第3話

 カーテンを閉め切った部屋の中。

 薄暗い空間に、布団の重さだけがのしかかる。


 時間の感覚がよくわからない。


 朝だって、昼だって、夜だって、どうでもよかった。

 スマホの通知はゼロ。

 画面を開いても、見慣れたLINEのグループ名が目に入るだけで、

 胸の奥が、じわりと苦くなった。


 ……見たくない。

 ……何も知らなくていい。

 ……どうせ、私のことなんて、誰も覚えてない。


 考えないようにすればするほど、

 教室の空気が、誰かの笑い声が、美玲ちゃんのあの言葉が、

 頭の奥でこだまする。


 “あんた、ブスのくせに告白とかマジでウケる”


 耳にこびりついて離れない。

 思い出したくないのに、脳が勝手に再生する。


 布団の中で身体を丸める。

 喉がきゅっと鳴って、息がうまく吸えなくなる。


 誰にも見られていないのに、

 誰かに笑われてる気がして、ずっと怖かった。



 その日の午後。

 静かな部屋に、ピンポーンとインターホンの音が響いた。


 突然すぎて、鼓動が跳ねた。


「……っ」


 音が鳴るたびに、心臓がぎゅっと強く握られるような感覚になる。


 ……出たくない。誰かと話したくない。 


 でも、お母さんは今日は仕事でいない。

 鳴り止まないチャイムに、私はゆっくりと布団から抜け出し、

 足音を立てないように、玄関へと向かった。


 ドアの向こうに気配。

 インターホンのモニターには、制服の誰かが立っている姿が映っている。


 その顔を見て、私は少しだけ目を見開いた。


「……律、くん?」


 声に出して、ようやく思い出す。

 中学で、同じクラスだった男子。

 特別に仲が良かったわけでもない。

 彼のほうから私に、話しかけてくることはほとんどなかった。


 なのに、なぜ。


「……連絡帳と、プリント。先生が渡せって」


 静かに、いつもの調子で、彼が言った。


 玄関を少しだけ開けると、律くんは視線を逸らしたまま、

 ファイルとビニール袋を差し出してきた。


「……これも。ついでに」


「……?」


 中には、メロンパンといちごオレ。


 律くんは少し目を伏せたまま、小さくつぶやいた。


「……なんか、好きそうかなって……思っただけ」


 私は何も言えなかった。


 メロンパンのパッケージが、少し曇ったビニール越しに透けて見える。

 特別な意味なんてない。

 でも、今の私にとって、それはとてもとても、大きな重みだった。


「……あの……っ」


 口が動いた。

 だけど、そこから先が出てこない。


 ありがとう。

 本当は、そう言いたかった。


 だけど、喉がひゅっと締まって、

 声が途中で飲み込まれてしまった。


 律くんは、私の言葉を待つように少しだけ立ち止まり、

 でも、無理に聞こうとはしなかった。


 代わりに、いつものような抑揚のない声で、ぽつりと言った。


「……じゃあ、また。たぶん、明日もあると思うから」


 そして、踵を返して歩き出す。


 その背中を、私はドアの隙間からずっと見ていた。


 呼び止めたくて、

 行かないでって言いたくて、

 でも言えなくて──


「……ま、た……」


 ほんのかすかに、声が漏れた。


 律くんの足が止まり、

 ゆっくりと振り返る。


 目が合った。


 彼は、私が何も言えないことを知っていたように、

 無理に続きを促すことはしなかった。


 そして、ふっと、少しだけ笑って──


「……また明日な」


 そう言って、手をひょいと上げて、歩いていった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る