BL 夏合宿
にゃろめ
第1話 夢
最近、親友の直哉が夢に出てくる。
夢の中の直哉は、いつも裸だ。大きく、わずかに垂れた目を持つその顔には、まだ幼さが残っている。だが、その胸の輪郭と、脇から腰へと落ちていく稜線には、若い筋肉の弾力がみなぎり、深く刻まれた溝がそれを際立たせていた。
夢の中の直哉は、甘く微笑み、前足のように太い腕を健吾の背へ回して、しっかりと包み込む。長い空手の鍛錬によって武道家らしい無骨さを帯びたその手が、健吾の裸の背をしっかりと捉えた。
健吾は、抱き寄せられるがまま、直哉の胸板にそっと身を預け、肌越しの温もりを感じた。直哉の下腹部が健吾の腹にあたる。それは、焼き鍛えられる鉄のように昂り、苦しそうなほど張り詰めている。健吾は手を伸ばし、それを優しく何度も撫で上げた。掌でそれが小さく震えるたび、胸の奥から愛おしさが込み上げてくる。2人の視線が絡み、息が重なる。唇が触れ合ったその刹那、視界がふっと白み、そして目が覚めた。
「……俺、どうかしてる」健吾は小さく呟いた。
──男やぞ、あいつ…。
今朝の夢はこれまでで一番生々しかった。健吾の下腹はまだ熱に膨れ、それがじんじん脈打つように痛んだ。
藤村健吾と鷹野直哉はこの四月に京都の大学で知り合った。専攻も部活も同じ。人懐っこい直哉の性格もあって、二人は自然と仲良くなった。毎日のように顔を合わせ、同じ講義をとり、部活終わりも共に過ごす、かけがえのない親友。しかし、ここ最近の健吾の夢は、二人の関係に微かな影を落としていた。直哉に友情以上の感情を抱いてしまっている──その事実に、健吾は怯えていた。
スマホの画面には05:52の文字が光っている。
──ちょうどええ時間か。
深く息を吐き、布団を足で押しのける。つけっぱなしのクーラーの冷気が、脚を撫で、下腹の熱は少し和らいだ。
顔を洗って着替えるまでのあいだ、直哉のことは考えないようにしようと決めた。けれど、鏡に映った自分の耳が赤いのを見て、奥歯をきゅっと噛みしめた。
合宿用の大きなスポーツバッグを肩にかけ、外へ出る。まだ朝の光はやわらかく、大学へ向かう道にやや淡い影を落としていた。
大学の正門の脇には、すでにバスが停まっている。部員たちの笑い声と、荷物のぶつかる音が混ざり合っていた。
その輪の少し外に、直哉の黒いTシャツの背中が見える。その涼しげなドライ生地は、筋肉の起伏をなぞり、細かな陰影を浮かび上がらせていた。日焼けしたうなじの上に、清潔な短髪が、風に微かに揺れ朝日に光る。健吾は、気まずさに視線を逸らし、避けるようにして少し離れた場所に立った。
「おっ、今日もいいケツしてんな!」
その言葉が耳に飛び込むのと同時に、パンっ、と小気味いい音が響き、健吾の尻が鷲掴みにされた。柔らかい尻に直哉の指先が突き立てられ、微かに痛む。
「なっ……!」振り返った健吾の視線の先、直哉がニヤリと笑っていた。
「まじで、やめろっ…」声がわずかに上ずる。
健吾は眉をしかめ、直哉から距離を取った。
笑い声が背中にまとわりつく中、唇を固く結び、視線を合わせようとしない。胸の奥でくすぶる今朝の夢の余韻を、悟られまいとするほど、健吾の不機嫌そうな表情は深くなっていった。
「健吾、はよバス乗ろ」
直哉は気にする様子もなく、健吾に屈託なく笑いかけた。その笑顔が、今朝の夢の直哉と重なって見えて、健吾はかすかに後ろめたさを覚えたが、表情はむっとしたままだった。健吾は黙って、バスのステップを踏みしめた。
──あんな夢見るんは、きっと、直哉がいつもケツ触ってくるからや。
先を行く直哉は二人並んだ空席を見つけ、窓側に勢いよく腰をおろした。通路側のシートを叩いて、「健吾、ここや、ここ」と、親を呼ぶ子供のように、声を張る。
健吾は一瞬ためらったが、結局そこに腰を下ろした。
前の座席の同回生の山内がシートの上から顔をのぞかせ、「おっ、仲良し」と冷やかす。直哉は「当たり前やん、なっ!」とふざけた調子で返したが、口をつぐんだままだった。
「今日なんか不機嫌なん?なんかあったん? せっかくの合宿やのに」少し心配そうに直哉が健吾の顔を覗き込む。
「別に……」健吾は短く返した。
──お前の裸の夢見たなんて、言えるか。
直哉は肩をすくめ、わざとおどけた顔を見せた。
バスは、三泊四日の合宿に向けて隣県の山間の町へ走り出した。
