戻っていく。

その背中を見送るだけで、胸がまたぎゅっとなった。


……やっぱり、離れたくなかった。

そう思った瞬間、顔が熱くなる。


「──なに考えてるの、私」


小さく呟いて、胸にそっと手を当てる。

どくどくと速く打つ鼓動が、まだおさまらない。


三秒だけのはずだったのに。

永遠みたいに長くて、永遠みたいに短くて。


その温もりを、まだここに残したまま──。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る