しろいたんぽぽ ~結のなつやすみ~

蟒蛇シロウ

結のなつやすみ 前編 

 真白結ましろゆいが生まれたのも、暑い7月のことだった。

 色白でぷっくりとした頬、少し垂れた目。

 結はごくごく平凡な家庭の長女として生まれ、すくすくと育っていく。

 幼馴染で家が近い「望月美陽もちづきみはる」「赤宗秀一あかむねしゅういち」や同じ地区の「森本真理もりもとまり」「石島大喜いしじまだいき」といった友達に囲まれ、楽しい幼少期を過ごしていく。

 小学校に入っても、それは変わらない。

 小さい学校だったため、クラスは1つだけ。

 学校が終わっては、みんなで集まって遊ぶ毎日。下校する帰り道も、結たちにとっては楽しい時間だった。

 特に美陽、秀一とは家が近く、それぞれの家も家族ぐるみでの付き合いをしており、しょっちゅう家に泊りがけで遊びに行ったりしていた。


 だが小学校3年生になると同時に、秀一が父親の仕事の都合で転校することになった。

「いつか絶対帰って来るからさ。じゃあな!」

 秀一は結たちに別れの言葉を告げ、車に乗って去っていく。

「また帰って来てね! 秀ちゃん、絶対だよ!」

 結は泣きながらも笑顔で秀一を見送り、彼の姿が見えなくなるまで手を振り続けた。


 そんな寂しいこともあったが、それからどんどんと月日は流れていく。

 小学6年生にもなるとそれぞれ部活動などもあって、以前ほど毎日は遊べなくなっていたが、それでも結たちは仲良く過ごしていた。

 これまでと変わらず仲の良い4人だったが、結は少しずつだが劣等感が芽生え始めていた。

 美陽は勉強の成績はそこそこだったが、スポーツ万能でクラスで一番のオシャレさん。

 真理の方は逆に、スポーツは得意では無かったが、勉強の成績がずば抜けており、それに加えて音楽や絵などの芸術の才能も開花させていた。

 大喜も成績がそこそこな代わりに、サッカーが上手で、ひょうきんなキャラクターも相まって学校の愛されキャラだった。


 一方、結は成績は普通、運動神経も決して良いとは言えず、特別芸術に秀でているところもない。

 それでも当時は、彼女自身そこまで深刻に悩んでいたわけでは無く、誰にもその悩みを打ち明けずにいた。

 だが、中学生になるとその劣等感は無くなるどころかどんどんと大きくなっていく。


 中学生になると、部活動や学校行事などで、それぞれが実力や才能を発揮していく。

 美陽は入部したバスケットボール部で、メキメキと実力を発揮。

 真理は美術部で、複数のコンクールで賞を取り続け、将来有望の芸術家と学校の先生に絶賛されていた。

 大喜もまた、サッカー部の欠けてはならない存在となっていた。

 結も美陽と同じバスケットボール部に入部したのだが、美陽とは対照的に毎日部活に参加していても、特にこれといった成果は出なかった。

 それでも美陽は結を励まし続け、「絶対一緒に全国行こうね!」と言ってくれた。

 結は美陽の励ましを胸に、1年間部活に勤しんだ。

 しかし、中学2年生の夏休みに結の今後の生き方を決定づける事件が起こってしまう。



 その日、結はバスケ部の練習に誰よりも早く来て準備をしていた。

 美陽は今日から一週間、親戚の家に行くらしく、部活に来られないと連絡があった。

(バスケでも勉強でもなんでもいいから、とにかく全力でやらないと! 私は圧倒的に努力不足だ。みんなに少しでも早く追いつきたい)

 結はそんなことを考えながら準備を終えると、シュート練習から始めることにした。

「よし、一週間後までに少しでも上手になって美陽を驚かせないとね!」

 そう意気込む結は背後から声を掛けられる。


「あれ? 真白じゃん? まだ練習時間の前なのに何してんの?」

 ガムを噛みながら気怠そうに声を掛けて来たのは、「小島露子こじまつゆこ」という3年生のバスケ部員だ。彼女の周りには、他に数人の2、3年生のバスケ部員もいる。

 彼女はバスケ部の中で一番怖い先輩として知られており、気に入らないことがあると取り巻きと共に、声が小さい部員や練習に集中していない部員に厳しいメニューを課すことで有名だ。

