コード013 ヴァイパーの顧客
「ミナ! テーブル拭いたらコーヒー豆出して! シンセの、一番高いやつ!」
「はい!」
「ラグ、そのジャンク片付けたら、こっち手伝って!」
「分かった」
せかせかと指示を飛ばしながら、普段なら見逃す油染みまで拭き取っていく。
これには理由がある。昨夜、泣く泣く断ったはずのレッドヴァイパーの上客から、「どうしても私に」と連絡が入ったのだ。
普段なら、私がヴァイパーの区画まで出張していた。余計な目に触れないよう、秘密裏に作業する必要があったからだ。
けれど今回は、他の店に急ぎで修理を頼んだものの出来に満足できず、わざわざ私の店まで足を運んでくれるという。
……この客だけは逃せない。これからの生活がかかっている。
だからこそ、普段以上に気合いを入れて準備を整えていた。
約束の時間まであと1時間。このペースなら間に合う。そう思った矢先、アナログのドアベルがカランと鳴った。
……えっ、もう来たの!? まだ時間前なのに!!
鏡代わりにガラスに映る自分をざっと確認し、乱れを整える。そのまま慌ててカウンターへ駆け寄り、無理やり笑顔を貼りつけて出迎えた。
「いらっしゃいま──」
「お、今日はご機嫌だな」
「……お前かよ」
笑顔が秒で消えた。戸口にいたのは、待ち人ではなくレクス。
「なんだよその反応。歓迎の笑顔じゃないのか? サービスしてくれるんだろ?」
「……悪いけど、今日は帰ってくれ」
「は?」
「貸し切りなんだ。修理なら後で連絡するから」
ドアを押し戻すが、レクスは片手で枠を掴み、ずるずると押し返してくる。
「ちょ、違うって! 今回も修理じゃない! 修理じゃねぇから!」
「ツケなら後で請求書回す!」
「ツケでもねぇ!」
「じゃあなおさら帰れ!」
くっそ! しつこいな! 別にダメとは言ってないだろ! 今は引き下がれよ!
「お前のギアの事なんだって! ちゃんと見てもらったのか!? その確認だけでもさせろ!」
「だぁかぁら! ギアなんてしてないって言っただろ! そんなことより、今日は大事な客が来るんだよ! お前に構ってる暇はないから帰れ!」
「いやいやいや! お前そうやってズルズル確認しないだろ! マジで! マジで今回はやっといた方がいいから! なんなら知り合い紹介すっから!」
「あああああ! うるっさい! 商売の邪魔だって言って──」
「……何をしている?」
レクスとの押し問答を遮ったその声に、思わず血の気が引いた。恐る恐る視線を向ければ……レクスの背後に立っていたのは、他でもない今日の大事なお客様だった。
「貴様、なぜここにいる?」
「なっ!? そりゃこっちの台詞だ! なんでお前が!!」
「──ローガンさん!!」
私はレクスを押しのけて駆け寄り、慌てて頭を下げた。
「お待たせしてすみません! すぐご案内いたします!」
「いや、早く来てしまったのは俺の方だ。気を使わせてすまないな」
「いえいえ! そんなそんな……ミナ! コーヒー!」
「はい!」
「待て待て待て待て!」
私がローガンさんを通そうとした瞬間、レクスが肩を掴んで止めた。
「何でお前がここにいるんだよ!」
「……修理屋に来る理由など、ギアの修理に決まっているだろう」
ローガンさんが当然のように答えると、レクスは頭を抱えて大げさにのけぞった。
「最悪だ……嫌な予感的中かよ……」
「ちょっと、レクス。ローガンさんに失礼でしょ。帰れよ」
「おまっ……コイツはなぁ!!」
「あぁ」
レクスが言葉を繋ぐ前に、ローガンさんが口を挟む。
「貴様が言っていた修理屋とはヴィクの事だったのか。……なるほど、ヴィクの腕なら納得だ」
「言っていた……? ローガンさん、レクスが何か言ってたんですか? というか、お二人は知り合い?」
「そうだな……腐れ縁というか……えり──」
「ちょーっとローガンくぅん? こっち来てくれるかなぁ!?」
レクスが慌ててローガンさんの首に腕を回し、そのまま強引に店の隅へ引きずり込んだ。二人は屈み込み、内緒話を始める。
……いや、何ナチュラルに入ってんだよ。帰れって言ってんだろ……。
私はため息をつきつつ、様子を伺っていたミナにコーヒーを三つ出すようお願いした。
◇ ◇ ◇
