第29話

 ※


 朝食を食べ終わると、ぼくたちは車で大浜海岸へ向かった。

 空はよく晴れていて、雨はもうまったく降りそうにない。風もほとんどなくて、波もしごく穏やかだった。

 ぼくらは白い砂浜の適当な場所にパラソルを立てると、シートを敷いて、荷物を置いた。平日の午前中ということもあってか、数えるほどしか人間はいなかった。離れた場所に四、五人の若者らしき集団が、一組いるだけのようだった。ぼくにはもう絶対に出すことのできないだろうはしゃいだ声が、時おり風に乗ってこちらまで聞こえてくる。水平線の彼方には、飛び上がった鯨のような巨大な白い雲がどってりと浮かんでいて、まもなく真上に昇り詰めようとしている太陽が、何もかもを白日の下にさらそうとするかのように、じりじりと輝きを増しつつあった。


 こういう風に言葉にしてしまうと、その場所は絵葉書のように水際立ったものに思えてしまうのだけど、でも、実際はちょっと違う。誰かが残していったものか、はたまた流れ着いたものかはわからないけれど、残念なことに、そこにはいくつかのゴミが存在していたからだ。数が少ないがゆえに、否応なしに目に付いた。その辺一体を一通り歩き、三太君が怪我をしてしまわないように、丸くなりきっていないガラス片などの危険そうなものと、ペットボトルなどの大きなものだけを取り除いて一箇所に集めると、あとは見なかったことにした。


 クーラーボックスから取り出した、350㎖缶入りのオリオンビールを、南子姉さんが一本ぼくに投げてよこした。

「すごくよく冷えてる」

 姉さんは得意気に微笑んだ。「お腹が減ったら言ってね。お重五段用意しとるけん」

「ずい分作ったね」

「麻凪さんが来ると思ってね、張り切ったんよ」

「そっか。来てくれればいいんだけどね……」

「まあたそんなこと言っとるが。そんときはあんたが全部食べんさい」

 ぼくはあえて無反応で缶を開けて一口飲んだ。こんなにビールがうまいのは久しぶりだな、頭の半分ではそう感じていたけれど、もう半分が全力でその事実を否定していた。これからまた麻凪と電話で話して言い合いになるのかと思うと、憂鬱極まりない気持ちだった。

 見ると、アニメキャラクターのワッペンの付いた黄色い水着を穿いた三太君が、膝と一緒に虫かごを抱えながら、つまらなそうに海を眺めていた。姉さんが自分のビールと三太君用の飲み物をボックスから取り出して言った。「珍しかね、あんたがゲームせんなんて」

「咬まれるのが嫌なんじゃないかな」ぼくは言った。

「かまれる?」

「まあちょっとね。ねえ、砂山でも作らない?」

 ぼくが訊ねると、三太君は仕方なさそうに頷いた。


 波打ち際の湿った砂をパラソルの近くまで運び、ぼくたちは砂山を作ることにした。三太君は初め、嫌々作っているように見えたけれど、完成が近づくにつれ、真剣になってきたようだった。そしてそれはぼくの方も同じで、いつしかぼくたちは、時間が経つのも忘れ、夢中になって砂山を作っていた。白いショートパンツにピンクのTシャツ、そして大きなサングラスという格好の姉さんは、パラソルの下でバッグを枕に、あお向けになって黙々と文庫本を読みふけっている。

 一時間ほどもすると、腰くらいまでの高さのある巨大な砂山が出来上がった。なんだか昨日見たトビラ島みたいだよね、とぼくが言うと、三太君は力強く頷いて同意してくれた。実際にそれは、トビラ島のミニチュアのような砂山だった。優衣の大好きだったアポロチョコレートにも見えたけれど、今はトビラ島だと思うことにした。三太君は三太君で、例の眉間にしわを寄せたエイハブ船長の顔で、何かを想像しながら砂山を見つめているように見える。しばらくの間三太君とぼくは、何も言わないままに砂山を見つめ続けた。

「そうだ、仕上げにトンネルを掘らない?」

 何気なく思い付いてぼくが提案すると、三太君ははっと驚いたようにこちらを見上げ、こっくりと頷いた。

 左右二手に分かれると、砂山が崩れないように細心の注意を払いながら、各々少しずつ手でトンネルを掘っていった。やがて三太君とぼくの指先が触れ、多少でこぼことしているものの、無事にドッヂボールほどの立派なトンネルが開通した。ぼくはトンネル内の天井と壁を軽く押さえてから慎重に手を引き抜くと、身をかがめてその中を覗き込んだ。覗き込んでみると、ちょうど三太君も向こう側から中を覗き込もうとしているところだった。目が合ってぼくがにっこりと笑うと、三太君もにっこりと笑い返してくれた──笑った? 思わずぼくは顔を上げ、立ち上がって直接三太君を確認する。三太君も身を起こしてこっちを見ていたけれど、その顔は既にいつもの渋いエイハブ顏へと戻っていたあとだった。

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