行き先の無いバラ

『行き先の無いバラ』1話

 その人はいつも通り、土曜日の朝9時に花屋『スターチス』へとやって来た。


「おはようございます」


 その男性は、普段と同じく優しい笑顔を浮かべながらお店に入ってくる。

 やってきたその男性の名前は、丸山まるやまさん。常に優しそうな笑みを浮かべており、物腰がとても柔らかい人だ。

 彼は毎週土曜日に『スターチス』へとやって来て、いつも同じ“ある花”を花束にしてほしいと注文をする。

 私は店内に入って来た丸山さんに「いらっしゃいませ」と軽く頭を下げて、店内を見まわしている彼に改めて声をかけた。


「今日も前回と同じご注文でよろしいですか?」


 私の質問に、丸山さんは嬉しそうに微笑むと、ええ、と頷いた。


「いつも通りバラを一本。人に渡せるように包んでください」


 私はそれに「分かりました」と微笑み返すと、今日も来るであろう彼のために、一本だけ別で水につけて用意しておいた赤いバラを取り出した。そしてその花処理を作業台の上で行う。

 私がそのバラだけ別にしていたことに気付いたようで、丸山さんは「いつもありがとうございます」と感謝の言葉を口にした。そして作業をする私の邪魔にならないように、と配慮してくれているのか作業台から離れて店内の花たちを静かに歩きながら観賞しだした。

 丸山さんは平日の昼間はサラリーマンとして会社に通っている三十代の男性だ。いつか同じように花を包んでいる際に呟いていたことを思いだす。


「もう三十歳になってしまいました。若い頃は三十歳なんてオジサンだ、なんて思ってましたけど……僕ももうそのオジサンなんだなぁってしみじみ思っちゃいましたよ」


 笑ってそんな風に言っていたのが、この春先の事だったので、きっと彼は三十代前半くらいなのだろうと、私は思っている。

 なぜサラリーマンだと言うことまで分かるのかというと、何度か丸山さんが『スターチス』へ来店するようになり始めた頃。平日の朝に、スーツ姿で歩いていく彼の姿を見かけたからだ。その次の土曜日に『スターチス』へとやって来た彼にその事話すと、


「恥ずかしいところを見られてしまいましたね……。僕、スーツ似合わないんですよ」


 なんて、恥ずかしそうに頭をかいていた。私はそうは思わなかったのだけれど、きっと本人的には気になる所なのだろう。

 そんな事を思い出しながらも、花を包む手は休めずに店内を見まわしている彼に目を向ける。

 三十を過ぎたらしい丸山さんの左薬指には、指輪がはまっていない。一度彼に「この花束はどなたに渡されるのですか?」と踏み込んだ質問をしたことがある。

 あれは確か丸山さんが『スターチス』にやってきて、一カ月が過ぎた頃の事だった。愛の告白などでよく使われるバラの花をこの方に贈られる人は、どんな人なのかとても気になってしまい、好奇心を抑えきれなかった結果だった。そんな私の失礼とも受け取れる質問に、彼は恥ずかしそうに笑いながらも答えてくれた。


「実は、好きな人に渡しているんです」


 好きな人、という事はまだ恋人ではないのか……と自分の事でもないのに寂しく思ったが、ここまで真っ直ぐに気持ちを伝えてもらえたらとても嬉しいだろうなぁ、と思った。そして、こんなに熱烈に想いを伝えられる丸山さんは、素敵な男性だと感じて少し彼を見る目が変わったように思う。

 花の処理も終わり、ラッピングの用紙と袋を作業台の後ろの棚から取り出す。そして、バラを包みながら私は店内で飾られた花を眺めている丸山さんへ声をかけた。


「そういえば、意中の方との進展の程はいかがですか?」


 声はかけられた彼は、眺めていた花棚から目線を外し、私の方に向き直ると苦笑いを浮かべながら答えた。


「うーん、それがイマイチなんですよね……恥ずかしい事に」


 丸山さんは気まずそうに頭をかいた。


「あら、そうなんですか」


 進展していないという事実が意外で、私は驚いてしまう。


「気持ちとは裏腹で、なかなか上手くいかないものでして」


 そう力なく、はは……と笑った丸山さんの笑顔に私は寂しくなる。

 私だったら、バラの花束を贈られるという事はとても嬉しいことなのになぁ……と一瞬思うが、やはり人にはそれぞれの立場や関係性、考え方があるのだ。とこの仕事をしていてよく突き当たる事実に改めて気づく。

 お客様の事を自分の考えに当てはめて考えてしまったことが恥ずかしくなってしまい、先ほどまでの考えをすぐに捨てる。

 そして、気持ちを切り替えるために今朝のニュースで天気予報のキャスターが言っていたことを彼に伝える。


「そういえば、今日は全国的に桜が満開になるらしいですよ。お二人で見に行けたらいいですね」


 そう伝えながら、バラを包んだ紙とビニールをキュッと締める。


「あぁ、そうなんですか? だから桜の花びらがこんなに舞っているんですね」


 丸山さんは、店内からも見える桜の木を眺めて目を細めた。


「……そうですね。あの人と楽しくお花見ができれば幸せだろうなぁ」


 そう言いながら外を見つめる丸山さんの瞳は、桜を愛でているだけでなく他の何かも見つめているようだった。その視線の更に彼が見ているでろう何かに私も思いを馳せ、視線を戻すと再び彼の優しい瞳を見つめた。

 そっと視線を戻し、私は最後の仕上げに花を包んだビニールにリボンを結んだ。


「丸山さん」


 そして、作業台から少し離れて外を眺めていた丸山さんに声をかけて、振り向いた彼にバラの花束を手渡した。


「今日も、頑張ってくださいね」


 どうか、丸山さんの想いが今日こそ相手の方に届くように、と願いを込めて彼へ微笑む。


「ありがとうございます」


 丸山さんはバラを受け取って優しく笑い返してくれた。そして私に向かって一つ会釈をすると『スターチス』を後にした。

 バラの花束を大切に抱えて、歩いていく丸山さんの後姿を見送りながら、私は改めて彼の恋が上手くいけばいいのに、と思った。

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