【完結】あなたの世界を終わらせに来ました

狼二世

プロローグ

前篇 終わった世界の魔王様


 その『世界』には、魔法があった。

 マナと呼ばれる力に支えられ、魔法によって高度な文明を築き上げた世界であった。


 だが、それはもう過去の話。

 水と緑に恵まれた世界は、もう、ない。


 残されたのは灰色の空と色を失った大地。

 生命は、残されていない――たった一つの例外を除いて。


◆◆◆


 始まりは、使命感からだった――


 大地が腐っていく。

 水が濁っていく。

 熱が失われていく。


 徐々に、世界から色が消えていった。

 空から鳥の声が小さくなっていく度、森から獣の声が消えていく度、『彼』は焦燥感を覚えた。


 『彼』は一族の中でも聡明で勇敢な青年であった。世界の異常に早期に気が付くや、自身の知と学が異変を解決する一助にならんと、動き始めた。


 書物を調べ、伝承を調べ、足を使って世界を調べ――そして、その原因は人の世界にあった。

 鉄で作られた異様な建物。空に突き刺さる煙突からは黒煙が空を塗りつぶしている。

 ヒトの集まる世界一の都市。その周辺の土地からは荒野が広がり、草もまったく生えていない。


 ヒトの世界で起こった産業革命。それは、世界を支える『マナ』と呼ばれる元素を過剰に消費し、世界そのものの寿命を削っていた。


 『彼』はヒトの世界を治める王に、調査の結果を報告しようとした。だが、社会において既得権益を有する有力者が事前に反発。『彼』は瞬く間にヒトの都を追われ、世界の敵として追われる身となった。


 荒野を走り、『彼』を信じる仲間を犠牲にして逃げ続けた。お前はそこで死んではならない、と言う言葉に背中を押されて生きた。逃げ先で、何も知らない無辜の人々に追い詰められ――そして、保身のために彼らを殺した先で見たのは、やはり枯れ果てた大地。


