第2話面影の少女

翌朝、目を覚ますと喜多川さんがコーヒーとスクランブルエッグを作り、椅子に座っていた。


「あ、橘君、起きた?」

「ご飯、作ってくれたんですか?」

「うん。昨日、手を出さなかったお礼」

「そんな勇気があれば、僕に彼女なんて出来てないと思います」

「そうなの?」


喜多川さんは、どうやら昨日の記憶がほとんどないようだった。

「昨日、散々話したじゃないですか」

「覚えてないな~」

「まあ、だいぶ飲んでましたもんね」

「いつもはあれくらいで酔わないんだけど、なんか安心できるんだよね」

「僕も、そんな感じがしました」

「意外と運命の出会いだったりして」

喜多川さんはケラケラと笑った。

「冗談、きついっすよ」

「はいはい」


朝食を取りながら、二人は笑い話を交わす。

「そういえば、高校の時に綺麗な階段があったんです」

「へー。私も靴箱の前に大きくて綺麗な階段あったよ」

「へー、偶然ですね」

「そうなの。それで?」

「仲の良かった友達が、プールの授業で階段を降りる時に……」


俺はスマホでキャラクターの写真を見せた。

「面白い話を持ってるじゃん」

喜多川さんも笑った。

「もっと橘君の話、聞かせて」

「え?」

「だって、面白いし」

「でもそろそろ仕事に行かないと」


時計を見ると7時半。

「そうだね、じゃあ私行くね」

「はい」

喜多川さんは立ち上がり、荷物を持って玄関まで見送った。


「あ!!」

「なんですか、急に大声出して」

「ライン交換しよ」

「はい?」

「良いから、連絡先」

「ああ、はい」


スマホを取り出し、連絡先を交換する。

「これでいつでも会えるね」

「なんか怖いっす」

「まあ、いいじゃん」

「良いですけど」

「じゃあ、またね」

「はい」


ドアを開け外に出ると、喜多川さんが振り返る。

「忘れ物ですか?」

「いや、まだ女の子とは一夜を過ごしてないんだね」

「はい?」

少しムカついたが、笑顔で返す。

「別に、橘君がチェリーボーイで良かったって」

「からかうのもほどほどにしてくださいね」

「はいはい、じゃあまた」

「はい」


しばらくして、喜多川さんとはちょくちょく飲みに行くようになった。

そのおかげもあってか、仕事は右肩上がりで調子が良かった。

なんだか、人生がいい方向に傾いている気がした。


休日、家で小説を読んでいると、外が少し騒がしい。

業者の声が聞こえ、コンビニに行くついでに覗くと、隣の部屋で引っ越し作業中だった。

角部屋の利点が少し失われ、残念に思う。


昼になり、音も落ち着いたのでベランダに出て煙草を一本。冬の昼日差しでも寒く、自分が吐く煙が空気なのか煙なのか分からない。

「はー、今年もクリスマスは一人か……」


その時だった。

「それなら、私が付き合おうか?」

「へ?」

声が裏返るのを聞かれたことが恥ずかしい。


隣で笑っているのは……喜多川さんだった。

「喜多川さん?」

「なに?」

「隣に引っ越してきたのって、喜多川さんだったんですか?」

「うん。火、頂戴」

「はい」

ライターを渡すと、彼女の腕は真っ白で雪のようだった。


「煙草吸うんですね」

「うん、橘君は?」

「アメスピです」

「へー」

「興味ないですよね、その返事」

「いや、私はマルボロ」

「聞いてないです」

「えー、聞いてよ」

「マルボロですか」

「なにか?」

「良い趣味してるなって。セッターだったら王道で可愛げがあるなって」

「一言余計ね。まあ、最初はセッターですけど」

「可愛いとこあるじゃないですか」

「馬鹿にしてる?」

「いや、そんなことは」


少し膨れた頬で煙草を吸う姿は、何とも様になっていた。


「いつから吸ってるんですか?」

「二十歳になった時に」

「へー」

「そっちこそ?」

「興味はありますよ、飲みに行った時に吸ってなかったのに」

「家ではリラックスしてる時じゃ吸わないの」

「僕と飲んだ時はリラックスしてなかったってこと?」

「違う、見られたくなかっただけ」

「煙草吸う女って気が強そうで嫌いでしょ」

「そんなことないですよ。女の子は少し気が強いくらいがちょうど良い」

「もしかして口説いてる?」

「まさか」

「年下男性に慰められるなんて」

「いいじゃないです。それよりなんでここに?」

「会社が近いって気づいて」

「そうなんですね」

「自由が丘、良い所ね」

「この何とも言えない都会の中のおしゃれな街が好き」

「橘君のそういう所、好きよ」

「はい?!」

「反応も初心な所もね」

「からかうのも勘弁してください」

「はーい」


正直、会うたびに攻撃が強くなり、心臓が持たない。ここで少しお灸を添えねばと思った。


「ねえ?」

「はい?」

「こっち来てよ」

「え?」

「引っ越し手伝って」

「えー」

「お願い。お礼にクリスマス、付き合ってあげるから」

「それなら、まあ……」


[君の素直な所、素敵ね]


「へ?」

聞き覚えのある声。どこかで聞いた台詞で、映像がフラッシュバックした。

同じ高校の制服を着た先輩の後ろ姿が見えた。


「早くねー」

「分かってますって」

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