第5話なのかしら?(クスクス

 黒板の字をノートに写しながら、なんとなく隣の四季さんが気になってしまう。


 朝会った時は——優しそうな雰囲気。中庭で会った時は――どこか掴みどころのない雰囲気。ちょっと前は——厳しそうな雰囲気。


 でも今の彼女は、静かに机に向かっていて……話しかけやすそうに見える。

 なんだろう……同じ空気?似たもの同士?


 横目にそっと覗くと、ページの片隅にイラストが描かれていた。


 授業とは関係のない――けれど見覚えのあるシルエット。


 線は細いのに、妙に完成度が高い。


「ヴェーネス?」

 知ってるキャラをみてつい声が出てしまう。


 彼女は――ギュンッ、と勢いよく顔をこちらに振り向いた。

 アイスブルーの瞳がぱあっと輝く。


「知ってるの!? どこまでやった!? 最新まで? 普段は何使ってる!?」


 一気に畳みかけられて、思わず固まる。

 さっきまでのおとなしい雰囲気とはまるで別人だ。


「え、えっと……タンクだけど……」


「タンク!? どっち!?」


「りょ、両方できるけど……」


 彼女は机越しにガシッと僕の手を掴んだ。

 その表情は、今まで見せたどんな顔よりも嬉しそうだった。


「一緒にやろうよ!」


 ――その瞬間。


「うっせーぞ、天野ー」


 担任の先生の声が飛んでくる。

 教科書をペラペラめくりながらチラリと見ていた。


「……僕じゃないです」

 思わずツッコむ。


 四季さんは顔を伏せ、両手を膝の上でぎゅっと握りしめて


 「あっ ご……ごめんなさい……」


「はは……大丈夫だよ」

 僕は苦笑いで返した。


◇◇◇


あああ……やらかした……! 授業中なのに声大きくして……手まで掴んで……!初対面なのにめっちゃ迷惑かけちゃった……絶対、変な子って思われてる……)


 心臓がうるさいくらいに跳ねて、頭の中が真っ白になるけ。


 ……でも、このまま黙ってたら、もっと印象悪くなるかもしれない。

 

 勇気を振り絞って、もう一度


「あ、あのっ……推しキャラとかいます? 私はやっぱり、自キャラでして……やっぱり愛着があるというか……その……あ、いえ、別にNPCに愛着がないわけじゃないんですよ?」


 隣の席の彼が、驚いたように顔を向けた。


「え? あ、あぁ……そうだね……っ」


あ、あれ?なんか噛んでる……?え、もしかして怒らせちゃった!?うわぁどうしよう……!このままじゃ本当に嫌われるかも……!


 焦りで口が勝手に動いた。


「……す、好きなダンジョンとか……あります?あ、私は全体的にどのダンジョンも好きでしてー、もしよかったらなんですけど、一緒に行けたらなー、なんて思いまして……」


 彼は慌てたように人差し指を口元に当てた。


「シーッ……あるけど、後で話そう」


やっぱり怒ってる!? ひいい……!どうしようどうしよう、誤解を解かないと……!


「あ、あのっ!じゃ、じゃあ……い、一緒に高難易度とか行きませんか!?わ、私、タンクもできるんで……!いっしょに行ったらきっと楽しいと思うんです……よね……!あっ、てか、私たち自己紹介してないですよね!?はは……あ、あの、キャラの名前でも全然オッケーです!そっちの方が……あの……相棒感あっていいですよね!?…ねっ!?……ねっ!?」


