無才と呼ばれた陰陽師、前世エンジニアの知識で異能をデバッグする
かねぴー
第1部
【プロローグ1】落ちこぼれ陰陽師はコードで世界を組み直す
六歳の春。
俺――長谷部尚は、全身を駆け巡る高熱の中で意識の底へと沈んでいた。体が重い。息をするたびに肺が焼けるように痛む。
「尚、大丈夫!? しっかりして!」
母の声が、深い霧の向こうから響いてくる。必死さが滲む声音に、胸が締め付けられる。額に置かれた濡れ布の冷たさだけが、俺を現実に繋ぎ止めている。
(……あれ? なんだ、この感覚……)
意識が遠のきかけたその時、記憶の扉が音もなく開いた。
バグに追われ、無理難題の仕様変更に絶望し、終電を逃した夜。
朝日を見ながら帰宅した朝。
人生の大半を捧げたデジタルの世界。
(俺……死んだのか。過労で倒れて、そしてこの幼い体に……転生?)
非現実的すぎる。でも、この記憶の鮮明さは嘘をつけない。前世の二十八年間が、まるで昨日のことのように思い出せる。
重い瞼を必死で持ち上げた瞬間、世界が一変した。
淡い残光が縫い目のように視界を横切った。
家の床に刻まれた「式盤」から、淡い光の紋様が立ち上っている。それは幻想的な螺旋を描きながら空中に展開し――そして、信じられない光景が目の前に現れた。
霊力が十以上なら結界展開、違えば術式失敗。
(……嘘だろ……これって、プログラムコードじゃないか!)
心臓が跳ね上がった。意味不明であるはずの陰陽術式が、俺の目には明確なソースコードとして映っている。条件分岐、ループ処理、関数の呼び出し――前世で慣れ親しんだ論理構造そのものだった。
(——これを口にすれば、きっと異端扱いだ)
この世界の「異能」と呼ばれる力が、まるでパズルを解くみたいに理解できる。謎に包まれていた術式の仕組みが、手に取るように分かる。
体の奥底で、何かが確かにカチリと音を立てて噛み合った。長い間錆びついていた歯車が、ようやく動き出したような感覚。
"内包力量ゼロ"――三歳の時に下された無慈悲な判定。陰陽師の家系に生まれながら、霊力が全く使えない落ちこぼれ。周囲からの蔑みの視線に、何度俯いたか分からない。
でも今、諦めかけていた心の奥で、小さな希望の炎が静かに灯る。
(もしかして……俺にもこの力を扱えるんじゃないか?)
高熱に浮かされた意識の中でも、胸の奥が熱く震えていた。基礎体力も霊力も最低の俺でも、この「視点」があれば――前世の知識という、思わぬ武器があれば――
「尚! 入るわよ!」
勢いよく開かれた障子の向こうから、見慣れた顔が心配そうに覗いていた。
隣家の娘にして幼馴染――藤原美琴。同い年でありながら、既に小さな式神を自在に操る天才少女。明るい栗色の髪が、夕日を受けて輝いている。
「なによ、その顔。本当に死人みたいじゃない」
美琴の声には、いつもの勝気さの陰に隠しきれない心配が滲んでいる。大きな瞳が、じっと俺の顔を見つめている。
「……病人だからな」
「ふふっ、口だけは相変わらず元気ね」
美琴がくすりと笑う。その笑顔を見ていると、少しだけ体が楽になる気がした。
「ほら、お見舞い。梨を持ってきてあげたの」
竹籠から取り出した梨を、彼女は式神を使って見事に切り分けて見せる。小さな狐の形をした式神が、ナイフも使わずに梨を薄く均等に切っていく。まるで芸術作品のような美しい仕上がり。
「……相変わらず、反則級の便利さだな」
刃を使わない。安全で、精度が落ちない。
得意げに胸を張る美琴。でも、その表情がふと陰りを帯びる。いつもの明るさの奥に、深い憂いが宿っていた。
「……本当はね」
彼女の声が、急に小さくなる。俺は黙って続きを待った。
「ずっと心配してたの。尚が"力がない"ってみんなに言われて、陰で笑われて……見ていて辛かった」
美琴の瞳に、薄っすらと涙が滲む。その涙が、胸に突き刺さる。
「周りの大人たちは諦めろって言うけど、私は違うと思う」
彼女は俯きながらも、はっきりとした口調で言い切った。
「絶対に、尚だって特別な力を持ってるはず。ただ、まだその時が来ていないだけ」
(……美琴……)
彼女の真っ直ぐな信頼の言葉が、胸の奥深くに響く。誰よりも才能があって、誰よりも努力している彼女が、落ちこぼれの俺をこんなにも信じてくれている。
俺の視界には、まだあの不思議なコードが淡く浮かんでいる。誰にも見えないはずのそれが、これほど鮮明に見える。
「……ありがとな、美琴」
心からの感謝を込めて言うと、彼女の目が驚いたように見開かれた。
「えっ?」
「俺、多分だけど……やっと自分なりの"使い方"が分かった気がする」
言葉にした途端、胸の奥の確信が強くなる。前世の知識と、この世界の異能。二つの力が交わる場所に、新しい可能性が生まれている。
「な、何よ急に! 熱でうなされてるだけじゃないでしょうね!?」
身を乗り出し、額に小さな手を当てる。至近に寄った美琴の顔に、甘い香りがかすめた。
「「あの——」」声が重なり、彼女は頬を染めて半歩退いた。
部屋には、梨の甘さだけが残った。
だが今は違う。幼馴染という特別な関係。彼女の真っ直ぐな信頼。そして、この身に宿った新たな可能性。
胸の奥で、熱とは全く違う温かな高鳴りが静かに広がっていく。
「あ、あのね!」
美琴が急に顔を上げて、早口で喋り出した。
「私、信じてるから。尚は絶対に、みんなを見返せるって。だから……諦めないでね」
そう言って、美琴は真っ赤な顔のまま部屋を飛び出していった。障子が閉まる音が、やけに大きく響く。
一人残された部屋で、俺は天井を見上げた。
視界の端に、残光が滲む。
(見てろ)
拳を握りしめる。爪が手のひらに食い込むけど、その痛みが心地いい。
(——常識は、覆す)
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