第9話「響く名前」

 昼休みのカフェテリア。ざわざわとした喧騒の中、ノアはトレイを抱えて窓際の席に向かった。ジェイデンとサラ、そしてカイがもう座っている。


「で、進展あったのか?」

 ジェイデンがトルティーヤチップスをつまみながら聞いてきた。


 ノアはバックパックからノートを取り出し、ページを開いた。そこには、震えるような筆跡で書かれた単語があった。


“Hyogo Prefecture”



不思議な響き


「ヒョーゴ……プリフェクチャー?」

 ジェイデンが口の中で転がすように発音した。

「多分、日本の地名だと思うんだけど……正直、全然分からない」

「へぇ、なんかカッコいい響きだな。俺がゲームのキャラ名にしたいくらいだ」


 隣でサラがスマホを取り出し、素早く検索を始めた。

「Hyogo Prefecture……兵庫県って読むみたいね。日本の西の方、海に面した場所らしいわ。神戸って街が有名みたい」

「神戸……聞いたことある」

「ビーフで有名なとこ」

 サラが笑いながら説明する。ジェイデンは「コウベビーフ!ステーキ!」と大げさに叫んで、近くのテーブルから笑いが起きた。



カイの沈黙


 その時、カイが小さく息を吐いた。

「兵庫か……」

 ノアが顔を上げると、カイは少し視線を逸らしたまま続けた。

「俺のじいちゃんの親戚も、確かその辺りの出身だって聞いたことがある。詳しくは知らないけど」

「本当?」

「……ああ。でも俺は調べなかった。何を探せばいいか分からなくて」


 カイの声には少しだけ苦さが混じっていた。ノアはページを指で押さえながら、静かに言った。

「僕も同じだよ。まだ何も分からない。でも、知りたいんだ」


 その言葉に、カイは少しだけ目を細めて笑った。

「……なら、頑張れ。俺にも教えてくれ。もし見つかったら」



放課後の図書館


 放課後、ノアは再び図書館へ向かった。司書のメアリーさんは、入口で本を整理しているところだった。

「ノア、また来たのね」

「はい、今度は地名を調べたくて。ヒョーゴってところ、知ってますか?」

「兵庫? もちろんよ。日本の西側ね。神戸港っていう大きな港町があったのよ。昔は移民船の拠点でもあったみたい」


 その一言に、ノアの心臓が跳ねた。

「港町……」

 シアトルへ向かった曽祖父。その出発点が、兵庫にある――その可能性が一気に現実味を帯びた瞬間だった。



ノートのページ


 その夜、机の上でノアは新しいページを開いた。

•Seattle – arrival 1918

•Graduation photo – Showa 6

•Hyogo Prefecture – port town?


 そして、ゆっくりとこう書き加える。


Step Four: Find the port.



小さな決意


 ノートを閉じたあと、窓を開けた。冷たい夜風が頬を撫で、遠くで犬の鳴き声が響く。その風の向こうに、まだ見ぬ港町の潮の匂いがした気がした。


「待っててくれ……」

 誰にともなく呟いたその声は、静かな夜の中に溶けていった。

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