 バスケ部の全国大会出場が決まってからは気が立っているせいか、特に他の部員に対しての当たりがキツくなった。

 結もこれまで目を付けられそうになることはあったが、1年生の時からエースとして活躍している美陽の友人であることから見逃されてきた。

 入部した時から、結は露子のことが怖くてたまらなかった。彼女に睨まれていることを意識するだけで、体が思うように動かなくなってしまうことも多い。


「あ、えっと……シュート練習です。今より少しでも上手くなりたいので……」

 結はビクビクしながら答える。

 露子はふーんと言うと、冷たい目で結を見る。

「あんた死ぬほど下手くそだもんね。全国いってる学校の部員とは思えないくらい」

 露子が鼻で笑いながらそう言うと、他のバスケ部員もクスクスと笑い出す。

 結はというと露子たちに対する恐怖から、何も言い返すことが出来ず俯く。

 そんな結を見て露子はニヤリと笑うと、

「あ、そうだ。せっかくだしウチらがあんたの練習付き合ってやるよ。ほら、行くよ」

と結の腕を引っ張る。


「あの……だ、大丈夫です。ただの自主練なので……」

 結はなんとかして逃げ出そうとするが、露子はそんな結に苛立ったのか、彼女の腕を掴む手に力が入ってしまう。

「あ!? なんか文句あんの? いいから黙ってなよ!」

「痛っ……!」

 露子の怒鳴り声に思わず萎縮する結。

 そんな2人を見て周りのバスケ部員たちはクスクスと笑っている。

 露子は結をゴールの下に立たせると、他の部員たちと共にボールを手にしてドリブルを始める。


「よぉし。あんたってシュートも下手だけど、パスキャッチもド下手じゃん? だからまずはキャッチの練習な? ほら、いくよ?」

 そう言うと露子はボールを結に投げる。それをキャッチした結だったが、次に飛んできたボールが体にぶつかる。

 ボールを露子に返す前に、他の部員たちが次々とボールを結に投げつけて来たのだ。

「い、痛っ!」

 結は堪らず、その場にうずくまってしまう。

「あはっ! それっ!」

 そんな結の姿を見てさらに笑いながら、ボールをぶつける部員たち。

 体を丸めて身を守るようにする結だったが、そのうちの1個が顔に当たってしまう。

「キャッ!」

 そんな悲鳴を上げたかと思うと、そのまま地面に倒れてしまう。

 それを見た露子たちは大笑いをする。


「……もう……もうやめて下さい……」

 結は悔しさと惨めさで涙が出そうになるが、それを必死に堪える。

「えー? もうギブアップなの? まぁいいや。じゃあさっさと立ち上がってウチらにボール返してよ」

 そんな露子の言葉を受け、恐る恐る立ち上がる結。

「……わ、わかりました……」

 再び投げられるボールをキャッチしようと手を伸ばすが、結がボールに触れた瞬間を狙い、またも部員たちは結に向かってボールをぶつける。

「いたっ! も、もうやめて!」

 たまらず悲鳴のような声を上げる結だったが、それでも部員たちは構わずボールをぶつけ続ける。

 そんな状態がしばらく続いた後、ようやく露子は満足したようでボールを足元に置きながら言う。

「あのさぁ真白ちゃん? あんたのプレーは見ててイライラすんだよね。だからウチらで鍛えてあげてんの。わかる?」

「……え?」

 結は訳がわからず呆然とするしか無かったが、そんな結の様子を見て露子はさらにニヤニヤしながら言う。


「だーかーらぁ、あんたの下手くそなプレーが気に食わないから、こうやって練習に付き合ってやってるわけ。わかったらとっとと立てよ、この下手くそ!」

 そう言いながら、露子は結に近づき、彼女の髪の毛を掴む。

「い、痛い……。や、やめて……」

 結は抵抗しようとするが、露子に頭を掴まれているために身動きが取れず、そのまま地面に膝をつくような形になる。

「エースの望月の機嫌損ねないために見逃してやってたけどさ。あんた見てるとイライラするんだわ」

「だから、今日からウチらがしっかり指導してやっからさ。感謝しろよ?」

 露子の後ろでは他の部員たちがニヤニヤしながら立っている。

 結は恐怖で何も言い返すことが出来なかった。


 そんな時、他の部員たちがやって来る。

 露子は小さく舌打ちすると、耳元で結に囁く。

「今日の部活終わったら、ここで待ってろ。逃げたらどうなるかわかってるよね?」

「あ……わ、わかりました……」

 結は小さく呟くように言うと、露子は満足そうな顔をして、じゃあまた後でね、と言いながらその場を後にする。他の部員たちもそれに続いて部活動の準備を始める。

 結は恐怖と悔しさからその場で泣き出しそうになるが、ここで泣いて事を大きくしてしまうと後が怖い。

 涙を拭くと、パンパンと頰を叩き、他の部員たちのように準備を始めるのだった。



 練習中も、露子たちは

「声が出ていない」

「練習にやる気が感じられない」

「部活を甘く見てる」

と、校内30週や、腕立て1000回などの無理なノルマを結に課していく。

 この状況を助けてくれそうな顧問の先生は、後半の時間にならないと顔を出さないし、他の先輩たちは露子たちを恐れて見て見ぬふりだ。

 結は心身ともに疲弊しながらもなんとか部活を終えるが、露子たちに言われた通り体育館に残っていなくてはならない。

 ため息をついた結に、恐怖の声が襲い掛かる。


「お、偉い偉い。ちゃんと残ってたじゃん。それじゃ、あんたの練習に付き合ってあーげる!」

 ニヤニヤしながらボールを地面に突く露子たち。

 結は恐怖で声も出せず、ただ震えている。

「何ボーッと突っ立ってんの? 早くボール拾いなよ。あ、あとシュート練習ね」