ローガンさんから差し出された左腕に触れながら、私はそのまま手首のギアを分解していく。
「で、お前はいつになったら帰るんだ? レクス」
「うるせー」
作業をしながら肩越しに声を投げると、レクスはそっぽを向きながらコーヒーを啜っていた。
「ホント、すみません……ちゃんと貸し切りにしてたんですけど……」
「構わん。奴に知られたところで問題ない」
ローガンさんは淡々と続ける。
「……それより、この射出ユニットだ。音を完全に消して欲しい」
ローガンさんの左手のギアに集中する。手甲の内部には小さなスロットが組み込まれていて、毒針やナノカプセル弾を飛ばせる仕組みだ。
本来なら気配すら残さず撃ち込めるはずなのに……どうやら最近、微かな音が混じるようになったらしい。別の修理屋に任せたものの、その仕上がりに納得できなかった、というわけか。
私は分解を進めながら、自然と眉をひそめていた。
……なるほど、ローガンさんが頼んだだけあって、その修理屋は決して悪くない腕をしている。ここまで仕上げてあるのは素直に感心する。
けど、毒を扱う以上どうしても圧力が変わる。圧がズレれば音が漏れるのは当然の理屈だ。気になるのも分からなくはないけど……。
指先で管を探り、毒液カートリッジを確かめる。……やっぱり。粘度が違う。これじゃ流れる圧力も変わるから、単純に前と似たような細工しても音が逃げる。
「……これ、新しい毒でしょう? それじゃ音が出るのも仕方ない」
ローガンさんが目を細める。
「できるか?」
「……できる。引き受けた以上、客の要望には必ず応える」
慎重に微調整を進め、最後の留め具を締める。ローガンさんに軽く起動させるようお願いすると、毒針が壁に突き刺さった。空気の流れも変わらず、残響すら生まれない。
「……さすがだな」
ローガンさんが低く言葉を落とす。すると、椅子に座ってコーヒーを啜っていたレクスが、わざとらしくカップを置き、口の端を吊り上げた。
「へぇ……暗殺屋のオモチャまで直せんのかよ。ほんっと、器用な修理屋様だな」
「当たり前だ。こっちはプライド持ってやってんだよ」
レクスの軽口に答えながら工具を片付けていると、ローガンさんが左手を握り開き、仕上がりを確かめながら口を開いた。
「ヴィク、やはりヴァイパーに来ないか?」
その言葉に、思わず手が止まる。
「君の腕を修理だけで終わらせるのは惜しい。ギアの開発に興味はないのか?
「……すみません」
ローガンさんの誘いは、アンダーズで暮らす人間にとっては破格の条件だろう。ヴァイパーでも上の役にいる彼の庇護を受ければ、今よりずっと楽に生きられるし、リゼ婆を安全な場所へ移すことだってできる。けれど、私は首を横に振った。
「お誘いは嬉しいのですが、お断りいたします」
「君はいつもそう言うな……理由を聞いてもいいか?」
私はローガンさんの方に体ごと向き合い、言葉を絞り出した。
「俺は……修理はしても、
私の両親はよく言っていた。バイオギアは、人を助けるために生まれた技術だと。失った体を補い、もう一度歩かせるために発展したのだと。
今では便利さや他者より優れるために使用されたり、争いの道具として使われることが多いけれど、両親はその「本来の姿」に誇りを持っていた。
だから私は、両親の愛した技術で人を殺す
修理はする。護るための工夫もする。けれど、新たに人を殺す
ヴァイパーに入れば、その誓いを必ず破ることになる。だからこそ、どれほど好条件でも頷けない。
それが、私を生かしてくれた両親にできる唯一の親孝行だ。この誓いだけは、何があっても破るわけにはいかない。
……それに、リゼ婆にとってもこの店は特別な場所だ。大切な旦那さんとの思い出が詰まっている。だから、ここを離れることは望まないだろう。
「……俺、この店が気に入ってるんです。だから、ありがたいお話ですがお断りいたします」
「……そうか」
ローガンさんは短く答え、視線を落とした。
「……相変わらず、難儀な性格をしているな」
「そういう性分なんで」
努めて軽く返す。するとローガンさんはふっと息を吐いた。
「ならば、せめて忠告しておこう」
その声音に、私は背筋を正す。
「最近、HCPDがアンダーズを巡回している」
「……巡回ぃ?
