第3話キムチ鍋
それからというもの、喜多川さんと飲むことが増えていった。
毎週金曜日は、どちらかの部屋で飲むのがいつものパターンになった。
そして今日も金曜日。昼過ぎ、スマホに通知が届く。
「今日はうち来てよ」――喜多川さんからの連絡だった。
いつもは俺の部屋で飲んでいたので、今日は初めて喜多川さんの部屋に行ける。
小さくガッツポーズをしてしまったが、同僚にそれを見られてしまい、昼休みにランチに誘われた。
「それで、彼女から連絡でもきたの?」
俺の前に座ったのは、同じ会社の佐伯美咲。
研修で知り合い、そこから仲良くなった同僚だ。昼はよくランチを共にするが、いつも仕事の相談をしている。
ただ不思議なことに、恋愛相談はほとんどが佐伯から。俺、彼女できたことないのに、なぜかよく相談される。
「それで、どんな連絡だったの?」
「いや、ただの報告だよ」
「本当に~?」
「本当だよ。そっちはまた彼氏の相談か?」
「いや、彼氏とは別れた」
「え?」
「今まで彼氏に合わせて、髪型やメイクも頑張ったのに浮気された」
「まじか……」
「うん、なんでかな~」
「まあ、それは……残念だったな」
「思い出すとムカついてくる」
「まあまあ、落ち着けって」
佐伯の視線はいつも鋭く、俺の変化にもすぐ気づく。
「なんかあんた変わったね」
「どこが?」
「仕事も順調みたいだし、顔色もいいし、笑顔も増えたよ」
そんな風に言われて初めて、俺をここまで見てくれる人がいることに気づいた。
「佐伯って、いい奴だな」
「なにそれ」
「いや、俺をそこまで見てくれる人、今までいなかったから」
「そうなの?」
「うん」
「まあ、部署は違うけど、噂程度だけど」
「噂でも嬉しいもんだな」
そして唐突に、佐伯が顔をしかめる。
「でもさ、あんた彼女できたんじゃないの?」
「なんでそうなる」
「女の勘よ。それにさっきの行動見て、そう思わないわけないなって」
「まあ、あれは……」
「あー、私が彼氏いないのにあんたに彼女ができることが許せない」
「そんな理不尽な……」
「だって、あんた彼女いたことないんでしょ?」
「まあ」
「案外そういう奴がすぐ結婚まで行くのよ」
「そうなの?」
「そうよ。学生時代の友達も最近結婚ラッシュで、落ち込んでたのに」
「結婚か……」
「私より先に幸せ感じるな」
「さっきから理不尽すぎるぞ」
佐伯のからかい混じりの忠告に、少し笑ってしまう。
「で、どんな人なの?」
「え?」
「話くらい聞かせてよ。私に恋愛リアリティ番組以外で幸を感じさせて」
「そんなの見てたのか」
「それはいいから」
「まあ、喜多川さんっていう人。マッチングアプリでぶっちされたときに声をかけられて、同じ状況で傷心者同士、成り行きで飲みに行ったのが最初。酔いつぶれた喜多川さんを俺の家に連れて行って、その日は終わった」
「まじで?」
「うん」
「それだけ?」
「そうだけど」
「あんた、度胸ないね~」
「どういう意味だよ」
「普通、酔った女性を家に連れて行ったら……やる流れでしょ」
「相手の同意なくやったら捕まります」
「真面目ね~」
「まあね。でも手を出さなかったから、今の関係性があるんだ」
「そんな度胸があれば童貞じゃないか」
「苦しいこと言うなよ」
最近は毎週金曜日、俺の家で飲むようになった。
「まじ?」
「うん。最初に来たとき、会社が俺の家の方が近いって分かって、それで隣の部屋に引っ越してきたんだ」
「えー、なんかそれってやばいよ」
「何が?」
「普通、同じマンションで隣に引っ越してくる?」
「偶然でしょ」
「間違いなく脈ありね」
「そんな単純じゃないだろ」
「いや、行動がそれを物語ってるでしょ」
今日も誘われたので、喜びと緊張で胸が高鳴る。
「今夜が山ね」
「気が早いんだよ」
「そんなんじゃ一生童貞よ」
「まあ、いつかは大丈夫でしょ」
「そんなこと言ってないで本気になりなさい」
「え?」
「そこまで関係性が成り立ってるんだから、実際どうなの?」
「俺?」
「うん、なんとなくだけど、他の人とは違う安心感がある」
「そういう違いに気づいたら、答えはもう出てる。あんたも二十代後半だし、そろそろ彼女の一人も作った方がいい」
「分かったよ」
「でも気を付けなよ」
「何が?」
「その喜多川さん、ストーカーまでは行かなくても、あんたに固執してるかも」
「そんなに?」
「うん。過去に闇ありそうだし、注意して」
「うん」
その夜。
「お邪魔します」
「どうぞ」
女性の部屋に入るのは初めてで、心臓が跳ねる。
リビングに入ると、心地よい香りが漂っていた。
「そこ座って」
「はい」
喜多川さんは冷蔵庫からビールを取り出してくれる。
「とりあえず乾杯!!」
「乾杯」
「ねえ?」
「はい?」
「そんなにじろじろ見ないでよ」
「あ、すいません」
「その反応もチェリーボーイ過ぎるって」
「いや、否定はしませんけど傷つきます」
「お腹空いてる?」
「はい」
「ちょっと待ってて」
「今から何か作るんですか?」
「いや、用意してる」
しばらくして喜多川さんが戻ってくる。
「じゃーん」
鍋を置き、蓋を開けると、赤く染まったスープに野菜や肉がたっぷり。
「おお、美味そう。キムチですか?」
「うん。家ではいつもキムチ鍋だから」
「へー、僕も一番キムチ鍋好きです」
「そうでしょ?」
「なんで分かったんですか?」
「なんとなく」
「なんとなく?」
「うん、じゃあ改めて乾杯」
ビールを飲みながら鍋を突っつく。
正直、美味しくて、この時間がとても幸せに感じられた。
「そう言えば、来週クリスマスね」
「そうですね」
「予定は?」
「あるわけないじゃないですか、もしかして喜多川さんは……?」
「うーん、どうでしょう?」
「一人にしないでくださいよー」
「予定あるわよ」
「え?」
確かに、喜多川さんほどの美人を他の男がほっとくわけがない。
今こうして二人で飲んでいるのが、まるで奇跡のように思えた。
「仕事の予定だけど、夜は空いてる」
「じゃあ、この前言ったことは……?」
「一緒にイルミネーション行く?」
「はい」
「了解」
「もう、びびったっすよ」
「私としては、もう少しからかってみたかったけど」
「勘弁してくださいよ」
「じゃあ渋谷で青の洞窟とか行く?」
「そうですね」
「行くのは学生以来だな」
「そうなんですか?」
「うん、その時、後輩に告白された」
「へー」
「いい子だったけどね」
「別れちゃったんですか?」
「うーん、私としては別れたつもりはない。まだ心にいる感じ」
「そうなんですね」
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