 そんな露子の言葉を受け、結は震える足をなんとか動かしながら、ゴールの下に立つ。

「ほら、いくよ!」

 露子はそう叫ぶと、結に向かってボールを放り投げる。

 それをキャッチした結だったが、すぐに別の部員が投げてきたボールが顔に当たる。

 その衝撃で結は思わず尻餅をついてしまうが、それでも他の部員たちは次々とボールを投げつけてくる。

「ほら、早く立ってボール取りなよ! そんなんじゃいつまでたっても終わんないよ?」

 露子は笑いながら結に言うが、結は恐怖で体が思うように動かず立ち上がれない。

「何? もうギブアップなの? じゃあ仕方ないね」

 そんな結の様子を見た露子は、部員たちに合図を出す。すると部員たちは一斉に結に向かってボールを投げつけた。

「キャアアアッ!」

 結は悲鳴を上げながら、なんとかして逃げようとする。


 しかし露子たちはそれを許さず、逃げ出そうとする結の髪を掴み強引に引き寄せてはボールを投げつけたり、蹴りつけたりする。

「何逃げようとしてんの? あ?」

 露子の顔は笑っているが、目だけは怒りに満ちている。

「ごめんなさいごめんなさいごめんなさい……」

 結は泣きながら謝るが、それでも部員たちは蹴る手を緩めない。

「や……やめて……もう許してください……」

 結の目から涙が流れ落ちるが、部員たちの攻撃は止まらない。

 しかし、ようやく露子の号令によって部員たちはボールを投げる手を止める。

「今日はこんなもんかな? じゃあ明日もまたここで練習だからね」

 そんな露子の言葉を受け、悔しさと悲しさ、痛みと恐怖で結は涙を流す。



 部活が終わり家に帰ってきた結だったが、その表情からは生気が完全に失われており、体も心もボロボロになっていた。

「おかえり、結。部活暑くて疲れたでしょう?」

 母親である「園子そのこ」のそんな言葉に小さく、大丈夫とだけ返してふらふらと自分の部屋に向かい、ベッドの上に座る。

 そして頭を抱えるようにして俯く。

「どうして、どうしてこんなことに……」

 そんな結に答えるように、部屋の窓からは夏の虫の鳴き声が聞こえてくる。しかしそれは、今の結にとっては物悲しさを感じさせるものにしか聞こえないのだった。


「お姉ちゃんただいまー! 部屋に入るねー!」

 そんな元気な声と共に、妹の「未空みく」が帰ってきた。未空は結の4つ下で現在10歳の小学4年生である。

 大人しい姉の結とは真逆で、明るく強気な妹だが、姉のことが大好きだった。

 結は日焼けした未空の満面の笑みを見て一瞬安堵するが、すぐにまた暗い気持ちになる。

 思わず涙が流れそうになるが、グッと堪えると笑顔で彼女を迎える。

「未空、また時間いっぱいまでプールで泳いでたの? もうしっかり日焼けしちゃってるじゃん。まだ7月だよ?」

 そう言って笑いながら、未空の髪をさわさわと撫でる。

「もー! やめてよお姉ちゃん!」

 未空は恥ずかしそうに笑いながら言う。

「ごめんごめん。高学年になったしこういうの恥ずかしいって言ってたもんね。でもお姉ちゃんはずっとこのままがいいな」

「え〜? なにそれ〜」

 未空は照れくさそうに笑いながら、結に抱きつく。


「あ、そうだ! お姉ちゃん見て見て!」

 未空はそう言うと、鞄の中から何かを取り出す。それはカラフルなポスターだった。

「なにそれ? どこかのプールかな?」

「うん! 隣町に新しくできたプールなんだって! みんなで行きたいなぁ」

 結と未空がそんな会話をしていると、リビングから園子の声が聞こえてくる。

「ほら2人ともー! 晩ご飯出来たわよ!」

 結は、未空に先に行っているように促すと、未空はうなずいてリビングに向かったのを確認すると頭を抱える。

「どうしてこんなことになっちゃったんだろう……。私が何をしたっていうの……?」

 そう呟く結だったが、答えなど出るはずもない。

「お姉ちゃん! ご飯だってばー! 食べよー!」

 未空の元気な声が聞こえて来て、結は深呼吸をすると笑顔を作りリビングに向かうのだった。


 食卓に行くと、父である「たける」もちょうど仕事から帰ってきたところだった。

 健は都会の企業の地方工場に勤めており、残業などがあるため帰りが遅くなることも多い。

「お父さん、おかえりなさい。今日は早かったんだね」

「ああ、ただいま結。今日は珍しく早く上がれてね」

 健は優しく微笑む。

「さ、じゃあ食べましょうか」

 園子のその声を合図に、全員が席に着き食事を始める。


 結は家族と一緒にご飯を食べるのが大好きだった。しかし今は、その時間が苦痛に感じられた。それでもなんとか笑顔を崩さずいつも通り振る舞うように努める。

「ごちそうさまでした!」

 全員で手を合わせると、協力して食器を片付ける。

「未空、一緒にお風呂入る?」

 宿題をしている未空に声を掛けると、彼女はおかしそうに笑う。

「えー、もう自分で入れるってば~。本当に甘えんぼのお姉ちゃんなんだから~」

 少しでも明るい気分になりたかった結は、断られるのを承知でそんなことを言ったのだった。

「あ、そうだよね。ごめんごめん、フフ」

 そんな2人のやり取りを見て健と園子も微笑ましく感じるのだった。


 お風呂に入り、鏡を見た結は今日の部活での出来事を思い出した。

 腕や肩などに青い痣がいくつもできている。触れて少し押してみると、鈍い痛みが全身に走る。

「うっ……」

 あまりの痛さに顔をしかめる。

(明日……行きたくないけど、ここで逃げたらみんなに置いていかれちゃうよ……でも嫌だな……怖いな……)

