第3話

 この土地では、朝焼けもまたシンプルだ。あるかなきかのうっすらとした雲を浮かべた空の、地平線に接した部分が徐々に明るみ、やがて一条の光がすと、世界は一変する。夜と朝との境は、ここでは並外れて明確だ。

 夜間に見舞う極寒で、植物たちがどの程度ダメージを受けたかを精査するのは、欠かせない任務の一つだ。昼と夜の温度差。薄い大気。重力の影響も見逃せない。必要な水と養分は、地面に張り巡らせたパイプから供給しているとはいえ、生存条件としてこれ以上なく劣悪であることは間違いない。この厳しさの中で、それでも持ちこたえている植物たちを見守り、必要なケアを施すことは、僕にとって喜びだった。

 膝をついて苗木の様子を見ている時だった。ふと、何かが地面に落ちるのを見た、気がした。それは一瞬で見えなくなったが、また一つ、そしてまた一つと、次々に落ちてきて、じきに消えた。

 見上げると、それらは澄んだ空の奥から降り注いでいた。微細な羽毛のような、ふんわりと結びついた粒子たちが、大地に、苗木に、僕の上に、とめどなく降りかかってきた。

 薄赤く色づいた空から、忽然こつぜんと現れては落ちてくる物体は、しかし幻想などではなかった。装着したヘルメットの、透明な顔面部分に付着してはけ、無色透明のしずく となって流れ落ちる。成分は水、と考えてよいだろうか。

 落下は次第に勢いを増し、各々の大きさも、気密服のグローブに落ちたものがしばし消え残るほどになった。それらは徐々に降り積もり、赤い大地は白く染まった。

 その光景は清冽せいれつで、まっすぐに胸に迫った。それは、僕の心の中でよど んだままになっていた、癒えることを知らない悲しみや、ほど けそうにない苦悩をも、一思いに拭い去ってくれるだけの、有無を言わさぬ力を持っていた。

 その時、ある圧倒的な思いが僕を貫いた。それは、いわば天啓のようだった。

 白い結晶たちは、現れては消え、しかし姿を変えてなお存在し続け、さらに肉眼では捉えられない形態へと変容し、やがて再び凝固し、姿を現す。これは、まさしく生命いのち の在り方そのものでもあるのではないかと。

 彼女もまた、今は目に見えない世界へと旅立ち、おそらくは魂のような形で存在し、いつか再び生まれてくることもあるのだろう。きっとそんなふうにして、人も、さまざまな生命いのち も、姿を変え形を違えながら、世界を旅し続けるのだ。この世界と、もう一つの世界とを、永遠に。

 やがて落下現象は止まった。すると、ひととき降り積もったそれは、すっと息を潜めるようにして消えていった。

 驚いて地面を探るが、すでに跡形もない。すべては幻だったとでもいうのか。白昼夢を見ていたとでもいうのか。あるいはそれは、僕を案じるがゆえに、彼女が見せてくれたものだったのか──。戸惑いながらも、心には、不思議に澄んだ感覚が広がっていた。

 単純な話ではない。そんなに簡単に片付けられはしない。でも、分かっている。どこかで踏ん切りを付けなくてはならない。どこかで、抱きかかえている想いを手放してやらなくてはならない。自分で自分を、心のくびきから解放せねばならない。そう、どこかで。

 それが、今この時なのかもしれない。そう思えた。

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