窓の外では、ビルや商店街が途切れずに並び、朝の通勤客が歩道を行き交っている。
流れる景色に夢中になっている直哉の、引き締まった太い足が、大きく開き、隣の健吾の腿にかすかに触れる。
──もう、何やねん……
今朝の夢のせいで、直哉の何気ない仕草が、妙に胸をざわつかせる。
しばらくすると、直哉が足元のリュックをゴソゴソと探り、「フリスク食う?」と健吾に差し出した。
「お、ありがと」健吾は二粒受け取り、口に含む。爽やかな香りが鼻腔に広がった。
直哉も二粒を口に放り込み、二ヒヒと笑いかける。あまりに無邪気なその笑顔に、健吾の肩の力が抜け、口元がわずかにほころんだ。
「健吾、部屋誰と一緒かな?」直哉がフリスクを噛みながら話しかけてきた。
「え、まだ決まってないかもな」
「健吾と一緒がええなー」
同意を求めているのか、それとも独り言なのか、健吾には判断がつかない。結局、「…んー」とだけ曖昧に返した。
二人の会話は途切れ、バスのエンジン音とタイヤが路面をなぞる低い音だけが耳に響いた。いつの間にか窓の外からビルの姿が消え、道沿いに立つ家々はまばらになっていた。
合宿所のある小さな町まで、およそ二時間半の道のり。すでに車窓の外には田園風景が広がっている。夏の日差しを浴びた田んぼの緑が、健吾の目にまぶしく映った。
隣で直哉はすやすやと眠っている。顔はわずかに上を向き、無駄のない輪郭と美しい鼻梁が無防備にさらされていた。口はほんの少し開き、白い歯がかすかにのぞく。口の端には、わずかに濡れた艶が光っていた。
──こいつ、ほんま綺麗な顔してんな……。
ふと視線を直哉に向けた健吾は、そう思うと同時に、何か見てはいけないものを見てしまったような気がして、鼓動がわずかに早まるのを感じた。半ば反射的に短パンの股を手のひらで軽く押さえ込む。
『ほんま、俺何してんねやろ……。』
健吾にとって欲望は、常に後ろ暗く、触れてはいけないものだった。そして、その想像を、身近な誰かに向けることは、その人を汚すことと信じ、固く禁じた。健吾の欲望は、いつも名前も性別もない透明な存在に向けられてきた。誰かに抱きしめられる自分、誰かと唇を重ねる感触、誰かに優しく触れられる自分の性器──ただそれだけの、抽象的なイメージだった。しかし、今、欲望は、直哉という、あまりにも具体的な形を得てしまった。そのことに、健吾は混乱していた。しかも、相手は同性である。
やがて、単調に続くバスの振動に健吾のまぶたも重くなり、頭がゆっくりと傾いていった。直哉の寝息のリズムと、触れ合った膝や腕から伝わる体温が心地よく、眠気はさらに深く健吾を包み込んでいく。
「健吾、健吾、着いたで!」
その声に健吾ははっと目を開け、「あ、ああ」とぼやけた視界をこすった。窓の外には、濃い緑の木々が迫るように広がっており、バスの中に蝉の声と山の空気が流れ込んでいた。
「ちょっといびきかいてたで、健吾」直哉がいたずらっぽく笑いかける。
「うっせ」健吾は短く返したが、唇の端には気恥ずかしそうな笑みが浮かんでいた。
バスを降りた先にあった合宿所は、小さな体育館を併設した古いホテルといったほうがしっくりくる建物だった。壁の一部には蔦が這い、建物の経た年月を物語っている。
「なんか、お化け出そうやな」直哉がはしゃいだ声をあげる。
「アホ」健吾はそう返し、ガラスの扉を引き開けて玄関に荷物を運び込む。
中に入ると、ひんやりとした空気の中に微かなカビとタバコの匂いが混じって鼻をかすめた。ロビーでは、自販機の低い振動音が絶え間なく響いている。
バスから荷物を運び終えると、主将が声を上げた。
「おーい、部屋分けすんぞ。基本二人部屋や」
直哉が健吾に近づき、「一緒がええよな」と少し真面目な顔して問いかける。
健吾は「ん?……んん」とだけ返し、そのまま黙った。
「主将、主将、俺ら一緒でお願いします!」
直哉が声を張る。
主将は「あ? ああ……お前ら仲良いな」と笑い、手元の部屋割りのメモにペンを走らせた。
「301、藤村、鷹野と」
「よっしゃ」直哉が小さく呟く。
その無邪気な横顔を見た瞬間、健吾の胸の奥が、かすかに波立った。
──三泊四日も一緒で大丈夫やろか……。
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