さあ、手袋を拾いなさい

七枕なな

さあ、手袋を拾いなさい

「カシス・クレニーイ、君はここにいるアリス・モハメッド男爵令嬢に対して暴言や卑劣な嫌がらせを繰り返していたな?お前のような野蛮な女を我が王家に王妃として迎えるわけにはいかない!よって、お前との婚約は今この時をもって破棄させてもらう!」


 ふと、明日の卒業パーティーでそんな冤罪をふっかけられ、婚約を破棄されるような予感がしたカシス・クレニーイ侯爵令嬢は、ふむ、と思い立った。


 学園内のサロンで人目もはばからず体を寄せ合う己の婚約者と、アリス・モハメッド男爵令嬢の元に向かい、その足元に手袋を叩きつけ、カシスは言った。


「さあ、手袋を拾いなさい」


 手袋、とは言ってもそれは、この王国の国技、ボクシングに使う競技用のグローブである。


 カシスはただ、王子に筋を通せと言いたかった。


 政治上、カシスとの婚約破棄は困るが、アリス・モハメッド男爵令嬢を側妃に迎えたいと言うなら、カシスは別に構わないと思った。

 好きな女を側妃に迎える。そのくらいの我儘は、国の僕たる王として許されるべきだろう。


 ただ、王子はこの国を率いていく身だ。

 自らの我を通すのならそれなりの覚悟を見せてもらわねばならない。

 カシスは王子の答えを待った。


 だが、先に動いたのはアリス・モハメッド男爵令嬢だった。

 

「モハメッド男爵領フライ級王者である私に決闘を挑もうと言うの?」


 アリスはグローブを拾い上げると、鼻で笑う。いかにもフォークより重いものは持ったことはありません、といったカシスの細腕で、リングに上った経験があるとは思えなかったからだ。

 アリスが自分を侮っていることが伝わってきたカシスは、こちらもまた片腕を差し出し、指先で誘うように挑発する。


「夕方、騎士科訓練場脇の土手でお待ちしてますわ。田舎者の男爵令嬢風情が、所詮井の中の蛙だってことを思い知らせてあげますわ」



 夕日が、流れる川を赤く染めるその横で、戦いは始まった。


 最初のラウンドから両者ともに一歩も引かず、パンチの飛び交う音とゴングの響きが会場を震わせる。白熱した戦いに、いつしか観客は増え、熱戦に歓声が飛び交う。

 

 アリスが鋭いジャブを放つと、カシスは巧みにかわしながら鋭いフックを返す。数秒ごとに攻防が入れ替わり、まるで火花が飛び散るかのような連打戦。血と汗の気が混じり合い、会場のボルテージは否応なく上がっていく。


 最終ラウンド、アリスの動きが一瞬鈍ったところを見逃さず、カシスが左ストレートを豪快に叩き込む。決着は一瞬だった。


 精根尽き果て崩れ落ちたアリスの横に、カシスもまた、息を切らせて倒れ込む。


「負けたわ。王妃の座に座る資格は私にはない。完敗よ」

「紙一重の勝利だった。田舎者だなんて言って悪かったわね。あなた、強かったわ」


 ふふふ、とお互いの健闘を讃え微笑み合う彼女たちを、集まった観客たちが祝福する。

 美しい光景だった。


 そんな中、この決闘で一人だけ、蚊帳の外だった男がいた。


「アリスはカシスみたいに野蛮な趣味なんて無いと思ってたのに⋯⋯」


 この男、王子でありながら、カシスに一度もボクシングで勝ったことがなく、幼少期からの師範である宮廷拳闘士には、才能無しの烙印を押されていた。

 そのため、国技であるボクシングとカシスにたいへん強い劣等感を持ち、なんとかカシスとの婚約を破棄し、ボクシングとは無縁な令嬢を王妃として娶るため、密かに計画を立てていたのだが。


「はあ⋯⋯」


 目の前では、「私が正妃になるから、あなたは側妃になるといいわ。男爵令嬢から成り上がりを狙うなんてなかなか根性あるじゃない」「ほんとですかお姉さま」などと、王子の意思など完全に無視した会話を繰り広げている二人がいる。


 せめて生まれてくる子には、ボクシングではなくチェスやカードといった、文化的な趣味を持たせてあげよう、と心に誓う王子だった。


 十年後、カシスが産んだ王子とアリスが産んだ王女が、良いスパーリングパートナーとして育ち、誕生日に専用リングをねだってくることになるが、それはまだ、誰も知らない。

 

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さあ、手袋を拾いなさい 七枕なな @aaaankoromochi

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