私は思わず聞き返した。
正式名称はHalo City Police Department──通称HCPD。街の治安維持のための組織であり、上の連中にとっては安心の象徴だ。
けど、アンダーズの人間にとっては違う。奴らはただの企業の犬だ。ここの人間がどんなに血を流しても、気にしやしない。
HCPDにとって、アンダーズの住人は等しくゴミだ。ただ、肥溜めの中で暴れたゴミが上に流れ込まないよう、見張ってるだけ。下に降りることはほぼないに等しい。
道端で子供が死にかけようが、裏路地で誰かが嬲り殺されてようが、全部知らん顔。……だが、クレジットの匂いがするアンダーファイブだけは別だ。餌をくれる相手には、喜んで尻尾をふる。これで治安維持を語るなんて笑わせる。
だからアンダーズじゃ「HCPD」なんて呼び方はしない。……クレジットを入れなきゃ動きもしない、安っぽい機械仕掛けの犬──メカドッグって呼んでる。
「……どうせアンダーファイブ絡みだろ。吠える相手は選ぶくせに、餌の前じゃ簡単に腹を見せる」
吐き捨てるように言うと、レクスが鼻で笑う。
「ははっ、言うじゃねぇか。ま、今に始まった話じゃねぇけどな。で、わざわざ言うってことは、何かあるんだろ?」
ローガンさんは無言で頷く。
「アンダーズの区画内で、無人の追跡機を群れで走らせている。……どうやら人を探しているようだ」
「追跡機? アンダーズで? 役人でも迷い込んだんですか?」
「分からん。ただ、目をつけられたら厄介だ」
ローガンさんの瞳が、警告するように鋭く光る。
「HCPDは弱い者ほど容赦なく食い物にする。理屈なんて後からいくらでもこじつけてな。……しばらくは奴らの目に触れん方がいいだろう」
無意識に唇を噛んでしまう。ローガンさんの言う通りだからだ。
罪状なんてあってないようなもの。あいつらにとっては、アンダーズの住人を殴る理由が一つ増えるだけだ。私は、そんな場面を何度も見てきた。
「……分かりました。状況が落ち着くまでは、隠れてます」
「あぁ。そうしろ」
ローガンさんが立ち上がる。椅子が小さく軋み、厚手のコートの裾が翻った。
振り返りざまに私へ視線をよこし、同時にクレジットが転送される。腕の端末を覗くと、いつも通り、破格の数字。
……これだけあれば、三ヶ月は食いつなげるな。
「修理、助かった。また頼む」
「はい。お気をつけて」
私が頭を下げると、ローガンさんは顎をわずかに引き、迷いのない足取りで店を出ていった。
ドアベルと扉が閉まる音だけが残り、店内に静けさが戻る。
「……ったく、アイツ。最後に爆弾だけ置いていきやがったな」
「でも、何も知らないよりいいだろ。それにしても
ぼそりと呟いた時、奥からカップの触れる微かな音がした。見ると、顔を出したミナが、空いたコーヒーのカップをそっと持ち上げていた。
「……ミナ?」
その指先が不自然に小さく震えているのに気づき、思わず声を掛けた。視線を合わせれば、顔色まで悪い。
「ご、ごめんなさい。コップ……洗ってきます」
消え入りそうな声でそう告げると、彼女は慌てるように奥へ引っ込んでしまった。
立ち上がりかけた足を、私はそこで止める。
……気にはなる。けれど、無理に踏み込むのは良くない事も知っている。アンダーズには、過去を知られたくない奴がごまんといる。それこそ、私も、レクスも同じだ。
それに、ローガンさんが怖かっただけかもしれないし……あの人、顔の8割は隠れてて知らない子供から見ればただの不審者だしな。……ミナも、多分、そうだろう。
そう無理やり自分を納得させて、私は椅子に腰を下ろしてレクスと向き合った。
「それで、ギアの有無だっけ? 今ならクレジットはあるけど……」
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