第18話「待ち時間の海」

書類を郵送してから一週間が経った。神戸の公文書館に届いたはずの封筒を思うたびに、胸の奥がざわざわする。返事はまだ来ない。わかっている――海外便には時間がかかるって。でも、ノアはどうしても落ち着けなかった。



図書館の午後


 放課後、図書館の隅の席にノアは座っていた。机の上には、古い地図とノート、そして英語の歴史書。

 サラが隣に腰を下ろし、声をひそめた。


「今日も“Hyogo”の研究?」

「うん。港町のことを知りたくて」

 サラは苦笑しながらも、ノートパソコンを広げた。

「ほら、これ。神戸の古い港の写真。移民船の写真もあったわよ」


 モノクロの写真に写る桟橋、制服姿の係員、そして大きなトランクを抱えた若い男たち。

 その一人ひとりの表情に、ノアは曽祖父の影を重ねた。



カイの告白


 帰り道、駐車場でカイが足を止めた。

「俺さ……日本に行ったことないんだ」

 ノアは驚いた顔で振り返った。

「親父が何度か行こうって言ったけど、断ってきた。怖かったんだよ、自分の“ルーツ”に向き合うのが」


 しばらく沈黙が続いた後、カイは小さく笑った。

「でも、お前が頑張ってるのを見てると、ちょっとだけ興味が湧くんだ。俺も、いつか行ってみるかもしれない」


 その言葉に、ノアは自然と笑みをこぼした。

「じゃあ、次は一緒に行こうよ。案内役になれるくらい調べておくから」



父の横顔


 夜、ガレージで父がトラクターの整備をしていた。

「まだ返事は来ないのか」

「うん。でも、もう少しで届くと思う」

 父は短く頷き、黙ったまま作業を続けた。

 その背中を見つめながら、ノアは思った――父もまた、言葉にしないだけで旅立ちを待ってくれているのだと。



ノートのページ


 部屋に戻り、ノートを開いた。

 ページの上に書き込む。

•Step Thirteen: Wait. Learn. Prepare.


 そして、ページの隅に小さな文字で付け足した。


「待つ時間も、旅の一部」



夢の中の波


 その夜、夢を見た。

 見知らぬ港、青い波、潮風の匂い。桔梗の家紋を胸にした若い男が、振り返って微笑んでいる。

 遠くで汽笛が鳴り、波が足元をさらう。

 目を覚ましたとき、胸の奥に残ったのは、焦りではなく静かな高鳴りだった。

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