「おいおい、天野ー。初日からはっちゃけてんなー。」

 教壇から担任の声が飛んできた。

「HR終わったら職員室なー」


「いや、だから僕じゃないですって!?」


「あ、あぁ、ちがっ、違うんです違うんです! そういう意味じゃなくて! えっと、その……もっとこう、仲良くしましょうよ! って感じを言いたくてですね……!」


 言葉が空回りして、どんどん勢いだけが加速する。


「な、なんとなくわかりますよね!? 私の言いたいこと、なんとなく!?」


「四季もうるせーぞ。」


「ひゃいっ!」


◇◇◇


チャイムの音が学校中に鳴り響く。


「うぃー、今日はここまでー。十分後にHRだから帰るなよー」


 担任はそう言い残し、教科書を小脇に抱えてズルズルと教室を出ていった。


 ざわつく空気の中、僕はそっと息を吐いた。

 隣を見ると、四季さんはまだノートに視線を落としたまま――

 ほんの少し、肩を落としているように見えた。


「……四季さん? 終わったよ、授業……」


 どうにか話題を切り出そうとしたけれど、彼女は顔を伏せたまま、ペン先でノートの余白をぐるぐると円を描きすぎて黒く塗り潰れている。


……だいぶ気にしてるよな…これ…なんとなく僕と似ている気がするんだよなぁ……空回ってる感じとか感覚が……。


「あー、四季さん? そんなに気に病まなくていいよ。……ほら、さっきみたいにゲームの話でもしよう」


 小さく息をつきながら、なるべく柔らかい声で続ける。


「最近追加されたストーリー、見た? めっちゃ熱かったよね」


 ピクッ、と彼女の肩がわずかに動いた。


「新ダンジョンもさ、ギミック凝ってたし」


 ピク、ピクッと今度はさらに反応が大きくなる。


「高難易度も、やりごたえあったしね」


 気づけば彼女の身体が、じりじりと僕の方へ寄ってきていた。


「……こういう時、一緒にやれる友達がいると……楽しいかもね」


 その言葉を合図にしたかのように――


 ガシィッ!


 両手で僕の手を掴まれた。


「そうですよね! 一人でも面白いですけど……人とやるのも、もっと面白いですよね!」


 アイスブルーの瞳が、今にも星が弾けそうなくらいキラキラと輝いている。

 ……さっきまで机に俯いていた姿が、嘘みたいだった。


「はは……元気が出たなら、よかったよ」


 そう言った瞬間――


「うふふ……天野くんったら、随分大胆なのねぇ」


 ゆったりと柔らかな声が耳に届いた。


 さっきまで必死に両手で握りしめていたその手が――いつのまにか、優しく包み込むような温もりへと変わっていた。


「あら? よく見ると……これはわたしから繋いでいるのかしら?」


 桜色の瞳が、静かにこちらを覗き込んでくる。

 落ち着いた微笑みに、胸が不意にざわついた。


「ねぇ? 天野くん。わたしからしたと思うけれど……あなたの方から説明してくれない?」


 桜色の瞳が細められ、柔らかな笑みが深くなる。


「――何があったのか、教えてほしいの。……ゆっくりでいいわよ」


 微笑みは優しいのに、その声には逆らいづらい圧が込められていた。

 まるで小さな子どもを諭すように、逃げ場を塞ぐように。


「え……その、えっと……」


 急に態度が変わったことに、心が追いつかず言葉が喉に詰まる。


 突然、チャイムが鳴り響いた。


「はい、HRはじめっぞー」

 担任がずかずかと教室へ入ってくる。


 その直前、彼女は僕の手を軽く握ったまま――「……終わったら、お話、聞かせてね」

 微笑みながら、そう囁いた。


 その瞬間、彼女はふっと手を離した。

 何事もなかったように椅子を引き、背筋を正して席につく。


 残された僕の手には、まださっきの温もりが残っていた。

 悪いことなんて何ひとつしていないはずなのに――なぜだか、罪悪感だけが胸に重くのしかかっていた。


◇◇◇


「はい、HRおわりー。かいさーん。部活ある奴は頑張れー、ない奴も頑張れよー」

 

担任の締めくくりで、教室が一気にざわつき始めた。


 椅子を引いて鞄を背負い、足早に帰っていく者。友達同士で集まり、声を弾ませながら話し込む者。机に突っ伏して、そのまま居残ろうとする者。


――転校初日の僕には、そのどれにも入れず、ただ席に座って様子を眺めるしかなかった。


 桜色の瞳が、再びこちらを射抜く。

 柔らかい笑みとともに、じわりと距離を詰めてきた。


「天野くん……さっきのお話、まだ途中よね?」


「……何があったのか、ちゃんと聞いておきたいの。あなたの口から。何もないならそれでいいのよ?」


 にこりと柔らかく微笑む。

 けれどその笑みは、逃げ場を与えない。


 僕の喉がひゅっと鳴り、言葉が詰まる。

 何をどう説明すればいいのか――いや、そもそも何を説明するのか?


