第10話~ミルフィーユ、襲われる~

早朝。

太陽さんが東からキラキラと顔を出し始めた頃、私は目を覚ました。


まだ鳥も眠っているらしく、歌声は聞こえない。

ただ静かな川のせせらぎだけが耳に届く。


川の周りには薄いモヤがかかり、神秘的な雰囲気を漂わせていた。


私はボウルの顔を覗き込む。

彼はぐっすり眠っていて、私が起きたことにも気付かない。


焚き火を見ると、火が消えかかっていた。


「あ……。」


私はボウルの腕からそっと抜け出し、パタパタと飛んで手頃な枝を折り、焚き火にくべる。


「ん?」

けれどその枝はなかなか火がつかず、ジュワジュワと変な音を立て始めた。


慌てて息を吹きかけると、今度は煙ばかりが立ちのぼる。


「ああああ……。」


焦った私はまた枝を折ってはくべ、煙を増やしてしまう。


「ゴホッ、ゴホッ!」

後ろで寝ていたボウルが煙に巻かれて咳き込んだ。


「あっ、ボウルぅ……。」


半泣きになった私は助けを求めるように見上げる。

ボウルは一目で状況を把握し、手際よく火を消した。


それから落ちている枝を拾ってきて、改めて火を起こす。


その間に、私は川へ飛んで魚を何匹も捕まえてきた。


「焚き火は枯れ枝を使うんだ。生きてる枝を折ったら木が痛いだろ?

