第二部 鳴らない鐘と幻影の塔

プロローグ

 ドクター・ヴァンスの事件が幻影都市の根源的な秘密を暴いてから、季節は二度巡った。

 都市の真実を探求し、その歪みを正すために設立された「都市真理探求室」は、今やアストラルムの未来を担う重要な機関として、市民にも認知され始めていた。

 室長となったアゼル・クレメンスと、副室長として彼を支えるリリア・フローレスは、ドクター・ヴァンスが遺した理論を基に、都市に満ちる『記憶の残滓レムナント』を時間をかけて慎重に浄化していくという、途方もない計画に着手していた。

 彼らの努力は、微かだが確かな変化を都市にもたらしていた。

 街を彩る幻影は、以前よりもどこか輪郭がはっきりと、そして色彩が鮮やかになったように感じられた。

 人々は、その変化を「空気が澄んだからだろう」と噂し、新たな時代の訪れを、漠然とした希望と共に受け入れていた。

 都市の中央にそびえる「幻影の塔」は、そんな再生の象徴であり、同時に、人々が決して触れることのできない聖域でもあった。

 その姿を絶えず変える塔は、ある時は天を突く巨大な水晶のように輝き、またある時は天へと昇る竜のように螺旋状の幻影を描く。

 市民にとって、それは見慣れた日常の風景であり、その内部がどうなっているのか、知る者は誰もいなかった。


 だが、その日。

 月が満ち、都市の魔力が最も安定するはずだった夜。

 ごく一部の、幻影に敏感な者たちだけが、奇妙な現象に気づいていた。

 都市全体が、まるで巨大な鐘が鳴ったかのように、ほんの一瞬だけ、深く、静かに「震えた」のだ。

 それは音ではない。魂の鼓膜を直接揺さぶるような、純粋な力の残響。

 その瞬間、街角の幻影のランプが瞬き、空中を泳ぐ幻影の魚たちが、一斉に動きを止めた。


 それは、都市の心臓が、自らを守るために鳴らした、最初の無音の警鐘。

 これから始まる、優しくも残酷な淘汰の、静かな予兆であった。

 まだ誰も、その意味を知らない。

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