「無心になればいいんだ……。痛くても、我慢して、1週間耐えれば美陽が帰って来る。そしたらきっとあんなことされない」

 自分に言い聞かせるように呟き、そっと拳を握りしめるのだった。



 翌日の部活が終わった後も、昨日のように"特訓"と称して露子たちにボールをぶつけられる。

「ほら、もう1回!」

 そんな声と共に投げつけられたボールをキャッチすることもできず、結はまたも地面に倒れ込む。

 彼女たちは顔などは狙わず、服の下に隠れている部分や練習で痣が出来ていてもおかしくない腕や足を意図して狙ってくる。

「も、もうやめて下さい……!」

 結は泣きそうになりながら懇願したそんな時、顧問の先生である「栗山くりやま」が体育館に入ってくる。


「あ、先生ー! 自主練終わったんで上がりまーす」

 露子たちは、さも真面目に自主練習に取り組んでいたかのように栗山先生に声をかける。

「お、そうか。今日はみんな早く終わったな。練習熱心なのは素晴らしいことだ! お!? 今日は真白も残ってたのか。自主練してたなんて偉いじゃないか!」

 栗山先生はそう言って満足げにうなずく。

 栗山先生に露子たちのことを話すべきか迷ったが、露子の目は「言うな」と訴えているようにも見えたので、結はただ黙って俯くしかなかった。


「じゃあ先生! お先でーす」

 露子たちはそう言うと、さっさと体育館を出て行ってしまう。

 栗山先生はそんな彼女たちの様子に全く気がつかない様子で笑顔で手を振っている。

「あ……あの、先生……」

 結が恐る恐る声をかけると、栗山先生は不思議そうな顔で結を見る。そしてすぐに笑顔になると言った。

「真白ももう帰りなさい。明日も練習なんだから、ゆっくり休まないとな」

 結局、先生に相談することもできないまま、その日も終わった。



 校舎から出て1人で帰ろうとしていると、真理に声を掛けられた。

「結~お疲れさま。今、部活終わったの? 一緒に帰ろ?」

 どうやら真理もちょうど美術部の活動が終わったようだ。

 夏休みに入ってから初めて会う真理の笑顔に、結は幾分か気持ちが明るくなる。

 2人が歩き始めた時だった。

「お、2人とも奇遇じゃんか! 俺も久しぶりに一緒に帰っていい?」

 そう元気よく声を掛けて来たのは、大喜だった。

 大喜とも、夏休みに入ってからは初めて会う結。

 彼はサッカー部の練習で真っ黒に日焼けしていた。

「久しぶり大喜。うちの未空と同じでしっかり日焼けしてるね」

 結はそう言って大喜に微笑む。

「まぁ、俺も未空ちゃんも外にいる方が好きだからね! 結の方は夏真っ盛りだってのに、相変わらず雪みたい真っ白だな。白雪姫みたい!」

 大喜がそう言って笑うと、結と真理は「なにそれ」と、つられて笑顔になる。


 3人はそのまま他愛もない話をしながら帰路についた。

 真理と大喜と一緒に歩いている間は、嫌なことをすっかり忘れられた。

 この時間がもっと続けばいいな、と思った結は

「ねぇ、2人ってまだ時間あるかな? 久しぶりに町円(まちまる)商店でお菓子買って、公園に行かない?まだ夕方にもなってないし」

と、そんな提案をした。

 2人は少し驚いていたが、すぐに笑顔になって頷く。

「公園でお菓子なんて、小学生以来かもね!」

 真理が珍しくはしゃぐ。

「いいね! 俺、久しぶりに駄菓子屋行きたい!」

 大喜はそう言うと、結と真理の手を取り走り出す。

「あ、ちょっと! 急に走らないでよー!」

 3人で笑い合いながら町円商店まで走ると、店の前で立ち止まる。


 そして3人はそれぞれ思い思いのお菓子や飲み物をカゴに入れていった。

「こんにちは、おばちゃん。会計お願いします」

 全員分の商品が入ったカゴを代表して持って行く結。

「あやぁ結ちゃん、久しぶりだなぁ。お前だいっつも仲良しでいいな」

 店番をしていた町円のおばちゃんはそう言って笑う。

「はい! 仲良しですよー!」

 真理と大喜が元気よく手を上げると、結もそれに釣られて笑顔になる。

「お前ぇのばっちゃがらいっつも野菜もらってるがらや……。ほれ、これお駄賃」

 町円のおばちゃんは小声で囁くと、結に500円を握らせる。

「え!? で、でも悪いです!」

「いいの、いいの。持ってげって」

 町円のおばちゃんは笑いながら結の背を叩く。

 そんなやり取りの後、町円のおばちゃんにお礼を言って店を出て公園にたどり着く3人。



 町円商店から公園までは目と鼻の先なので、ものの数分で到着した。

 公園は小さな丘になっており、その頂上からは辺り一面を見渡すことができた。

「うわー! めっちゃ綺麗!」

 3人がそんな声を上げたのも無理はなかった。

 空が夕焼けに染まる様はとても美しかったし、少し遠くに見える海は茜色に照らされてキラキラと輝いていたからだ。

「何回も見てるけど、やっぱ綺麗だよな……。いつまでも見てられるよ」

 大喜がそう呟くと、真理も結も頷く。

 3人は少しの間無言で海を眺めていた。

「さ、お菓子食べようよ」

 真理の一言で3人はお菓子の袋を開けた。

「うめぇ~! やっぱ駄菓子最高だな!」

「もー、大喜! 口にいっぱい詰め込みすぎ!」


「あははっ!大喜ったら子どもみたい」

 2人がはしゃぐ様子を見て結が笑うと、3人の顔に自然と笑顔が浮かんだ。

 そんな楽しい時間はあっという間に過ぎ、気が付くと辺りはもう暗くなり始めていた。

 3人はそれぞれの家の近くまで来ると別れの挨拶をする。

 大喜が一番先に、そして次に真理が、それぞれの家に近づくといつものように明るく去っていく。

 結もその度に努めて明るく、笑顔で別れるのだった。

「私も早く帰らなきゃ……」

 そんな2人を見送った結は、そう呟いてから自分の家に向かって歩き出した。



「ただいまー」

 玄関に入ると、リビングの方から母の「園子」が顔を出した。

「あら、結。おかえりなさい」

 園子は結の姿を見ると、優しく微笑んだ。

「あ……お母さん……」

 結が思わず立ち尽くしていると、園子は結に近づいてくる。

「どうしたの?」

「な、なんでもないよ! ちょっと疲れただけ」

 そんなやり取りをしていると、リビングの方から妹の未空が顔を出した。

「お姉ちゃんおかえりー!」

 未空は笑顔でそう言うと、そのまま玄関までやって来た。そして靴を脱ぐ結の側にしゃがみ込む。


「あれ? お姉ちゃんなんか元気ない?」

 未空は結の顔を心配そうに覗き込んだ。

「な、なにがー? あ……未空、もうご飯の時間だよ。早く行こ!」

 結は慌てて靴を脱ぎ家に上がると、未空をリビングに急がせるように背中を押す。

 そんな様子を、園子は優しい眼差しで見ていた。

 結が家に入りリビングに向かうと、食卓にはすでに食事の準備がされていた。

「今日はね、未空も手伝ったんだよ!」

 未空は嬉しそうにそう言うと、結の手を引いて椅子に座らせる。

「そうなんだ。じゃあ、たくさん食べちゃおうかな」

 結は未空に向かって微笑む。


「未空ちゃんがつぐったのだば、最高にうめんだで」

「んだ、オラもごっつぉうなるが」

 そう言って姿を現したのは、結の祖父「正一(しょういち)」と祖母「佳乃(よしの)」だ。

 2人は隣の家に住んでいるが、家業の農家が忙しいため夕食の時間が合わないことも多い。

 だがこの日は早めに作業を切り上げたようで、久しぶりに祖父母も揃って家族全員での食事となった。

「さ、いただきましょう」

 園子がそう言うと、6人は手を合わせて食卓を囲むのだった。

 

