こちらミームトラブル解決屋 〜とあるAIトラブルシューターの備忘録〜
陽澄すずめ
CASE 1 踊るパンダミーム
1-1 AIと共にある日常
十分に発達した科学技術は、魔法と見分けがつかない。
そんな言葉を残したのは、有名なSF作家だったか。
前世紀の人から見たら、確かに今の俺たちは魔法使いみたいなものだろう。
ただし、こうも言える。
どれほど高度な科学技術も、馴染んでしまえばただの日常。魔法なんて大それたものじゃない。
生活の中にごく当たり前に存在し、ごく当たり前に力を借りている。もはや「力を借りている」という意識すら希薄なほど、俺たちの生活に深く浸透している。
朝起きてから夜寝るまで。
ゆりかごから墓場まで。
現代における「ごく当たり前の日常」は、息をするくらい自然なレベルでAIと共にある。
今から語るのは、俺とメメが共に日常を過ごし、共に解決した案件を記憶しておくための備忘録だ。
■
「アキト、そろそろ起きなよ。いつまで寝てるわけ?」
耳元でぶんぶん鳴る羽音と、甲高い少年の声に起こされた。
外が明るいことにはとっくに気付いていた。安物のカーテンだから、朝日がめちゃくちゃ透ける。
それでも人間、大した用事もなければわざわざ早起きする意味もないわけで、俺はだらだらと惰眠を貪っているのだ。
「アキト、あんまり寝すぎると脳の機能が低下するよ。ただでさえ三十路になっておっさんに片足突っ込んでるんだからさ」
「朝から辛辣ッ!」
勢いで瞼を開ければ、小型ドローンのドアップが視界に入る。
ボディはオレンジ、プロペラは黒。フロント部にあるカメラレンズが、俺を真正面から捉えていた。
「もう少し優しく起こしてくれよ、メメ」
こいつ——『メメ』は、Mind Expanding Multi-device of Eruditionという、俺が独自に組んだプログラムを搭載した、完全自律式のドローン型AIエージェントだ。
プログラム名の頭文字を取って、【
メメは、ようやく半身を起こした俺の周りをぐるりと飛ぶと、再び目の前にやってきた。
「ひどい寝癖に、ヨダレの跡。ヒゲも伸びてきてる。さっさと顔洗って、きれいにヒゲ剃りしてきなよ。健全な生活は身だしなみを整えることから。『人は見た目が九十パーセント』だという通説もある」
「……だる……」
「体温は三十六度二分。血圧、心拍数ともに異状なし。『だるい』という所感は、ボクの発言への反発心から出たものと推察する。健康そのものだよ、良かったね」
「そりゃあ社畜時代と違って思う存分休めるからね」
でかいあくびをしながら安いパイプベッドを降りて、床に置きっぱなしの衣服やら空きダンボールやらを足で
鏡に映った自分は、ただでさえ眠たげに見える目がとろんと半開きで、生気のないシケた面をしていた。
メメの言うとおり、顎には無精ヒゲが散っている。このくらいならまだ剃らなくてもいいだろう。
俺——安藤アキトは、もともと企業勤めのAIエンジニアで、バーチャルアシスタント等のソフトウェアを開発する仕事をしていた。
あまりに過酷な労働環境に限界が来て、新卒から八年勤めた会社を辞めたのが半年前。
現在は〈
しかし。
「だらだら休みすぎじゃない? メールボックス確認した? 採用通知も依頼もゼロだよ」
「悲しいネタバレしないでくれる?」
俺は両耳に装着したイヤーカフ端末を起動した。
Olsisアプリのメールボックスを選択し、リロードしてみる。
無情に並ぶ『新着メッセージなし』の文字。
ネタバレのおかげでダメージが少なかったのは、不幸中の幸いだ。
「フリーランス向けの
「今やフリーランスエンジニアも飽和状態だからね。もっとOlsisのプロフィール欄でアピールしたら?
「選り好み……してんのかな」
「うん」
失業保険をきっちり三ヶ月もらった後、フルリモートでできるフリーランス業を始めて早三ヶ月。
俺は、自分の仕事を上手く軌道に乗せられずにいた。
メメがくるりと宙返りする。
「それか、企業案件じゃなくて個人案件を受け付けてみるのもいいんじゃないかな。掲示板にキャッチーな広告でも出してみたら?」
「キャッチーな広告とは」
「例えばこんなの」
Olsisが、個人画面からフィールド画面に遷移する。
ネット上に構築されたサイバーシティの中、ちょっぴりアングラな区画にある、とある雑居ビル内。
俺の間借りしている事務所スペースに、メメの作った広告の画像が表示される。
【デジタル怪奇現象ならおまかせ! AI端末の不具合など、お気軽にご相談ください!——オータムAIサービス】
『オータムAIサービス』とは、俺の個人事業者名である。秋生まれなので安直にこの名前にした。
いや、そんなことよりもだ。
「何この『デジタル怪奇現象』て」
「このところAI絡みで想定外のことが起きがちじゃん。個人端末の異常動作とか」
「まあねぇ」
「『原因はよく分からないけど何かおかしなことが起きてる』って人のお困りごとを解決するんだよ。個人のAIデバイスの不具合に関する相談を、オンラインで受けるってこと」
「えー……それ儲かる?」
「客単価は低いけど、個人案件を受けることで世のニーズを掴んだり、技術をアップデートしたり、自己研鑽には役立つはずだよ」
メメは得意げにボディを揺らす。
「アキト、地道に一つ一つ経験を積んでいくことが大事だよ。かつてメジャーリーグで活躍したある偉大な名スラッガーはこう言ってる。『小さいことを重ねることが、とんでもないところへ行くただ一つの道だ』って」
「別に偉大なことを成し遂げたいわけじゃねえけどさ。普通に食えりゃそれで十分だし……まあいいや、一応その広告出しといてよ」
「了解!」
メメによってOlsis内の掲示板に広告が掲載されると、なんと一分も経たないうちにピコン!と通知音が鳴った。
新着のDM(ダイレクトメール)である。
「えっ、もう?」
わずかな期待を込めて、開封する。
『簡単なアルバイトに興味ありませんか? すぐに稼げます! 詳しくは→Olsis ID: XXXXX』
「スパムかよ」
「スパム業者の人にも稼げてないことバレてるじゃん」
「うるせえわ」
なんだかどっと疲れた。型落ちの加熱式タバコに手を伸ばしかけて、俺は溜め息をつく。
「あー……くそ、タバコもねえじゃんかよ」
「喫煙はさまざまな疾病リスクを高めて、健康寿命を短くする可能性があるよ。そもそもタバコの前に朝食を摂るべきでしょ」
「知ってる。コンビニ行ってくる」
「いい考えだね。太陽の光を浴びると、皮膚でビタミンDが生成されて健康にいいし、脳ではセロトニンが分泌されて精神にもいい影響があるよ」
「そりゃいいな……」
おしゃべりな相棒をいつものように肩に乗せ、俺はアパートを出た。
この時の俺は、あんなふうにおざなりに出した広告が新たな道を切り開くことを、まだ知らなかった。
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