授業の終わりを告げるチャイムが、緩やかに鳴り響いた。それと同時に、教室の空気が解放感で満たされる。金曜日の今日は心なしか、ざわつきが大きい気がした。

「エプロンの提出が出来ない人は宿題ね。片付けが終わった人から帰って良いよ」

　先生の一声で、みんなが動き始める。ソーイングセットを片付け始める子がほとんどだけど、残ってやっていく子もチラホラいるみたい。あと一息ってところなのかも。

　にしても、疲れたなぁ。

　ぐっと伸びをして、とっちらかった作業台の上を片付ける。

　お裁縫とか、工作とか、そういう作業は昔から苦手だった。何とか今日中に終わったんだけれどね。

　どうして家庭科なんて選んだんだろう。過去の私。

　そっとため息をついて、教室中央のにできている人だかりに視線を向けた。

　あの辺りの席には、確か……。

　中心にいる人物と目が合った。

「あ、セーラちゃん待って！」

　人混みを掻き分けて、スマホを片手に駆け寄ってくる。名前はカレンさん。このクラスで一番、裁縫が上手でオシャレで……有り体に言えば人気者。

　会話は、したことがなかった。

「どうかしたの？」

「ルーク君から連絡だよ。『図書室で待ってる』って」

　ルーク。その名前に、思わず眉をひそめた。

「い、嫌そうな顔だね。いつも一緒にいるから、仲良しだなって思ってたけど……。でもまあ、伝えたから！　また来週ね！」

　カレンさんは軽く手を振って、輪の中心へと戻っていく。居残り組につきあってあげるみたい。授業中もずっと教えてたのに、すごい。その面倒見のよさも、人気者のゆえんなのかな。

　それよりルークの件、どうしよう。

　本音を言えば、行きたくない。けど、それはそれで後が面倒なんだ。家の前で待ちぶせを食らったりするから。まあ、あの時は私がルークの家に本を忘れたから届けに来てくれたのだけれど。

　大抵の場合、ルークからの呼び出しは大した用件じゃない。

　漏れ出そうになるため息を飲み込む。

　幸せに逃げられたくないもの。

　とっとと行って、用件聞いたら帰ろう。

　「開館中」のプレートのかかったドアを開けると、入ってすぐの学習スペースにルークの姿が見えた。一心不乱に鉛筆を動かしている。周りには分厚い本が山積みだ。

　宿題？

　でも、ルークがあんなに必死になるなんて、珍しい。大抵のことは、そつなくこなすのに。少なくとも、主要科目で苦戦している姿は見たことがない。飛び級の話が出るくらいだ。

　何の教科だろう？

　こっそり背後に回って、覗き込んでみる。ノートと一緒に広がっていたのは、絵画やら宝石やらの資料だった。

「どうしたの、これ？」

「うおっ!?」

　ルークの声が図書室中に響いた。近くにいた生徒、数人の視線が集まる。

「すいません！」

　ルークが謝ると生徒たちは苦笑し、それぞれの作業へと戻っていった。

「図書室で騒がない」

「驚かすからだろ！」

「こんなに近寄っても気付かないなんて、よっぽど集中してたのね。それで、どうしたの？　これ」

　資料を指差すと、ルークは顔を掻きながら口ごもった。視線が右へ左へと忙しなく動いている。

　ふーん。隠し事なんて、珍しい。普段はバカみたいに正直なのに。冗談半分でスマホのパスコードは聞くべきじゃないっていうのが、この間の会話で判明したばかりだ。

「無理して答えなくてもいいよ。――で、用件は？」

「そうだった。ちょっと待ってて」

　ルークはいそいそと片付けを始めた。プリントの上下や順番を整えずにノートに挟み込んでる。

　その様子を眺めていると、周りのささやき声が耳に入ってきた。

「アイツら、仲良いよな」

「どっちかっていうと、ルークがちょっかいかけてるだけじゃないか？」

「あの子、本片付けるくらいしてあげれば良いのに」

「セーラちゃんだから仕方ないよ。いっつもお高くとまってるじゃん」

　色々な声が聞こえてくる。こちらを睨むような視線も感じる。今すぐ、耳を塞いでしまいたかった。

　ルークに憧れている子はたくさん、いる。カッコ良くて、優しくて、頭も運動神経も良い。先生方からの信頼だって厚い。これだけ揃っていれば、注目の的になるには十分だ。その人気者が、可愛げの欠片も無いヤツとつるんでたら、そりゃ、良い気分にはならない。けど私だって、一緒にいたくて、いるわけじゃない。ルークがうるさいくらいに構ってくるだけ。

　言いたいなら嫌味だって何だって言えば良いい。

　そう思ってるけど、受け流しきれない自分がいた。

「セーラ、お待たせ！」

　ルークが、リュックを背負いながら言った。何にも聞こえてなかったのか、柔らかい笑みを浮かべている。こういう鈍いところが、イライラする。

「人を呼んどいて、待たせないでよ」

「ゴメン、ゴメン。……早く行こ」

　私の手を引いて歩き出した。廊下は、来た時よりも騒がしくなっていた。捕まれたままの手首を、そっと外す。

「……どこ行くの？」

「オレの家。実は昨日、母さんが帰ってきたんだ。それで、よかったらセーラも一緒に夕飯食べないかって」

　ルークの声はいつもより明るく、弾んでる。

　それもそのはずで、ミシアさんが家にいることはほとんどない。何の仕事をしているのかは分からないけれど、世界中を飛び回ってるんだ。去年も帰ってきたと思ったら二、三日でまた仕事に行ってしまったらしい。私は直接会えなかった。後からルークが、ミシアさんからのお土産とメッセージカードを届けに来てくれたんだ。

「そういうことなら、行きたい。何時から？」

「六時。だから急がなくても良いよ。家でゆっくりしてなよ」

　そうは言っても……。食事の準備くらい手伝わないと。

　それに、なにか贈り物も用意したい。幼い頃、ルークの家でお世話になっていた関係で、頻繁に電話やメールをくれて、気にかけてもらっている。現地からお菓子や小物を送ってくれることもしょっちゅうだ。お土産を眺めているだけで、世界一周した気分になれるくらい。だから少しでもお返しがしたいんだ。

「……私、買い物してから行くね」

「おう。また後でな」

　校門でルークと別れて、街へと向かう。

　坂を下る足が、軽かった。