SCENE#83 遠山警部補の事件ファイル① 〜モーターリック・ビート
魚住 陸
遠山警部補の事件ファイル① 〜モーターリック・ビート
第1章:メトロノームは止まらない
薄暗いスタジオに、規則的なビートが響き渡っていた。まるでメトロノームが刻む拍子のように、正確で、無機質で、そして、ひどく冷たい…真ん中にあるドラムセットの前に、高名な音楽プロデューサー、黒田慎吾が倒れている。彼の胸には、鋭利な刃物が突き刺さり、その手には、まるで抵抗したかのように、折れたドラムスティックが握られていた。
現場に駆けつけた警部補の遠山は、冷静な目で周囲を見渡した。黒田のPCに残されていた未完成の楽曲、そのタイトルは「モーターリック・ビート」。この曲のビートは、黒田の心臓の鼓動を模していると、生前語っていたという。遠山は独り言のように呟いた。
「自分の心臓を、自分で止めるような真似をするやつがいるか。これは、誰かの手で止められた鼓動だ…」
遠山は、黒田の近くに落ちていた懐中時計に目が留まった。それは、古びた真鍮製の懐中時計で、表面には『T.A. to S.K.』というイニシャルが刻まれていた。遠山は、この時計が事件の鍵を握っているかもしれない、と直感した。
容疑者は絞られていた。黒田に才能を潰された過去を持つ元ミュージシャンの青木、金銭トラブルを抱えていたマネージャーの佐藤、そして黒田の愛人であり、彼から別れを告げられていた歌手の麗奈。遠山はまず、彼らのアリバイを洗い直すことにした。
青木に電話をかけると、彼は恨みを露わにした。
「あの男は俺の才能を潰したんだ!俺の曲をパクって、俺の人生を破壊した。自業自得だ!」と叫んだ。
佐藤は、契約書の問題を認めつつも、「彼は金の卵を産むガチョウだった。殺すなんて馬鹿げてる!」と冷静に答えた。麗奈は、別れ話をされたことを認め、震える声で「私は、彼の人生の終止符を打ったんじゃない…彼が私に、彼の人生の終止符を打たせたのよ…」と呟いた。
第2章:歪んだリズム(麗奈の視点)
私は、あの晩、黒田のスタジオに行った。彼に別れ話をされた後、いてもたってもいられなかった。私は、彼に贈られた指輪を返そうとした。「もうお前は用済みだ!」と彼に言われ、私の心は引き裂かれた。それでも、私は彼を愛していた。
「ねえ、慎吾…私たちの思い出の曲、覚えてる?」
私は、彼が私に初めて贈ってくれた曲のメロディを口ずさんだ。すると、彼は憎しみに満ちた顔で言った。
「その曲は、もう存在しない。俺は、お前との関係を全て消し去るために、新しいビートを作ったんだ。それが、この『モーターリック・ビート』だ!」
彼が再生した曲は、私たちの思い出のメロディを、無機質で冷たいビートに歪ませたものだった。私は、彼に贈られた指輪のケースに隠されたナイフを握りしめた。それは、護身用にと彼が私に持たせたものだった。私は叫んだ。
「私たちの愛は、こんなにも軽かったの…?」
私は、彼に近づき、彼の胸にナイフを突き立てた。彼の顔から、憎しみと傲慢さが消え、一瞬、昔の優しい顔に戻ったように見えた。その時、彼の心臓の鼓動が、私の手の中のナイフを通じて、私に伝わってきた。それは、まるで、あの「モーターリック・ビート」そのものだった…
第3章:金の卵を産むガチョウ(佐藤の視点)
俺は、あの晩、黒田のスタジオに行った。彼の新作「モーターリック・ビート」の著作権を巡って、契約書にサインをさせようとしたんだ。だが、彼はいつものように強引で、こちらの要求には耳を傾けなかった。
「この曲は、俺の人生そのものだ。誰にも渡すものか!」
そう言って、彼は契約書を床に投げつけた。俺は、冷静を装いながらも、内心では激しい怒りを覚えていた。彼がどれだけ金を稼いでも、俺の手元には一銭も入ってこない。彼が死ねば、彼の莫大な遺産は俺のものになる。そう考えた俺は、ふと、スタジオの隅にあるドラムスティックに目が留まった。そのスティックは、青木という元ミュージシャンのもので、彼が黒田に才能を潰されたことを知っていた。俺は、このスティックを、ある計画に利用しようと思いついた。
「あなたと私には、いつも不協和音が鳴り響いている…黒田さん、あなたは金の卵を産むガチョウです。でも、ガチョウが暴れれば、首を絞めるしかないでしょ…」
俺は、彼のPCから「モーターリック・ビート」のデータを消去した。しかし、バックアップファイルが残っていた。俺は、データを消去できなかった焦燥感と、彼への憎しみから、思わず彼の胸ぐらを掴んだ。その時、彼の心臓の鼓動が、俺の手に伝わってきた。まるで、あの「モーターリック・ビート」のように、正確で、冷たい。
俺は、この男は、もう金の卵を産むガチョウではない、ただの金の亡者だと確信した。俺は、奴を突き飛ばし、スタジオを後にした…
第4章:隠された拍子(青木の視点)
俺は、黒田のスタジオに行った。奴の新作が「モーターリック・ビート」だという噂を聞きつけたからだ。奴は俺の曲をパクって、自分の才能を売り物にしていた。ただ、ただ許せなかった。
スタジオのドアをこじ開けると、奴が倒れていた。そして、麗奈が立っていた。彼女の顔は、憎しみと絶望に歪んでいた。彼女の手には、血に染まったナイフが握られていた。
「…青木さん…見て…!この男…私たちの人生を、こんな風に…」