 ――このままでは全てが無駄になってしまう――


 次に生まれたのは、犠牲に対する義務感だった――


◆◆◆


 『彼』は世界を相手に戦った。

 禁呪を蘇らせ、死者と幻の軍団を生み出して、ヒトの世界を蹂躙していく。

 その過程において、『彼』は『魔王』となった。そう呼ばれるようになった。


 戦った。

 壊した。

 殺した。


 悪逆の限りを尽くし、戦い続ける。

 その過程において、彼はただ悪であり、世界の危機を訴えようと耳を傾ける存在は居なくなった。


 修羅の道の果て、『魔王』はその身を封印される。

 魔法によって施された強固たる封印は、けっして解けることはない――


 ――そう、世界そのものが失われない限りは――


◆◆◆


 幾星霜の先か――はたまた、近い未来だったか――

 魔王の封印を解かれ、現世に蘇る。


 暗い地下室。苔すらない無の封印の間。封印の石櫃から解き放た時、『魔王』世界からマナが失われていたことを即座に察知した。

 目覚めたばかりの肉体に鞭をうち、封印の間を飛び出して地上へ。

 薄暗い地下室から出た肉体には、外の世界の光は眩しい――その筈だった。


「ぁ――」


 あまりにも弱い声だった。全身から力が抜けてへたり込んだ。

 目の前に広がっていたのは、暗雲に覆われた空。

 大地には草木はなく、ただ荒野と枯木が突き刺さっているだけ。


 声はない。動物たちの鳴き声も、人の声も無い。

 生命の気配そのものが存在しなかった。


◆◆◆


 『魔王』は、どれほど項垂れていただろう。

 彼に語り掛ける存在はない。視界には動くモノは存在しない。

 光は弱々しく、風すら吹かない。


 やがて、ゆっくりと歩き出す。

 幽鬼のような足取りで歩き続ける。


 けれど、見えるのは死んだ世界だけ。

 涙すら流せず、ただ歩き続ける。


 そうして見えてきたのは――世界の果て。


◆◆◆


 そこは、廃墟だった。

 半壊した石の建物。内部にはちぎれた紙が乱暴に散らばっている。

 『魔王』はただ、足を動かす。紙片を踏みつけていることすら気が付かずに。

 そして、建物の先――半壊した門の先。大地が途切れ、闇夜よりも深い黒が広がっている。


 『魔王』は再び足を止める。

 どうしようもない絶望が身を貫く。


 ――何のために戦ったのか――

 ――何のために犠牲を出したのか――

 ――何のために、自分はまだ生きているのか――


 後悔の念は自らの心を蝕む。

 自然と、足が動いていた。

 目の前に広がる闇に踏み込もう――そう思った時だった。


「あなたは、生きていますね」


 声が聞こえた。

 ヒトの気配があった。

 優し気な瞳の少年が、気が付けば『魔王』の隣にいた。


「……あ……あっ……」


 声が出なかった。代わりに、涙が流れていた。


「慌てないで大丈夫です。あなたの声は届いていますし、息遣いもちゃんと聞こえています」


 少年は、そんな『魔王』を待っていてくれた。


◆◆◆


 やがて、『魔王』が落ち着くと、少年は改めて名乗った。


「僕の名前は、エイジ」

「普通に、名乗るんだな」

「はい。名前も分からない相手と話すのって、警戒しちゃいますからね」


 スラスラと喋る少年の目はじっと『魔王』を見ている。

 黒い瞳はしっかりと相手を見据え、声もハキハキとハッキリしている。


「……あ、うん」


 逆に、『魔王』の方が気圧されるくらいだった。


「この『世界』の方ですよね。よければ、何があったか教えてもらえないでしょうか」

 

 エイジと名乗った少年は、じっと『魔王』を見ている。


「長い話になるぞ」

「はい、かまいません」


◆◆◆


 『魔王』は語った。

 世界が崩れ始めた人のこと。防ぐために戦ったこと。


「世界の崩壊を調べる過程で、私は様々な大地を見た。どの土地にも人々がいて、精一杯に生きていた。

 だから、それを守りたいと思ったんだ」


 世界を知るための旅の過程で知ったこと。誰もが生きるために必死だった。

 それはヒトに限らず、動物も、植物も皆、一生懸命に生きていた。


「笑ってしまうだろう。世界を救うために外道に手を染め、その結果魔王と呼ばれ、封印をされた。

 目覚めたのは全てが終わった後。そして世界はこのザマだ」


 その先に待っていたのが終わりだった。


「俺は、無駄だったのかな」


 エイジは何も言わなかった。

 ただ、足元に散らばっている紙片を手に取った。


「それは、どうでしょうか」


 その言葉に、『魔王』は目を見開いた。

 同時に、彼の暗闇になれた瞳に光が差し込む。


「――っ」


 思わず目を閉じてしまう。

 やがて、光が収まると――光の発生源。エイジの腕の中には、一冊の本があった。


「なんで、世界がここだけ残っているか分かりますか?」


 エイジは本を開いて『魔王』に見えるように見せる。


「あなたの言葉を聞いて、世界の終わりに備えた人たちが居たんですよ。最後まで抵抗したからこそ、ここだけは遺った」


 エイジが示したページに記されていたのは、世界が終りかけた時に、足掻くために戦い続けた人々の記憶。

 エイジはそっと『魔王』に本を渡す。

 『魔王』は、ゆっくりと記録を読んでいく。


 ――ああ、どうして私たちは、『彼』の言葉に耳を傾けなかったのだろう――


 最後の頁には、そう記されていた。


「……だが、結局は」

「無意味ではありませんでしたよ。最後まで最善を尽くしたと言うのは、結果とは関係ない。どんな結末があったとしても、ここに記録は遺っていますから」

「……そうか」


 ふっと、身が軽くなったようだった。

 『魔王』は自分自身の存在が軽くなっていくことを感じる。

 それが、自分自身の――世界の終わりであると理解するのに、時間はかからなかった。


 そう、世界はとっくに終わっている。

 終わった世界に、遺っていたのは自分と言う後悔だけ――


 ――では、目の前の少年は?


「君は、どうしてここに?」


 少年はまっすぐに目の前を見る――


「死にきれなかった世界を、殺しに来ました」


 そう、確かに言った。

 その言葉には覚えがあった。

 世界の衰退を調べるために世界中の書物や口伝を集めていたころ。世界の創成に関わる神話。

 全てのものには終わりがあり、今、存在する世界も『終わり』の先に再生したものである。


「ああ、聞いたことがある。

 世界が終わり、新しい世界に生まれ変わる時――全てを見届ける聖者がこの地に降り立つ、と」


 世界が終わる時に、『終わった』と言うことを見届ける存在がある。

 それが、彼であると――


◆◆◆


 『魔王』の死をもって、世界は終わった。

 あとに残されたのは、少年――そして、それを見守り続けた女神の声。


「聖者エイジよ、ありがとうございました」

「お礼を言われるようなことはありません。僕はただ、世界の終わりを見届けただけです」

「それでも、未練の残った世界は新しい世界へと生まれ変わることは出来ません。

 終わりを見届ける君が居るから、私たちは神を続けられるのです」


 ゆっくりと、世界が消えていく。

 神の手によって生まれ変わるために、世界が消えていく。


 ――世界が終わり、新しい世界に生まれ変わる時――全てを見届ける聖者がこの地に降り立つ――


 それは、古い世界から新しい世界に何度も伝えられた伝説。

 死んだ世界を見届けるもの――


 後悔によって死にきれなかった世界を癒し、輪廻を繋ぐ存在――

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