 未空が手伝ったという冷やし中華は、麺が少し不揃いなところはあったが結を始め、みんな美味しそうに食べる。

「うん! 美味しい!」

 結がそう言うと、未空は嬉しそうに笑う。

「でしょ? お姉ちゃんの分は、未空がたくさん茹でてあげたんだ!」

 そんな妹が愛おしくなり、結は彼女の髪を優しく撫でてあげるのだった。


 楽しく談笑しながら食事をしていたが、未空が落とした箸を結が拾ってあげようとしゃがんだ時だった。

「あや?」

 佳乃が驚いたように声を上げる。

 そして

「結ちゃん、首の裏なしたの? 青ぐなってらよ?」

と言って結の首の後ろを覗き込む。

「え!?」

 突然そんなことを言われ、結は思わず首を押さえる。


「よく見せてごらん」

 健が心配そうに言い、席を立とうとしたが結が手を顔の前で振る。

「だ、大丈夫! 部活でちょっとボールが当たっちゃって!」

 結はそう笑って見せると、食事を再開するのだった。

 両親や祖父母は心配していたが、結は本当に大丈夫だから、とごまかした。


 夕食後、結が自室に戻るとスマホの画面が光っていた。

(あ……美陽からだ)

「こっち都会過ぎて歩くだけで疲れるー😭 でも、いろんな店あって飽きない!」

 とのメッセージと共に、たくさんの人でごった返している町の写真、疲れた表情の美陽が親戚と一緒に写っている写真が添付されていた。

「ふふふ、美陽、凄い顔してる」

 結は思わず笑みをこぼす。


 返信を返し、お風呂に入って寝ようとした時だった。

 結のスマホが振動する。

 どうやらメッセージではなく、電話のようだ。

 結は慌ててスマホを手に取ると通話ボタンを押す。

 画面から聞こえてきたのは

「やっと繋がった! もう何回もかけたんだからね」

というちょっと拗ねたような美陽の声だった。

「ご、ごめん……ちょっとお風呂入ってて……」

 結はそう言いながらも、スマホを耳に押し当てる。

「え!? もうお風呂入ってたの!?」

 美陽は慌てている様子である。

「うん……。もう寝るところだよ」

「わ~なんかごめん! ほんと電話繋がって良かったよ!」

 そんなやり取りの後、しばらく他愛もない話をした2人。

(やっぱり美陽と話してると楽しいな)


 だが、結は自分のとある変化に気付く。

 それはこれまでは楽しく話せていたバスケや部活の話になると、どうしても暗い気持ちになってしまうことだった。

 結はスマホをぎゅっと握りしめると、美陽に言う。

「あのね……美陽」

「ん?」

「私ね……あの……部活……や……。部活前後に自主練してるんだ」

 本当は辞めようと思っていることを伝えようとしたが、せっかく親戚の家に行ってゆっくりしている美陽にそんなことを話したくない、と思いとどまったのだ。

 それに美陽は、結と一緒に全国大会に行くのを目標にしているのだから。

「自主練? 凄いじゃん! わたしがそっち帰る頃には見違えるくらい上達してるかもね!」

 美陽は大きな声で喜んでいる。

 結局、部活の件は何も伝えることができずにそのまま通話を終えた結。

(言えないよ……)

 結は小さくため息をつくと、ベッドに倒れ込むのだった。



 翌日もその翌日も、結は恐怖と不安を押し殺して部活に行く。

 痛みを堪えて、ただ時間が過ぎるのを待った。

 だが露子たちの嫌がらせは日に日にエスカレートしていく。

 ボールをぶつけるだけはなく、物を隠したり、足をわざと踏んだり、すれ違いざまに悪口を言ったりとあからさまな嫌がらせを受けるようになった。

(もう耐えられない……。先生に相談しないと、もっと怖い目に合うかも……)

 そう考えていた時だった。

 後頭部にボールをぶつけられる。振り返るとそこにいたのはもちろん露子たちだ。

「真白ちゃんさぁ。部活辞めてくんね? つか、いい加減ウザいんだよね。アンタみたいなノロマ、強豪校のウチの部にいらないんだよ」

 露子はそう言いながら結の目の前に立つと、彼女の手首を強く握る。

「いっ……た……」

 思わず顔をしかめる結。


「ちょっとこっち来い、オラァッ! アンタみたいなのがいると目障りなんだよ!」

 露子はそう言うと結を引きずって体育館倉庫へと連れ込む。

 結が倉庫に入ると、露子はすぐに扉を閉めた。

「い……っ……」

 床に投げ捨てられる形になった結は、思わず声を漏らす。

「アンタさぁ、前からウザかったんだよね。ビクビクしてばっかで」

 そんな結に、露子は容赦なく罵声を浴びせる。彼女の取り巻きたちも冷たい目で彼女を見ている。

 露子の取り巻きの1人が体育館掃除で使ったモップが入ったバケツを持ってくる。

 バケツの中の水は黒く汚れている。

 結は思わず後ずさるが、すぐに露子に髪を掴まれて引き戻される。

 そして露子はバケツにモップを浸すと、取り巻きに押さえさせている結の頭に乗せて動かす。


「っ!やめて!」

 結は思わず悲鳴を上げる。

「アンタの出来の悪い頭を掃除してやろうってのよ! アンタってバカ菌に感染してるじゃん?」

「そうだよ。バカ菌が伝染(うつ)るから近づかないでほしいんだけど。」

 取り巻きたちも結を罵り、笑い声を上げる。

「……めます……」

 押さえつけられながら、震える声で呟く結。

「あ?」

 露子が聞き返す。

「辞めます……。もう、部活には来ませんから……」

 結は目に涙を浮かべながら言う。

「聞こえねぇよ!もっとデカい声で言えよ!」

 露子はさらにモップを結の頭に押しつける。

 すると結は顔を上げ、大声で言う。

「部活を辞めます!! もう二度とバスケ部には近づきません!!!」

 その叫びと同時に、取り巻きが結を突き飛ばす。


 倒れる結を見て、露子たちは再び笑い声を上げる。

「はっはー! やればできるんじゃん? 最初からそう言えば良かったんだよ。じゃあ、ちゃんとここ掃除してから帰りな」

 露子はそう言い残すと、取り巻きたちと共に倉庫から出て行く。

 結は床に倒れたまま、しばらく動けなかった。

 だがやがてゆっくりと起き上がると、モップをバケツに戻し倉庫の掃除を始めたのだった。


「退部届……出さないと……」

 部活を終えた結は、家に帰ってきてすぐに退部届を書き始める。

 書き終えた後、それを封筒に入れようとした時だった。

「あ……」

 結の手が止まる。

(美陽に……言わなきゃ……)

 そう考えてから、首を振る結。

(でも……美陽に言ったら……)

 そう思うと再び手が止まったが、やがて意を決したようにペンを握り直す。

 そして退部届けの最後に名前を書いたところで手が止まってしまう。


「美陽……私……もう……無理だよ……ごめんね……」

 そう呟いた時だった。

 スマホの着信音が鳴り響く。

(こんな時間に誰だろう?)