麗奈は、泣きながら私に訴えた。俺は、彼女に気づかれないように、懐中時計を手に取った。それは、『T.A. to S.K.』と刻印されていた。『T.A.』は、アオキ・タツヤ。俺の名前?奴は、俺の曲をパクるだけでなく、俺が師と仰いでいた音楽家、ツヨシ・アサクラの懐中時計まで盗んで、自分のものにしていたのか。
俺は、麗奈を助けたいと思った。彼女は、俺と同じように、この男に人生を破壊された被害者だ。俺は、彼女に言った。
「逃げて。何も見なかったことにしてやる。俺が犯人だと言うから…」
麗奈は、俺に感謝するように頷き、スタジオから出ていった。俺は、彼女が残したドラムスティックを拾い、その一部を折って、奴の手に握らせた。そして、俺はPCから、俺の曲のデータに不自然なノイズを混入させた。これで、俺が犯人だと信じ込ませられる…
第5章:最後のセッション(遠山の視点)
遠山は、三人の証言を聞きながら、一つの奇妙な違和感に気づいた。彼らが語るストーリーは、それぞれ矛盾しているように見えて、どこか一つの線で繋がっているように思えたのだ。
青木が言った「不自然なノイズ」。佐藤が言った「不協和音」。そして、麗奈が言った「思い出の曲」。それらは、すべて「モーターリック・ビート」の中に隠されていた。
遠山は、三人をスタジオに呼び出した。
「この曲のどこに、犯人の手がかりがあるか、皆さん、わかりますか?」
青木は、リズムのズレを指摘した。「途中のベースラインが、不自然なほどに『ため』ている。まるで、誰かの心の葛藤を表現しているようだ…」と。遠山は、青木の言葉を聞きながら、彼が嘘をついていることを見抜いた。
佐藤は、不協和音の多さを挙げた。「まるで、誰かの悲鳴が混じっているようだ。彼が何かを隠しているように感じます…」と。
しかし、麗奈だけは、静かに言った。「この曲の冒頭のビート、これは彼が私に初めて贈ってくれた曲のビートなんです。…そして、この後の不協和音…まるで、あの日の私の悲鳴だわ…」
遠山は、麗奈の言葉に、確信を持った。彼女は、真実を語っている。そして、遠山は、黒田が倒れていた床の傷を、もう一度見つめた。その傷の「拍子」は、「モーターリック・ビート」の冒頭のビートと、完全に一致していた。
第6章:ビートの終焉(遠山と麗奈の対話)
遠山は、麗奈に詰め寄った。
「麗奈さん、あなたは、黒田に別れ話をされた後、スタジオに行って、彼と口論になった。あなたは、『二人の思い出を、こんな風に壊すなんて!』と叫び、彼が大切にしていたドラムヘッドを、あなたが握っていた指輪で何度も叩きつけた。その時、あなたが彼に贈られた懐中時計が、床に落ちた。その時計は、青木さんの師匠から、黒田が盗んだものだ…」
麗奈は、驚いたように遠山を見つめた。
「…なぜ、それを…?」
「青木さんが、落ちていた懐中時計を盗んだと言っていました。彼は、あなたが犯人だと知って、時計に印されていたイニシャルを利用して、あなたをかばおうとしたんです。彼は、自分を犠牲にしても、あなたを助けようとしたんですよ…」
遠山の言葉に、麗奈は涙を流した。
「そうよ…!あの男は、私の人生だけでなく、青木さんの人生までも、踏みにじった!彼は、私たちの愛も、才能も、何もかも、自分の音楽のためだけに利用したのよ!…だから、私、彼の人生を、終わらせてあげたかった…」
麗奈は、ついに観念した。彼女は、涙を流しながら、すべてを白状した。「モーターリック・ビート」は、黒田が彼女との別れを告げるために、二人の思い出の曲を破壊し、新しいビートとして生まれ変わらせたものだった。それは、彼女にとって、二人で歩んだ人生が完全に否定された瞬間だった。
スタジオに、ビートはもう響いていなかった。遠山は、静かに麗奈を連行した。黒田の人生は、歪んだビートと共に、静かに終焉を迎えた。そして、メトロノームは、永遠に止まることのない拍子を刻み続ける。それは、事件の真相を物語る、無機質な「モーターリック・ビート」として…
エピローグ
遠山は、麗奈を連行した後、再びスタジオに戻った。そして、懐中時計の裏にある、小さなレバーに気づいた。レバーをスライドさせると、時計の裏蓋が開き、そこに、黒田の筆跡で書かれた小さなメモが入っていたのだ。
「麗奈へ。俺は、お前との思い出を壊したかったんじゃない。俺の才能が、お前の愛に頼っていることが怖かったんだ。才能は、いつか必ず愛を裏切る。俺は、誰にも愛を奪われたくない。だから、お前を突き放した。…許してくれ…」
遠山は、メモを読み終え、静かに目を閉じた。黒田の非情な行動の裏には、彼自身の孤独と、才能への深い恐怖があったのだ。
麗奈は逮捕され、青木は再び音楽と向き合い始めた。しかし、彼の心には、麗奈をかばった罪悪感と、黒田との間に隠された真実が重くのしかかっていた。佐藤は、黒田の遺産を手にし、成功を収めたが、その顔には虚ろな笑みが浮かんでいた。彼らは皆、「モーターリック・ビート」に翻弄された人生を送ることになったのだ。
そして、遠山は、静かに懐中時計をポケットにしまった。彼の心の中で、無機質なビートが、今もなお響き続けている。それは、人間の心の闇と、それに翻弄された人生の、悲しい旋律だった…
SCENE#83 遠山警部補の事件ファイル① 〜モーターリック・ビート 魚住 陸 @mako1122
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