「……ゆっくりでいいわよ。ちゃんと、話してね?」


 返事を探して口を開きかけた、その時だった。


「天野ー、職員室に行くぞー」

 担任の声が教室に響いた。


「……呼ばれてるから、行かないと」

 僕は言い捨てるようにして、彼女の横をすり抜ける。


「あら……仕方ないわね」

 彼女は微笑みを崩さず、静かに背筋を伸ばした。

「……じゃあ、教室で待っているわ」


 その言葉が背中に残り、足取りが妙に重くなる。


◇◇◇


 廊下に出ると、担任がゆっくり歩いていく。


「どうだ? 転校初日は、かなりいいスタートを切れたんじゃないのか?」


「そんなことないですよ。自己紹介からこけて、森で迷子になって、授業に遅刻して……その上、担任の授業には二回も叱られて。完全にアウトです」


「ははっ! ウケる」


「……半分以上は先生のせいですよ?」


「でも残りの半分は四季だろ? 今日一日ずっと一緒にいたって聞いたぞ? ほの字か? 手ぇ出すの早いなぁ」


「……茶化さないでくださいよ」


「おいおい、先生だって恋愛には興味津々さ。職員室じゃ“誰と誰が付き合ってる”だのなんだの、話題に事欠かないんだぞ?」


 楽しそうに笑いながら、足取りは軽い。


「学生の特権だろ?制服デートは 楽しめよ、アオハルを」


「……古いですよ、その言葉」


「え? そうなの? また、かわったのか?」


 先生が目を丸くし、頭をかきながら歩調を緩めた。

 僕は苦笑しつつ、職員室の扉が近づいてくるのを見つめる。


 職員室が近づく中、僕は意を決して口を開いた。


「あの……先生。四季さんについて、聞きたいことがあるんです」


「ん? あぁ……いいぞ」

 歯切れの悪い返事。歩調は崩さず、ちらりとこちらを見る。


「えっと……今日一日そばにいたんですがたまに、雰囲気が全然違うというか……。話し方とか、態度とか。まるで別人みたいで……」


 僕の疑問に、先生は少しの間だけ唸るように黙った。


「……そういうもんさ。天野だって、相手によって話し方変えたり、接し方を変えたりするだろ?」


「まぁ……それは、ありますけど」


「四季はな、相手じゃなくて、その時の気分によって違うだけのごく普通の、可愛い生徒さ」

 軽く笑って肩をすくめる。


「普段穏やかなやつでも、ハンドル握ったら人が変わるって言うだろ? あんなもんだ」


「……そういうもの、ですかね」


「そんなもんさ。深く考えずに仲良くしてやってくれ」


 そう言いながら、職員室の前に立つ。

「ま、とりあえず、元気にやっていけそうならよかった。ちょっと待ってろ」


 そう言ってドアを開け、中へ消えていった。


 数分もしないうちに、戻ってきて紙をひらひらさせる。


「ほい、反省文。何を書くかはわかってるよな?」


「……はい」


 僕は素直に受け取るしかなかった。


◇◇◇


 先生の呼び出しを終えて、僕はすぐに教室へ戻った。


「ごめん、四季さん。少し待たせたかな」


 窓の外を眺めていた彼女が、ゆっくりと振り向き、お淑やかな微笑みを浮かべていた。


「ううん。全然、待ってないよ」


 ゆったりとした声に少し安心しながら、僕は切り出した。


「あ、さっきのことだけど……なんというか、その……色々合わさってて。ほら、盛り上がっちゃって……四季さんが手を繋いできたと言うか……なんというか……」


「まあ、そうだったのね」


 彼女はにこりと笑い、ぱん、と両手を叩いた。


「――納得できたわ。でも、聞きたいのはそこじゃないのよ……」


 えっ、と言葉を失う間に、彼女は軽やかにぴょんぴょんと近寄ってくる。


 お淑やかな頬笑みはそのままなのに、どこか調子が違う。


「天野くん? 今日はね、私たち……いつもと違ったりしなかった?」


「……違った?」(ん……?


「ふふ、そうね? 例えば――雰囲気が違ったり、とかかしら? 誰が一番びっくりした?」


「え? あ、あぁ……そうだね……えっと……」(誰が……?

「……特に、お昼のことは……びっくりしたよ」


「うんうん」

 彼女は両手を組んで満足げに頷く


「じゃあ、今日一日。私と一緒にいて、どう思ったか教えてくれないかしら?」


「……大変助かったよ。朝から教科書をずっと見せてもらったり、校内の案内をしてくれて今日一日、お世話にな「――私たち、多重人格なんだー」


……………………えっ?


 突然の言葉に、思考が一瞬で止まる。


「春香ちゃん、夏海ちゃん、秋音ちゃん、冬乃ちゃんには、もう、出会ったかしら?まだ、初日だもんね〜。……会ってたよね?」


「え……っと……し、四季さん?」


 彼女はにやりと笑った。


「彩葉だよー?」

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