不吉な黒猫【短編】
さかえ
不思議な妖精さん
むかしむかし、まだ人間が空と地平線のさかいめを知らなかった頃、アイルランドの森の中には不思議な妖精さんが住んでいました。
たとえばレプラコーンや嘆きのバンシー。緑の丘に佇み、愛と引き換えに精気をすいとる淫魔。そしてケット・シー達の小さな王国もあちこちにありました。ケット・シーというのは、とっても可愛い妖精猫のこと。一見するとただの猫ですが、人間のいないところでは二足歩行し、人間のことばを喋ります。二十匹ほどの小さな群れを作り、王制を敷いて生活しているのです。
春と共に、ケット・シーの王国も繁殖期を迎えました。何匹もの赤ちゃんが、いろいろなお家で生まれています。この切り株の傍のお家にも、黒猫の赤ちゃんが一匹生まれたようですよ。
「にぃ……みゃみゃ、きょんにちわ」
身体と尻尾を震わせて一生懸命ご挨拶する赤ちゃん。お母さん黒猫はよりそって、産まれたての赤ちゃんを舐めて毛繕いし、きれいにしてあげました。
「うまれてきてくれてありがとうございます、あかちゃん」
「にゃっ? ぴゃぴゃは?」
「よくきいてくださいね。あかちゃんには、ぱぱがいないのです。ぱぱは、その……はやくになくなってしまいました。ですから、にひきでいきていきましょうね」
「にぃ…………」
まだ幼いとはいえ、ケット・シーの妖精さんでも感情はあるのです。自分にはお父さんがいない。お母さんの言葉の意味を理解した赤ちゃんは、にゃあにゃあ泣き出してしまいました。
「みゃみゃ!」
「よしよし、だいじょうぶですよっ。これからにひきのせいかつですが、きっとなんとかなりますよ」
お母さんは優しく赤ちゃんをなだめてやりました。すると少し落ち着いたのか、赤ちゃんは泣き止みました。聞き分けのいい良い子です。
「わきゃりみゃちちゃ……」
「それじゃあ、まずはごはんをさがしましょうか。ままのいうことをよくきいてくださいね。まだうまれたばかりですから、むりをしてはいけませんよ」
「にゃっ!」
こうして黒猫の母娘の生活が始まりました。
しかし、食料となる野草や木の実を探すのはとても大変です。この時代のアイルランドでは、肥沃な土地はイギリスのための食料農地となっていて、自由に立ち入れる土地はどこもかしこも瘦せていたからです。食べるものが見つからなくて、ご飯を我慢する日もありました。それでもお母さんには、自分よりも小さな娘を飢えさせるわけにはいかないという強い気持ちがありましたので、諦めずに頑張り続けました。
「あにょね、みゃみゃ。きのみしゃんを、みちゅきぇみゃしちゃ」
「にぃっ! えらいですね、さすがあかちゃんです」
お母さん黒猫が頬ずりしてあげると、娘は嬉しそうに目を細めました。
どうしてもご飯のない日は、王家に頼み込んで食料庫から餌を分けてもらうこともありました。この王国では、狩りの上手い者から余ったおかずを徴収して倉庫に収め、ひもじい者に分けてあげる制度があったのです。
しかし王家から餌を分けてもらう度に、周りのケット・シー達はひそひそと耳打ちして親子をにらみました。赤ちゃん黒猫は、自分達親子が周りからよく思われていないことに、何となく気づいていました。
赤ちゃん黒猫にはお友達がいませんでした。公園に遊びに行っても、ほかの赤ちゃん達は黒猫を虐めるのです。
「にゃはは! ふきつなくろねこは、さっさとしんだほうがみんなのためでしゅよ!」と白猫。
「ふきつなくろねこ! うまれてこなければよかったんだぞ!」と茶トラ。
赤ちゃん黒猫は、自分のお名前ではなく、不吉な黒猫と呼ばれました。おすなばに埋められたり、切り株から突き落とされたり、殴られたり蹴られたりしていつも酷い目にあっていました。お母さんに心配をかけられませんから、赤ちゃん黒猫は自分でキズを舐めて治すことを覚えました。
なぜ不吉と呼ばれて虐められるのかは分かりません。ですがそんな言葉を浴びせられ続けて、いつしか赤ちゃん黒猫の心の中には、自分は不吉な妖精なんだという考えが生まれてしまいました。仲間外れにされても仕方がないと思い込み始めました。
そしてある日、赤ちゃん黒猫は王子さま茶トラに呼び出されて、いつものようにイジメに遭いました。いじめっ子の茶トラやサバトラ達は気が済んだのか帰っていきます。一匹残された赤ちゃん黒猫はしばらく木の下に寝そべってぐったり寝転び、さめざめと泣いていました。
お日様が沈もうとする頃、遠くからお母さんの声が聞こえました。自分を探しているみたいです。
「……ちゃん! あかちゃん、どこですかぁ! おへんじしてくださいねぇ!」
「みゃみゃ! きょきょ……でしゅよ……!」
返事をします。しかしまだお母さんに声が届かないのか姿が見えません。
「どこにいるんですかぁ!」
「こっちに……いみゃしゅよ! はやきゅ……きちぇ……きゅだしゃいにぇ」
必死で声を上げると、お母さんが赤ちゃん黒猫を探し出してくれました。
お母さん黒猫は、全身傷だらけの我が子を見つけてはたと足を止めました。それから急いで跳ねてきて、我が子を抱きしめてほろほろと涙を流し始めました。お母さん黒猫は何度も何度も謝ってきました。
「ごめんなさい……すみま……せん……おそかった……ですよね……」
「にゃっ……だいじょぶ……でしゅ……」
「……もう……おうちにもどりましょうね……」
「にゃっ……」
赤ちゃん黒猫はボロ雑巾のように汚れて疲れ果てていました。お母さんは涙が止まりません。小さな小さな体をおんぶして、重い足取りで家へと帰るのでした。
実は、このお母さん黒猫は、異種族である淫魔と黒猫のハーフとして生まれました。母親は産褥で死んでしまったので先代王さまの家に引き取られ、孤児として虐められて育ちました。そして、今の王さまとの間にこの赤ちゃん黒猫を妊娠したのです。生まれた赤ちゃん黒猫は淫魔との子供という噂を流されて王さまの蛮行はもみ消され、女手ひとつで育てざるを得ませんでした。
一般的なケット・シーならお父さんが餌を探しお母さんが子供を見守ります。それができないときはお隣さんに預けておきます。しかし、黒猫親子は王国のみんなから冷遇されているので、頼る相手がいませんでした。ですからお母さん黒猫は、赤ちゃんにお留守番を言いつけて餌探しに出かけましたが、その間に我が子が誰かに暴力を振るわれてしまいました。
どうして、大切な赤ちゃんを一匹だけにしてしまったのでしょう? 帰り道の間ずっと、お母さん黒猫は自分を責めていました。
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