カフェ・スヌーズ

井ノ下功

チュートリアル

コラム:港湾都市ビアンカ初見レポート 前編(TD)

 週刊『日々是平穏有事』をご愛読の読者諸賢、はじめまして。俺はこの九月から記者として入社したテッドリード・ティーリロード。長いからティディーって名乗れと局長に言われたので、気軽にティディーと呼んでほしい。どうして「テッド」じゃないのかって俺も思ってるけど、局長のお言葉だから仕方がない。どうぞよしなに。

 俺は北西の山奥にある小さな村、ビレッジ・オブ・アンから出てきたばかりの田舎者だ。二十年生きてきて、汽車に乗ったのはこの間が初めてだし、車も数えるほどしか見たことがない。スクーターくらいなら乗れるけど、正直馬車のほうが楽だと思ってしまうような育ちである。

 だからこの町に来て心底驚いた。まず周囲の音の大きいこと! しゃべり声、怒鳴り声、排気音にブレーキ音、合図、警笛、押し寄せてくる音の洪水! どこからともなく音楽も聞こえてくるし、それも一曲じゃない。ロックが三歩歩いたらバラードに変わって、次の三歩ではクラシックに変わる、そんな調子。これに比べたら田舎って無音だ。鳥と虫、あとは風。そんなものしか聞いてこなかった俺の耳は、たった六歩で壊れそうになった。

 それに人も多い。どの道も村の目抜き通りの倍ぐらいあるのに、そこを人がひっきりなしに歩いていくのだ。気になって調べてみたら、この町の人口は俺の村の約六十倍なのに、面積は三倍程度だという。道理で歩きにくいわけだ。人口密度おかしくない? みんな、どこに住んでんの?(なお俺の村には集合住宅が一棟もない、というところから察してほしい。本当に俺は田舎者なんだと実感した。)

 加えて、人の荒々しさといったら! 港湾労働者ってみんなあんな感じなのか? 腕も脚も丸太かと思うくらい太いし、それを堂々と突き出して、肩で風を切って歩いてる。周りに誰がいるかなんて見えていないみたいだ。のたのた歩いていた俺は横から来た港湾労働者っぽい男のラリアットをくらってうっかり死ぬところだった。危ないことこの上ない。

 危ない、といえば危険も本当に多い。駅から社屋までの道中で、俺は五回ほど死を覚悟した。一度目はさっきのラリアット。二度目は十代の若者二人に金をせびられて、路地裏に引きずり込まれそうになった。三度目はナイスバディなお姉さんに手招きされて、どう見てもぼったくりなバーに吸い込まれかけた。四度目は乞食が脚にしがみついてきたとき(金を恵んでくれないなら両足を食いちぎってやる、と脅されたのだが、正直脅しに聞こえなかった)。五度目は、肩がちょっと触れた相手に胸ぐらを掴まれて。田舎者には試練の連続が過ぎる。

 そんな死線を這々の体でくぐり抜けて到着したときには、約束の時間を一時間過ぎていた。初日からいきなり一時間遅刻か、終わった……と冷や汗を滝のように流す俺に、局長は満面の笑みでサムズアップした。


「やるじゃん、ルーキー! あと一時間は遅れてくると思ってたぜ!」


 ああなるほど、こういう町なのか、と俺は悟ったよ。一流の新聞社セラー・オブ・タイムに内定が決まったときは舞い上がったけれど、裏にあったのはこういう事情か、ってね。要するにビアンカ支局に行く手頃な(世間知らずの)人材がいなかったのだ。

 いや、待ってくれ。散々こき下ろしておいて今更かもしれないけれど、俺は別にこの町を嫌いだと言いたいわけじゃない。むしろその逆。控えめに言って最高だ、港湾都市ビアンカ。田舎にない刺激に頭がやれちまったのか、って? ああ、うん、そうかも。その可能性は非常に高い。でもそれだけでもないって自信を持って言えるよ。

 まぁ、まずは俺の財布が掏られていたって話から始めよう。読者諸賢にとっては平凡すぎて面白くないよな、田舎者が掏摸に遭う、なんて。でも俺にとっては一大事。中身はさておき、ちょっとした思い入れのある外側はどうにかして取り返したかったのだ。

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