それに、水分を含んでるから思うように燃えないんだ。」


「でも……ミルフィーユの空からの魚取りは本当に効率的だな。俺がやるより確実だ。」


私の失敗を嗜めながらも、ボウルはちゃんと褒めてくれる。


「焚き火は枯れ木。」

私は教えられたことを繰り返す。


「そう。枯れ木。」


「枯れ木!」


「そう、枯れ木。」


「枯れ木!」


「枯れ木。」


「枯れ木!」


「枯れ木。」


途中からただの「枯れ木合戦」になってしまった。

でもそれが楽しくて、魚を食べながら私はクスクス笑った。


食べ終わると火を消し、私たちは歩き始める。


ピチピチと鳥が歌い出し、林道は鳥や川の歌声で賑やかになる。

太陽さんは空の上から川をキラキラ反射させて遊んでいた。


「ぴちぴちゅぴち。」

楽しくなった私は、よく分からない鳥のマネをする。


それを見て、ボウルも合わせて歌い出した。


2人で歩く川原は、鳥や川や虫たちの歌でオーケストラのように賑やかになった。


時々、道行く馬車がそんな私たちを見て、クスリと笑っていく。

私は嬉しくなって馬車に手を振る。


御者のおじさんも、私を見て手を振り返してくれた。


「馬鹿、あまり目立つな。」


事情をよく分かっていない私は、楽しい気持ちのままボウルに叱られる。

「うん……。」と不満げに返事をしながら、足元の石をコツンと蹴った。


* * *


しかし、そんな呑気な私も――

体が硬直する出来事に遭遇する。


それは、その日の夜のことだった。


太陽さんが沈みかけ、今夜はここで休もうと決めて。

ボウルは焚き火を起こし、私は魚を捕まえ、2人で晩ご飯を食べた。


そこまでは順調だった。

けれど――


グルゥゥゥ……


私を抱いていたボウルの喉から、威圧するような低い唸り声が響いた。


「……ボウル?」


私は怖い顔のボウルを見上げ、そして彼の視線の先に目をやる。


「……4本足の……ボウルが3匹いる……。」


思わず、見たままを口にしてしまった。


「あいつらが狼だ。俺の退化した姿だ。ミルフィーユは空へ飛んでいろ。」


ボウルはそう言って、私を抱く腕をゆるめる。

戦い方を知らない私は、邪魔にならないよう言われた通りにパタパタと空へ舞い上がった。


私が飛んで安全を確保したのを確認すると、ボウルは音もなく立ち上がる。


「ガウッ、ワウッ!!!」


低く響く威嚇の咆哮。

その声に3匹の狼が一斉に飛びかかってきた。


タンッ、タンッ――


ボウルは即座に後ろへ飛び退き、木の幹を蹴って跳ね上がる。

次々に幹を蹴っては宙を舞い、まるで木々の間を駆け上がるように高度を上げていく。


――レベッカの前で見せた動きだ。

だが今回は違う。少しずつ高い場所へ登りながら、狼たちを翻弄している。


混乱した狼たちは三方向に散り始めた。


その瞬間、ボウルはある程度の高さから1匹を狙い、木の幹を蹴って急降下する。


バシュッ!


狼の喉元に牙が深々と突き立った。

もがく相手を前足で押さえ込み、さらに口を塞ぎ――首を食いちぎる。


「ギャウンッ!」


絶叫と共に狼は崩れ落ち、血を散らしながら地に倒れ込む。


「……俺も年老いたな。下級の狼風情すら、威嚇で追い返せなくなるとは……。」


口元の血をぬぐいながら、ボウルは残る2匹に眼光を放つ。

月明かりに照らされたその瞳は、不気味な光を宿していた。


怯え始める2匹――


その隙に私は地面へ降り、落ちていた枯れ木を拾う。

焚き火に差し込み、息を吹きかけて炎を灯し、松明のように掲げた。


「近づいてきたら……これを……!」


狼が迫ったら火にもう一度息を吹きかけて炎を強め、投げつけてやろうと構える。


だが――


ボウルの凄みに圧倒されていた狼たちは、背後で突然炎が燃え上がったのを見て悲鳴を上げ、慌てて森の闇に逃げ去っていった。



狼が逃げていくのを確認したボウルは、ゆっくりと私のところへ戻ってきた。

私は手にしていたたいまつを焚き火に放り投げ、ボウルに駆け寄る。


「ボウル、怖かったよぉ……!」


初めて襲われる恐怖に、張り詰めていた心が一気にほどける。

寒くもないのに体がガクガク震え、涙が止まらなくなった。


「ああ……怖かったな。だが、たいまつで“ドラゴンファイア”とは考えたな?」


ボウルは私の作戦を一目で見抜き、頭を撫でてくれる。

私はその足にしがみつき、泣きながら自分の無知さを痛感していた。


昨日の夜、ボウルが言った「危険」とはこういうことだったのだ――そう直感した。

それなのに私は「負けないもん」なんて無責任なことを言ってしまった。


「ごめんなさい、ごめんなさい……。」


私は涙声で何度も謝り続けた。


チュンチュン……。


気がつくと、もう朝が来ていた。

いつの間にか泣き疲れて眠ってしまっていたらしい。


起き上がると、川から戻ってきたボウルがびしょ濡れのまま魚を手にしていた。


「あ……ボウル、ごめんなさい。」


私がまた謝ると、ボウルは苦笑して返す。


「謝りながら寝て、謝りながら起きるのか?どれだけ謝るんだ。」


「今のは朝ごはんを取らせちゃったことへのごめんなさいだもん!」


むきになって言い返す私を見て、ボウルは鼻で笑いながら魚にかじりついた。


「しっかり食えよ。これが最後の釣りたてだ。」


「えっ?」


「今日の昼には都会に着く。今夜は宿で寝るぞ。」


「ええっ!じゃあ、今夜はふわふわのお布団!?」


思わず身を乗り出して尋ねると、ボウルがニヤリと答える。


「布団だけじゃねえ。風呂にも入れる。」


「ボウル、一緒に入ってくれるの!?」


「ごほっ、ごほっ……!」


私の言葉にボウルはむせ返った。

ボウルは一度も私やレベッカと風呂に入ったことがない。

ロベルトとも一緒に入った姿を見たことがなかったから、よほど誰かと入るのが嫌なのだろうと思っていた。


「今夜は1人かぁ……。もう溺れたりしないけど、洗いっこしたかったな……。」


私は小さくつぶやいた。

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