 そんな疑問と共に画面を見ると、そこに表示されていたのは真理だった。

「もしもし」

 結がそう言うと、真理は心配そうな声で言う。

「結、今大丈夫かな?」

「うん、どうしたの?」

 努めて明るい声で結が聞くと、彼女は少し押し黙る。

「……あの……さ。結、最近何かあった?部活で……何か嫌な事とか……」

「え? どうして?」

 結は内心ドキリとする。


 だが、真理がそんなことを知るはずもないと思い直すと平静を装う。

「……いや、なんかさ……。最近の結、元気ないような気がして……。気のせいならいいんだけど」

 そんな真理の一言に、思わず言葉を失う結。

「そ、そんなことないよ! あ、ほら、もうすぐ大会だし!ちょっと緊張してるんだ」

 慌てて取り繕ったが、明らかに動揺している様子だった。

「……そう? 大喜とこの間3人で帰った時にさ、私も大喜もなんか結が元気ないんじゃないかって……心配で……」

「違うよ! 私は本当に平気だから!」

 結は強い口調で言う。

 真理は一瞬黙り込むと、ゆっくりと口を開く。

「……ごめん……。そうだね。私と大喜の気にしすぎだよね。でもさ、もし何か困ったことがあったら相談してほしいんだ。私たち友達でしょ?」

 その一言に、結は思わず泣きそうになったがなんとか堪えて答える。

「うん……。ありがとう、真理。でも本当に大丈夫なんだ。心配かけてごめんね」

「……そっか。分かった。じゃあまた今度遊ぼうね! 今度は美陽も入れて4人でさ」

 真理はそう言うと、電話を切ったのだった。


(真理にも、大喜にも心配かけちゃった……。きっと真理は今の電話で、私が隠し事してるの気付いただろうな……。)

 そんな2人の優しさに、結の胸が痛むのだった。

 2人が自分のために気を使ってくれたことは嬉しい反面、それが逆に辛くもあったのだ。

「はぁ……」

 深いため息をついて、スマホをしまう結。

 そして退部届けを封筒に入れると、明日学校に提出すると決めたのだった。



 次の日、部活が始まる前に顧問の栗山先生を訪ねた結は退部届を提出した。

 すると栗山先生の表情は驚きに変わる。

「真白……いいのか? バスケはもうやりたくないのか?」

 栗山先生は心配そうに問いかける。

「……はい……」

 結は俯いて答える。

「自主練もあんなに頑張ってたじゃないか。何かあったのか?」

「……」

 結は俯いて黙ったままだったが、やがて消え入りそうな声で言う。

「……もう……できないんです」

 その言葉に栗山先生は首を傾げるが、それ以上深く聞くことはしなかった。

 そして退部届を受け取ると、それを引き出しにしまったのだった。


 帰宅後、すぐに自分の部屋に入りベッドに横になる。

(これで良かったんだ)

 そう思いながらも、結の目には自然と涙が浮かんでいたのだった。

「ごめんね……美陽……全国……行けなくなっちゃった……約束破って……ごめんね……」

 そう呟くと、結は静かに涙を流す。だが、それはだんだんと激しい嗚咽に変わるのだった。

「なんで……なんで! 私が何か悪いことでもしたの!? 私が何をしたっていうの!!」

 結は泣きながら叫ぶ。ふと、視線を送った先には結と美陽が写った写真があった。

 2人ともまだ1年生で、バスケ部に入りたての頃の写真だった。

「美陽……ごめんね……ごめんね……ごめんね!!」

 結はそう叫びながら、写真を手に取り抱きしめる。

 しばらくの間、彼女はそのまま泣き続けていたのだった。



 翌日、図書室に本を借りに行った結に露子が声をかけてきた。

「ねぇ真白ちゃん」

 その声に結は肩を震わせるが、ゆっくりと振り向く。

「……な、なんですか?」

 すると露子はニヤリと笑って言う。

「そんなに怯えることないじゃん? アンタの退部届、栗山がちゃんと受理したみたいじゃん。じゃあ、お疲れ~!」

 そう言って立ち去ろうとする露子に声を掛ける結。

「あ、あの! こ、小島さんっ、どうしても聞きたいことが1つだけあるんです」

 露子は振り向くことなく、面倒くさそうな声で答える。

「なに? 早くしてくんない?」

 結は意を決して問いかける。

「……私をいじめてまで部活を辞めさせたいと思ったのは、美陽が原因ですか? それとも私が原因ですか?」


 露子は少し考えるような仕草を見せた後、振り返って言う。

「あー……アイツのことは嫌いだな。けど……アイツはチームの戦力になる。けどお前はヘタクソなくせにただただ練習に来て、他のヤツの練習時間を削るからな。なのに、エースの望月と全国行くとか抜かしてやがる! それがムカついたんだ! だから、アイツは関係ねぇ。お前さえ消えてくれれば、アタシは気持ちよくプレーできるからな」

