箱の中

円坂成巳

第1話 段ボール箱

私の夫は家でかくれんぼを禁止している。小さい頃の体験がそうさせているようだ。

 でも、休日の朝、夫が寝ているので、息子とかくれんぼで遊ぶことにした。

 息子は段ボール箱の中に隠れている。

 箱の中から「もういいよう」声がした。

 五歳の息子が段ボール箱の中に隠れている。微笑ましい光景なのに、息子の声がくぐもっているせいな、何だか不安な感じがした。

 私の目は読みかけの文庫本の頁に戻る。テーブルの上にはコーヒー。休日、朝ごはんの片付けがおわって洗濯物も干してやっと一息と思ったら、次は息子の遊び相手だ。

 探してよう、息子が箱の中から催促するので、椅子から立ち上がることなく、どこだろうなあと大袈裟に声を出すと、こっちだようと返事があった。

 そこの箱の中かなあ、と声をかけると、ここにはいないよーと声が返る。

 あれ、声が聞こえるなあ、誰かなあ、と続けると、息子は、ぼくじゃないよーお化けだよーと返す。

 そろそろ頃合いだろうか。がまんできなくなって息子が「ばあ」と飛び出してきたら、びっくりしたよお化けかと思ったよと、笑い合おう。もう少し隠れているようだったら、適当に声をかけながら、しばらく隠れ続けていてもらおう。

 うん、やっぱり鬼ごっこよりも隠れんぼが楽だったな。まだ、本格的に隠れるよりも、見つけてもらうことを楽しむ年齢なのだ。それに、部屋の中に限定したのがよかった。リビング内であれば、私が動かなくともよい。かくれんぼが終わったら、次は絵本かお絵かきでもしようか。できれば一人でお絵かきかパズルに集中してもらえると助かるのだが、きっといっしょにしようと言うだろう。そろそろテレビゲームを買うのも考えてよいのかも。

 少し様子をみていると、息子は意外と我慢強く隠れている。

「ほんとにみつからないなあ。どこだろう」 

 声をかけても、箱の中から声が上がらない。ふっと嫌な妄想が頭をよぎる。

 この中にいるのはほんとうに息子だろうか。

 なぜそんなことが頭に浮かんだのか。空気が冷える気がした。夫のせいだ。あんな話を聞かせるから。いや、せがんだのは私だったけれど。

 息子は可愛いが、土曜の朝に六時から元気に起きてもらっては疲れが取れるひまもない。夫は、土曜は午前中は寝ていると決めている。

 子供が生まれたばかりのころは家事は半分ずつの時期もあったが、結局、一年くらいでほとんどの家事は私がするようになった。仕事から帰って、息子を迎えに行ってからの家事となるので、夫がよっぽど遅い残業でもない限り、寝る時間は対して変わらないし、朝は私が起きるのが早く、お弁当づくりをしている。平日はまあ仕方がないとして、土日の家事は半々にしないと納得がいかないのだが、結局は夫は甘やかしてしまっているのだ。

 今日も朝から息子は元気で、朝食後にゆっくりする間もなくおやつを食べたいと駄々をこねて、次は鬼ごっこをせがんできた。鬼ごっこは疲れる。息子は走るのも早くなってきたし、なんと言っても、いつまでも終わらないのだ。今日はちょっとしんどいなぁと感じた。そこで思いついた。

「ねえ、かくれんぼにしない」と提案してみると、息子は口を開けて驚いた顔をしていた。

「え、いいの。パパがうちではだめだって」

「パパには秘密。寝ているから大丈夫よ。この部屋の中だけで声を小さくね」

 穏やかな夫が家族に守らせる数少ないこだわりやルールの中で、一般的とは言えない奇妙なものが一つだけあった。それは、家ではかくれんぼをしないというものであった。

 何を言ってるのと思ったが、奇妙なことを頼むけれど俺のためだと思って守ってくれないかと、真剣にそう言われて笑い飛ばすこともできなかった。

 夫の子供の頃に嫌なことがあったためだが、こういうのはトラウマとでも言うのだろうか。どうも、友達がかくれんぼ中に行方不明になっているらしい。話は聞かせてもらったけれど、冷たいようだが、大人になってまで引きずりすぎではないかなと思った。とはいえ、人の心の傷はそれぞれだから、夫にとっては大変なことだったのだろう。息子にはうちで隠れんぼをするとおばけに連れて行かれちゃうよと言い聞かせてなんとかごまかしてきた。最近は、かくれんぼを見るとお父さんの調子が悪くなっちゃうから家では禁止なのだと言ってはいたが、いつまで通じるだろうか。最後は家のルールだからで押し切るしかなさそうだが。

 保育園では、息子は普通にかくれんぼも友達や先生といっしょにしているのだが、夫は、それは構わないようだ。ようは夫の目のとどくところでかくれんぼをしてくれるなということなのだ。

 でも、今日の私は夫へのちょっとした反抗のつもりで、かくれんぼを自宅で夫の寝ている間にしてやろうと、そう思いついたのだった。

 まだ、息子は隠れている。

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