コード011 縫い合わされる繋がり


 あぁ……あったかい。


 手のひらから伝わる温もりに、胸の奥がじんわりと解けていく。安心する……この手の温かさは──。


「レ、クス……?」

「おやおや。心外だねぇ」

「り、リゼ婆!? ……うっ」


 驚きで思わず上体を起こしかけた瞬間、全身を鋭い痛みが襲い、呻きが漏れた。呼吸すら苦しい。


「ほら、動いちゃダメだよ。ヴィクちゃんは重症なんだから」

「……うん、ごめん」


 諭すような声に、力が抜けた。


 気絶する前に見たのがレクスだったから、変な勘違いをしてしまった。アイツが看病なんてするわけないだろ。


「食欲はあるかい? パン粥ならすぐ作れるよ」

「……いや、いい。喉痛い」

「だろうね。何をやったか知らないけど、焼け爛れてたよ」


 冗談めかすでもなく、淡々と事実だけを告げるリゼ婆の声。その冷静さが、逆に心を落ち着けた。「一口だけでも食べなさい」と差し出された合成栄養ゼリーを、私はおとなしく受け取る。


「全く、このご時世、裸身ネイキッド用の薬品は少ないんだから、あまり無理するんじゃないよ。処置できる人も滅多にいないんだから」

「ごめん……」


 小さく返す。リゼ婆は何も言わず、包帯を巻き直してくれる。慣れた指の動きが、やけに優しかった。


「ねぇ、リゼ婆……」

「どうしたんだい? あまり喋るのも良くないよ。お喋りなら明日でもいいでしょう? 今日はもう寝て──」

「二人、は……?」


 その瞬間、リゼ婆の手が止まった。


「ごめん、でも……聞いときたくて……」


 口の中が渇いてうまく言葉が続かない。けれど、それでも聞かずにはいられなかった。


「余裕がないのも、わかってるけど……二人分の、家賃も稼ぐから……だから、せめて……独り立ちできるまでは……ここで……」

「分かってるよ」


 リゼ婆はやわらかい顔で私の頭を撫でてくれる。その仕草が、どうしようもなく懐かしく感じた。


「全く、誰に似たんだか……」


 額に落ちる温かさに、思わず顔が緩む。


「ふふ……リゼ婆かな……だって、を受け入れてくれたから……」


 思い出すのは、初めてここに来た日のこと。


 レクスに手を引かれ、無機質な鉄扉を跨いだときの心細さ。


 最初はお互いに気まずくて言葉も続かなかった。けれど、差し出された湯気の立つスープと、背中を撫でてくれた手の温かさに触れた瞬間、緊張の糸が切れた。


 涙が止まらなくて、何も言えずに泣きじゃくる私を、リゼ婆はただ黙って抱きしめてくれた。


 あの時の温もりは、今もはっきり覚えている。


「育ててくれて、ありがとう」


 そう笑うと、撫でる手がふと止まった。見上げると、リゼ婆は少し困ったような顔をしていた。


「……リゼ婆?」


 問いかけると、彼女はひとつ深く息を吐き、静かに口を開いた。


「……お礼を言うのは、私の方だよ」

「?」


 私が寝たまま首を傾げると、リゼ婆は遠い目をして語り出した。


「あの時は驚いたよ。旦那が亡くなったばかりで……生きていく意味なんてもう無いと思ってた。そんな時に、あのロクデナシが子供を連れてきたんだよ」


 リゼ婆の口元に、苦い笑みが浮かぶ。


「余裕もなかったし……受け入れるつもりもなかった……でも、ヴィクちゃんを見てるとね、思い出すんだよ。旦那のことを……」


 視線が、どこか遠くへ向かう。まるで誰かを追うように。


「ギアを弄っている姿も……あのロクデナシと言い合ってる姿も……あの人の面影が重なるの……」


 胸がきゅっと縮む。何も言えなかった。


「だからかね……ヴィクちゃんのことを、本当の子供のように思えたの……あの人と、私の……本当の娘のように……」

「……リゼ婆」


 名前を呼ぶ声が、自分でも驚くほど震えていた。


「ヴィクちゃんがうちに来てくれたおかげで、生きようと思えた……せめて、孫の顔を見るまでは……この街で、生きていたいって……」


 撫でられる手が温かくて、涙がこぼれそうになる。


「だから、遠慮なんてしないで……貴方はもう私の娘なんだから……子供の願いを叶えるのは、親の喜びなのよ……」

「リゼ、婆……」


 目頭が熱くなる。このままだと本当に泣いてしまいそうだと、誤魔化すように口を開いた。


「え、えへへ……でも、私とリゼ婆の歳の差なら、娘っていうより孫なんじゃないかな」

「娘よ」

「いやいや、リゼ婆かんれ──」

「娘だよ」

「…………ごめんなさい」


 母は強かった。



   ◇ ◇ ◇ 



 そうして寝たきりのまま、三日が過ぎた。


 リゼ婆の住む二階でお世話になっている間、ラグとミナは何度も顔を出してくれた。


 最初は戸口に立って落ち着かない様子だった二人も、今では差し入れを持ってきて、くだらない話で時間を潰してくれる。……気づけば、私も笑って応じていた。


 その合間に聞いた話だと、私が寝込んでいるあいだに二人は一階へ移り住み、それぞれ働き始めているらしい。


 ラグは回収屋としてディスポを走り回り、ミナはリゼ婆の裁縫屋で器用に針を動かしている。服の修繕だけじゃなく、ギア用の合成皮膚まで縫えると聞いて驚いた。そして、妹の働きぶりを話すラグの顔が妙に誇らしげだったのが印象に残っている。


