第15話「タイプライターの音」

週明けの午後、図書館の隅の席でノアは深呼吸をした。机の上には、日系人会から送られてきたメールのプリントと、祖父の木箱の中にあった書類のコピーが並んでいる。ページの上には見慣れない日本語の文字。目を細めても読めないが、その線や形が、何かを語りかけてくるようだった。



申請の壁


 メールには、「Koseki(戸籍)」という言葉が何度も出てきた。

 日本での家族記録――戸籍。そこに曽祖父の出身地や親族の手がかりがあるかもしれない。


 だが、その取得方法を読み進めると、想像以上に複雑だった。役所への正式な依頼文、翻訳、申請書類、本人確認……。ノアは頭を抱えた。


「まるでパズルだ……」



サラの力


 放課後、カフェテリアの隅でノアはサラにプリントを見せた。

「見て、ここ。“Formal request letter”って書いてある。どう書けばいいのか分からなくて……」


 サラはページをじっと見つめ、眼鏡を指で押し上げた。

「心配しなくていいわ。翻訳は手伝えるし、書き方の例も探せると思う」

「本当?」

「もちろん。ノアは調べることに集中して。書類は私に任せなさい」


 頼もしい言葉に、ノアの肩の力が少し抜けた。



カイの提案


 その夜、カイからメッセージが届いた。


「俺の親父が昔、戸籍を取り寄せた時の古いタイプライターの書類があるはずだ。探してみる」


 翌日、放課後にカイが封筒を持ってきた。中には、黄ばんだ紙に打たれた黒いインクの文字――日本語と英語が混ざった正式な申請書のコピーがあった。


「俺の親父が残してた。たぶん参考になると思う」

 カイの声は淡々としていたが、どこか誇らしげでもあった。

「ありがとう、カイ……本当に助かる」


 封筒を胸に抱えた瞬間、ノアは胸の奥が温かくなるのを感じた。



父の沈黙


 家に帰り、ガレージで父に封筒を見せた。

「日本の記録を請求するんだ。正式な書類を書いて、送ることになると思う」

 父はエンジンを拭く手を止めずに言った。

「そうか」

 短い返事。でもその声の奥に、ほんの少しの期待が混じっているのをノアは感じた。



ノートのページ


 夜、机の上でノートを開く。

 新しいページの上に書き込む。

•Step Ten: Draft the request letter.

•Send documents to Kobe archives.


 そしてページの隅に、小さな文字でこう書いた。


「旅はもう始まっている」



タイプライターの音


 眠りにつく前、ノアは想像した。古いタイプライターのキーを叩く音。カチカチと響くその音が、遠い国への扉を少しずつ開いていくように思えた。


 潮風と桔梗の家紋――その先にある何かが、確実にノアを待っている。

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