 露子は一気にまくし立てる。

 結は肩を震わせ、目に涙を浮かべながらも笑っていた。

「そっか……。それならよかったです。美陽は関係なくて、私が部活を辞めるだけで丸く収まるなら!」

 その言葉に露子も驚きを通り越して、引くような表情で結を見る。

「……今まで練習の時間を奪ってしまってすみませんでした。それでは……」

 結はそう言い残してその場から立ち去ったのだった。



 その日の夜、夕食を食べている時に園子が結に

「結、部活辞めちゃったの? 顧問の栗山先生から今日の夕方連絡があったんだけど?」

 と、聞いてきた。

「うん……。ごめんみんな。やっぱり私には向いてなかったみたい」

 結が寂しそうに答えると、健が

「最後までやり切ってこそ向き不向きがわかるだろうに……」

とため息をつき、それに続いて正一と佳乃も

「んだ! なんでも続げねばわがんねぇんだ!」

「情げねぇな……」

と、それぞれ口にする。

 結は思わず、好きで辞めたんじゃない、と言い返したくなるのを堪えて俯く。


「お姉ちゃん、大丈夫?無理しちゃだめだよ」

 未空が結の顔を覗き込みながら言う。

 結は精一杯の笑顔を浮かべて、「ありがとう未空」と答えるのだった。

 頑なな結の態度に健も、祖父母も諦めたようにそれ以上は何も言わなかった。

 こうして結はバスケ部を辞めた。

 一緒に全国に行こうと約束した美陽が親戚の家に行っている間の、僅か1週間の短い期間の間に。



 その日の夜、美陽から電話があった。

 美陽の親戚の家でのことや、真理と大喜のことなど他愛のない話をした後、話は自然と部活の流れになった。

 どうやら美陽は、明後日から部活に出られるらしい。

 結はいじめで辞めたとは言えずに、とっさに夏風邪を引いたと嘘をついてしまった。

「明後日から部活に出る予定だったんだけど、結はまだ来られそうにないね。残念。でも、しっかり休むんだよ?」

と、優しい言葉を掛けられる。

(部活辞めたこと、言わないと……)

「美陽……あのね、実は……」


「来年は2人共レギュラーで全国に行くんだから!」

 勇気を振り絞って伝えようとした結だったが、美陽の明るい一言に遮られてしまう。

 その言葉を聞いた瞬間、親友との約束を果たせない自分の情けなさからグサリと心に棘が刺さる。

「え、えっと……。またあとで連絡するね……! 電話してくれてありがとう」

 結は逃げるようにして電話を切ると、再び布団に潜る。

  「はぁ……私ってダメだな……ごめん、美陽。でも、美陽が帰って来たら正直に伝えよう……」

 そんな結の呟きが部屋に響くのだった。



 2日後。

 結局、結は自分から美陽に部活を辞めたことを言い出す勇気が持てなかった。

 現実から目を背けるように布団に沈むと、いつの間にか眠ってしまっていたらしい。


 少し眠って目覚めると、スマホに何件か通知が入っていた。

 それは全て美陽からだったようだ。

「嘘つき」

 アプリを開かなくても通知欄に表示される美陽からのメッセージ。

 その言葉を目にした時、結は胸が締め付けられるような感覚を覚え、涙が溢れ出す。

(……部活のことだ……。きっと栗山先生から聞いたんだ。謝らないと……)


 結は恐る恐るメッセージアプリを開いた。

 不在着信が2件。そして複数のメッセージ。美陽から残されていた。

「今日部活に行ったらさ、結が辞めたって聞かされた」

「栗山先生が、"理由はよくわからないけど、やる気がなくなったみたいだった"って」

「なんで? なんでわたしに何も言わないの? なんで相談してくれなかったの? 約束したのに」

「嘘つき」

 結は溢れる涙を拭うと、呼吸を落ち着けて美陽に電話を掛けるも通じない。


「ごめんね、本当はちゃんと前もって話そうと思ったんだけど。電話でもいいけど、直接会って話せない?」

 結はそうメッセージを送信すると、すぐに返信が帰ってくる。

「わかった。じゃあ明日部室で話そうよ」

 部室、という単語を見た瞬間に結は露子たちから受けたいじめの数々を思い出し、思わず体を震わせる。

 結は深呼吸を繰り返すと、もう一度美陽にメッセージを送る。

「ごめんね、部室はちょっと。町円商店近くの公園じゃダメかな?」

「わかった。じゃあ明日の夕方ね」

 美陽から了承のメッセージが届いたことを確認すると、結は緊張が解けて脱力してしまう。

「明日、ちゃんと伝えないと……」

 結は再び溢れそうになる涙を堪え、決意するのだった。



 翌日の夕方少し前、町円商店近くの公園に到着した結。

(美陽もそろそろ部活が終わった頃かな……)

 ブランコやシーソーといった遊具が数台あるだけの小さな公園には誰もおらず、セミの鳴き声が響いている。

 結はブランコに腰かけると、美陽の到着を待つことにした。

(ちゃんと謝らないといけないんだけど……なんて言ったらいいんだろう)

 そんなことを考えながら俯いていると、公園に誰かが入ってくる気配を感じた。


「結……!」

 その声に顔を上げた結の目の前には息を切らした美陽がいた。

「……美陽」

「なんで部活辞めたの? なんでわたしに何も言ってくれなかったの?」

 美陽は結の前まで歩み寄ると、矢継ぎ早に質問する。

「えっと……それは……」

 結は言葉に詰まり、何も言い出せなくなる。

 そんな結を見た美陽はため息をつく。

「結って昔からそういうところあるよね」

「……え?」

 美陽の表情は冷たさをはらんでいた。

「いっつもそう! 肝心なことはなんにも言わないで自分の中で全部解決しちゃってさ!」

「美陽……」

 結は思わず後ずさってしまう。


 そんな様子にも構わず、美陽は言葉を続ける。

「一緒に何かやるって約束しても、自分は出来ないから、能力が無いからやっぱり無理、って勝手に諦めて! そうやって自分勝手に決めてさ!」

「っ……!」

 美陽の言葉が胸に突き刺さる。結は下唇を噛んで、涙を堪えていた。

「そんなんだからいつまで経っても、結だけ何も夢中になれるものが無いんだよ!」

「……ごめん」

 結は謝ることしか出来ない。

「……なんで? なんで部活辞めたの?」

 美陽はもう一度ため息をつくと、少し落ち着いた口調で尋ねる。

「……そ、それは……」

(露子さんたちにいじめられたから……。でも……露子さんはレギュラーだし、美陽はエース。いじめのことを伝えたら、きっと美陽は露子さんを問い詰める……。もうすぐ始まる全国大会で美陽が活躍するためにも、2人の仲が険悪になっちゃダメだよね……)

 