 二人がしっかり動いてくれているのに、私だけ寝ていられない。そう思いながら、手を持ち上げてみる。


 ……よし、ちゃんと動くな。



 ギシリと音を立てて立ち上がり、外階段から一階へ降りる。久しぶりに戻った自分の部屋は、どこか空気が変わっていた。


 テーブルの上には空きマグが二つ。壁際には、ミナの縫い物道具が整然と並んでいる。隅にはラグが持ち帰ったらしいジャンクの入ったバッグまで転がっていた。


 私は本当に二人が住み始めたことを実感しながら、作業台に腰を下ろし、慣れた手つきでハンダゴテを握った。


 ひとまず、貯めてた仕事を片付けないとな。納期が一番近いの確か、これだったよな……。


「何やってんだお前ええええ!!」

「うわっ! びっくりしたぁ」


 作業を始めようとした瞬間、大きな声が響いて肩が跳ねる。


 振り返ると、回収用バッグを背負ったラグが、私を指差しながら戸口に立っていた。


「あ、おかえり。ジャンクありがとう。そこ置いといて」

「あぁ、うん。分かった……って、違うだろ!!」


 素直に従いかけたラグが、慌てて突っ込む。


「馬鹿なのお前!? 本来なら全治二ヶ月なんだぞ!? 何してんのお前!?」

「いや、その治療のおかげで今月分の家賃がヤバくて……ある程度稼がないとまずいんだよ」


 どうやったのか知らないけど、レクスの伝手で腕利きの医者に診てもらったらしい。二ヶ月の怪我を二週間に縮めるとか、マジで化け物みたいな医者だ。


 ありがたいけど、請求額が飛んでて笑えない。あの時、麻酔まで買ってたら確実に借金地獄行きだった。アンダーズここの闇金融だけは絶対に御免だ。


「……ま、クレジットは飛んだけど命があっただけマシか」


 そうぼやいてから、私はちらりとラグに視線を向けた。


 三日寝込んでいる間にまともに見られなかっけど……ラグのギアが気になる。あれは、あくまでも応急処置だ。麻酔がないから神経系は弄れないけど、ここの設備なら体に合っていないフレームと、イカれたカードリッジなら外せる。


「ラグ。ちょっと背中見せろ」

「は? なんでだよ」

「なんでだよ、じゃない。そのスクラップ、もう少しマシにしてやるから来いって言ってんの」


 私がそう言うと、ラグはしばし黙ったまま、背負っていた回収バッグのショルダーストラップをギュッと握りしめた。


「……まだ、クレジットねぇぞ」

「別にいいよ。給料から勝手に引いとくから」


 私はハンダゴテを置いて立ち上がる。作業机の奥には、修理だけじゃなくギアの手入れにも使えるよう改造した簡易ベッドがある。そこを指差しながら、ラグの方を見る。


「そっちだ。横になれ」


 促すと、ラグはしぶしぶ近づき、メンテ台に体を預けた。


「……どれぐらい、マシになる?」

「激しい戦闘はダメだ……けど、日常生活には問題ない程度にはしてやる」


 フレームを外し、神経に干渉しないよう慎重に基盤を削って繋ぎ直す。


 こんなに締め付けられてたら痛いだろうに、ラグは顔をしかめて歯を食いしばり、声ひとつ漏らさない。


 私はジャンクの山から冷却ユニットを拾い上げ、背中に繋いでいた簡易処置用のものと取り換える。規格が一番近いやつだ。これで出力は落ちても、命までは削られずに済む。


 続けて小さな工具を差し込み、快楽物質のカートリッジを外す。ラグの体が一瞬ピクリと痙攣したが、すぐに呼吸が落ち着いた。


 代わりに装着したのは鎮痛剤カートリッジだ。中毒性もなく、少なくとも動くたびに苦痛で潰れることは避けられる。……もちろん、それだけで済むわけじゃない。中和剤を併用して、定期的に入れ替えてやらなきゃならない。


 ……これも補助剤を落としたままなら詰んでた。拾っておいてくれたレクスに感謝だな。財布的には死活問題だ。


 フレームもラグの規格に合うものへ取り替えた。次は、破れてむき出しになったギアを覆う合成皮膚だ。そう考えていたところで、控えめなノック音が響く。振り向くと、戸口にミナが立っていた。


「あの……これ、使えますか?」


 小さな両手で抱えていたのは、縫い合わせの痕がいくつも残る合成皮膚の束だった。不揃いな部分もあるが、丁寧に仕上げられているのが一目でわかる。


「……ありがとう。助かるよ」


 思わず笑みがこぼれる。


「ミナは裁縫の才能があるな。縫い目も揃ってるし、強度も出そうだ」


 ミナは嬉しそうに笑いながら、小走りで私の元へ近づいてくる。


 私はミナから受け取った合成皮膚を慎重に貼り合わせ、フレームの溝に沿わせてはめ込み、リベットで固定する。露出したギアを隠し、人の形を戻すだけの処置だ。不揃いでも補強材さえ噛めば十分。最後に留め具を締め、工具を置いた。


「……よし、これでひとまず終わりだ」


 深く息を吐くと、ラグは腕を試すように動かし、ミナはぱっと笑顔を見せる。


「まだ完全じゃないから、絶対に無茶はするなよ」


 二人が同時にうなずく。その様子に思わず口元が緩む。


 気がつけば、この部屋もずいぶん賑やかになった。前より、少しだけ温かい空気が流れている気がする。


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