第4話近づくクリスマス

俺はクリスマスが近づくにつれ、仕事も生活も、すべてがどこか楽しくなっていた。

朝起きると少し早く目が覚めるようになり、仕事に行く道中も景色をいつもより意識して見ていた。

生活の中での小さな変化も増えていた。自炊を始めたり、少し凝った料理を作ったり。喜多川さんと過ごす時間が、自然と生活の中心になっていたのだ。


金曜日の夜だけではなく、休日にもお互いの部屋を行き来することが増えた。

朝ご飯を作り合ったり、ビールを片手に簡単なつまみを作ったり。

それで料理が趣味になり、キッチンに立つ時間さえ楽しく感じられるようになった。

でも夜になると、いつも先に喜多川さんが眠ってしまい、朝を迎えても俺の童貞に変化はない。

焦る必要はないと思うし、そもそも俺はこれまで彼女ができたことがなかったから、一生そのままかもしれないとも思っていた。だから、焦りも不安も特になかった。


そんなことを考えているのは、ちょうど仕事中だった。


「なあ、橘?」

「はい?」

「佐伯さんって、今彼女いるの?」


思わず手が止まった。

「なんで俺に聞くんだ?」

「だって、よく一緒にいるの見るし」

「今はいないって聞いたけど」

「まじ!!」

「声、でかいよ」

「あ、ごめん」


こいつは俺のことをよく見ている。

「それでなんで佐伯なんだ?」

「いや、滅茶苦茶美人だろ」

「それだけ?」

「まあ、人事部の同期に聞いたら、人当たりも良いし、何より気遣いができて、仕事もできる。正に弱点がなくていい人だと思うんだよ」


佐伯は飲み会でも面倒見がよく、部長が酔いつぶれても、隣で勢いよく対応して場を盛り上げる。

そのたびに家が近い俺が送り届けるのが定番になっていた。

いつも部長の面倒を見る佐伯に、皆も感謝していたし、俺も感謝していた。


「まあ、佐伯も彼氏に振られたばっかりだから、レベルは上がるけど、佐久間だったら良いんじゃないか?」

「本当か?」

「うん、まあ頑張れ」

「それだけ?」

「え?」

「なんか佐伯さんの好きなものとか、聞いてくれない?」

「なんで俺が」

「だって男で佐伯さんと一番仲いいの橘だろ?」

「まあ、そうかもしれないけどさ」

「じゃあさ、聞いてみてよ」

「分かったよ」


その後、俺は佐伯をランチに誘った。

会社の食事スペースで、弁当を広げながら向かい合う。


「あんたから誘うなんて珍しいじゃん」

「まあな」

「それで、進展はあった?」


弁当を口に運ぶ瞬間、少しドキドキした。

「なんで急にそんな話になるんだ?」

「だって、最近お弁当持ってきて食べてるじゃん」

「よく見てるな~」

「まあ、目に入っただけ」

「そっか」

「それで、彼女が作ってくれたの?」

「は?」

「いや、そうかなって思って」

「これは自分で作ったの」

「へー、信じてないな」

「まあ、あんたが料理できるように見えないから」

「俺だって最近自炊してるんだよ」

「なんで?」

「色々あって」

「喜多川さんだっけ?その人の影響?」

「まあ、よく家に来てもらってるし、いつもコンビニじゃ味気ないからな」

「で、付き合ったの?」

「まだ」

「えー、つまんないな」

「悪かったな」

「いつ気持ち伝えるの?」

「明日言う」

「え、急展開じゃん」

「まあ、クリスマスだし」

「はー、学生みたいなことするんだね」

「そうか?」

「そうよ。大体あんた、『好きです、付き合ってください』とか決まり文句言うんじゃないでしょうね?」

「悪いの?」

「あのね、そんな子供みたいなのはもう大人には通用しないんだよ」

「じゃあなんて言うの?」

「自分で考えろ。でも夜景が見える場所とか、ロケーションに気を使ってスマートに気持ちを伝えるのが無難じゃない?」

「大人の恋愛って難しいな」

「まあ、そうやって皆大人になっていくのよ」


「で、今日は喜多川さんの話で呼んだの?」

「いや、佐伯って何が好きなの?」

「は?」

「同期でそういう話になって」

「ふーん、でもそいつとは付き合わない」

「え?」

「あんた、私の情報欲しがってるでしょ?」


勘が鋭い。素直に言わなければ、面倒になると思った。

「まあ、佐伯って会社の中でも人気だからな」

「私は社内恋愛しない主義」

「そうなんだ」

「うん、別れた時とか色々面倒だし。それに、自分からアプローチもできない男とは付き合わない」

「ばっさりだな~」

「私がそういう性格なの知ってるでしょ?」

「まあ、伝えとくよ」

「はい、これで話終わり。今度はあんたの番」

「俺?」

「そう、でも私から言うと絶対成功すると思うよ」

「なんで?」

「休みの時は大体一緒にいるんでしょ?」

「まあ、でも友達としてかもしれないし」

「少なくとも印象はいいと思うよ」

「そう?」

「うん。だから明日、思いっきり自分の気持ちを伝えておいで。駄目ならいくらでも付き合うから」

「分かった」


昼休みはあっという間に終わり、仕事に戻った。

佐久間には正直に話したので少しショックを受けていたが、これも彼女のためになると思った。


その夜。

俺は明日のために買い物を済ませ、家に帰るとクローゼットから服を引っ張り出し、鏡の前でファッションショーを始めた。

だが、女子みたいで恥ずかしくなり、結局いつもの黒いコートに落ち着く。


ベランダに出て煙草を取り出す。

「まーた、一人で吸ってる」

隣には喜多川さんが立っていた。


「悪いですか?」

「まあね、一人で夜空見ながら寒い所で吸うなんて寂しくない?」

「寂しいですか……」

「うん、冬は人肌恋しいって言うでしょ?」

「そうですね」

「じゃあ、私が寄り添ってあげるよ」

「どういう意味ですか?」


笑いながら煙を吐く彼女。

《貴方は一人じゃない》――そう言われた気がした。


「え?」

「どうせ考え込んでるんでしょ、聞いてあげる」

「仕事の話なんてつまらないですよ」

「まあまあ、仕事なんてしないと生きてけないんだから」


今日は、ささいなミスをしてしまった。

小さなことだったが、俺の性格上、気にせずにはいられなかった。

それを話し、聞いてもらうと、なんだか心が軽くなった。

こんなことでも聞いてくれる人がいるって、幸せなことだな、と改めて思った。


そして次の日。

仕事をいつもより早く切り上げ、俺は渋谷駅に向かった。

今日はクリスマス。

一歩一歩、心臓の鼓動が高鳴っていた。

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