 言葉に詰まっていた結だったが

「ご、ごめんね……。いつもと同じだよ。やっぱり私にはバスケの才能が無いから。美陽やみんなの足を引っ張ることになるから」

 そう言って結は、嘘の理由を告げて頭を下げるのだった。

「……なにそれ……。なによそれっ! 才能が無い? そんなので勝手に諦めんの!? ふざけないでよ!」

 美陽は声を荒らげると、結の胸ぐらを掴む。

「み、美陽……?」

 突然のことに驚いた結は呆然としてしまう。

 美陽は感情を表に出す方だけど、ここまで怒っているのを見たのは初めてだった。


「ちゃんとこっちを見てよ! 目を見て話そうよ! なんでいつも下向いてるの!?」

 結は美陽と目が合う。

 様々な感情が混ざり、溢れ、結の瞳から大粒の涙が流れ落ちる。

「……っ」

「ねぇ、なんで泣いてるの?」

 美陽の鋭い視線と言葉に、ついに堪えきれなくなる結。

「うぅ……ぐすっ……」

「はぁ……。そうやってまたすぐに 泣くんだから」

 美陽は結の胸ぐらを掴んでいた手を離すと、呆れたように言う。

「ぐすっ……ごめん……」

 結は涙を拭いながら謝る。


「そうやってすぐに謝れば済むと思ってさ! わたしだって泣きたいよ!」

 美陽の言葉に結は思わず顔を上げる。

「え……?」

「わたしはずっと結と一緒にバスケがしたかったのに! 2人で全国行く約束、わたしがどれだけ楽しみにしてたと思ってんの!?」

 結は、美陽の目から涙が溢れていることに気付く。

「わたしがバスケのことで泣いたことある? ある訳ないでしょ! どれだけ辛くても楽しかったからよ! あんたと一緒だったから!」

 美陽は結に向かって怒鳴りつける。


「本当にバスケ辞めるの?」

「……」

 結は何も言うことができない。

 そんな結に、美陽は声を震わせながら

「……嘘つき。結はわたしとの約束なんてどうでもよかったんだ……」

 そう呟いた。

「……美陽」

 結は涙を流しながら、何か言葉を探すが、何も出てこない。


「もういい……。あんたなんか大っ嫌い!」

 美陽はそう言い捨てると、走り去ってしまう。

「ま、待って!」

 手を伸ばした結だったが、美陽が振り返ることはなかった。

 結は力なくその場に座り込む。

 そしてたまらず、結は大きな声で泣きだした。

「美陽……ごめんね……」



 翌日。

 結は学校の図書室に来ていた。

 宿題である読書感想文を書き終えたため、その本を返して新しい本を借りに来たのだ。

 廊下を歩いている時にふと、気になってバスケ部が使用している体育館に視線を向ける。

 シューズの音とドリブルの音が響いている。

 結は、美陽が練習している姿を想像すると胸が締め付けられるような感覚を覚える。

(美陽……)

 美陽のことを思い、そのことに思考を巡らせていると背後から声を掛けられた。

「お、真白ちゃんじゃ~ん。元気してる~?」

 ニヤニヤしながら声を掛けてきたのは、露子たちバスケ部の先輩だった。

「こ、小島さん……。お、お疲れさまです。あの、部活中なんじゃ……」

 結が質問すると、露子は意地の悪い笑みを浮かべる。


「うーん、ちょっと休憩中でさ~。で? 真白ちゃんはどうしたの?」

「あ……図書室に本を借りに来たん……」

 露子は質問に答えていた結の肩を急に引き寄せると、

「どうでもいいんですけど! きゃははっ! 大会が近くなって、望月も張り切ってるよ? お前なんかいなくてもよかったみたいだね!」

 そう言って結に耳打ちする。

「ま、お疲れ~。読書でも頑張ってね~」

 露子はそう言うと、笑いながら立ち去っていく。

(美陽……)

 結は唇を噛み締めて俯くのだった。


 学校から戻った結は読書をするも、なかなか集中できない。

 美陽のことが気になってしまうのだ。

(美陽……本当にごめんね……)

 こうして夏休みは過ぎていく。


 そして夏休みも中盤に差し掛かった頃。

 ついに、美陽も出場する全国中学校バスケットボール大会の日がやって来る。

 本当なら自分も補欠ながらバスケ部員として、美陽と一緒にこの大会に行くはずだった。

 でも、そんな未来はもうやって来ないだろう。

 そんなことを考えながら、ベッドに横たわる結。

(美陽は今頃、バスの中かな? 緊張してるかな? 練習は十分できたのかな?)

 結はスマホを握りしめると、祈るように呟く。

「どうか……美陽が全国でも活躍できますように……」


 真理と大喜は、美陽の試合を応援に行くと言っていた。

 結も2人に誘われたが、断った。

 美陽を裏切るような真似をした自分が、応援に行く資格など無いと思っていたから。

 真理と大喜も、詳細まではわからないものの、美陽から結との仲違いを聞いたようだった。

 そのため、結が断っても無理には誘わず、2人で美陽の応援に行くことにしたのだった。


「……なにかして気を紛らわさないと……」

 そう呟いた結だが、体は鉛のように重く、頭もぼんやりとしている。

 食欲もなく、宿題もほとんど手をつけていない。

 何もする気になれないまま、結はいつの間にか眠りについてしまうのだった。



 結局、次の日の夜に真理から試合についての連絡があった。

 美陽が珍しく精彩を欠いたプレーをし、露子が独りよがりなプレーをしていたものの、チームのカバーで1回戦はなんとか勝ち進めたようだ。

 だが今日の2回戦では美陽が持ち直したが、またも露子の独りよがりなプレーが目立ってしまい、相手に決定的な場面を作らせてしまったのだとか。

 結果は惜しくも敗退してしまったようだ。


 そして負けたあとに、美陽と露子が掴み合いの喧嘩をし始めたという。

 すぐに他の部員たちが止めたようだが、その後も2人は睨み合ったままだったらしい。

「今日の敗因は、小島さんの身勝手なプレーのせいです。私や監督が何度も止めたのに、聞く耳をもたなかった」

「はぁ!? あんたこそ、わたしの邪魔ばっかりして! あんたがいなきゃ勝ててたのよ!」

 そんなやり取りをしているうちに、美陽が露子に掴みかかったらしい。

 そしてそのまま取っ組み合いになったようだ。

 その件に関してさえ、結は自分自身への罪悪の念に苛まれてしまうのだった。

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