超難関ダンジョンを通学路に使う女子高生の話

としぞう

超難関ダンジョンを通学路に使う女子高生の話

「ん、う……」


 軽快な音を立てるスマホを止めるところから、夜十川陽奈やとがわひなの一日は始まる。

 寝起きは決して悪くない。しかし良くもない。

 スマホを止めてから起き上がるまでおよそ3分、二度寝しかけてこりゃいかんと、もぞもぞ起き上がる。


 寝癖とは別に、もぞっと跳ねた黒のメディアムヘアーを掻き、目つきが悪いとイジられる猫のような目を擦る。

 パジャマの隙間からはだけて見えた肌は、ついこの間まで中学生だった帰宅部女子にしては引き締まっている。

 胸は年相応――成長の兆しが中々見えてくれないのが目下の悩みだが。


「だるぅ……」


 落ちるようにベッドから這い出て、冷蔵庫に向かう。

 六畳ワンルーム。手狭だが高校生の一人暮らしを思えば贅沢は言えない。

 それよりも陽奈にとっては、炊事も掃除も洗濯も、全て自分でやらなくてはならないのが大きな悩みだ。

 特に炊事――一日三食の食事については、バランス良くしっかり食べることが一人暮らしの条件と親に言いつけられている。


 冷蔵庫から買っておいたサラダと卵、ハムを取り出す。

 次いで冷凍庫からタッパーに入れたご飯を取り出し、電子レンジに放り込む。


「焼いて何が変わるんだか」


 そう愚痴りつつ、すぐそばの一口コンロにフライパンを置き、卵とハムを熱する。

 どこに出してもなんとも思われないハムエッグの完成と共に、電子レンジが声を上げた。


 あとはこれらを良い感じにローテーブルに並べ、写真を撮り、両親に送る。

 特に忙しくもない陽奈の朝は、こうやって過ぎていく。


「いただきます」


 ごく普通。とても普通。

 誰かと比べたことはないけれど、一人暮らしの高校生はこんなものだろうと納得できる程度の普通。


 現在朝の7時手前。

 朝食を終え使い終わった食器を水に浸け、テキトーに髪を解き、申し訳程度に歯を磨き、水だけで顔を洗い、制服に着替えて、すっぴんで外に出る。


「あぢぃ~」


 照りつける太陽に、ついサボってしまおうかと邪念が走った。

 七月初旬。地球は温暖化に温暖化を極め、すでに35度を超える熱気に包まれていた。

 陽奈は都心から離れた田舎の小さなアパートに暮らしている。緑の多い自宅付近は多少体感気温は収まるものの、気のせいと言われてしまえばそれまでだ。


 学校までは、バス、電車を乗り継いで3時間かかる。

 当然、この時間からでは8時始業に間に合わない。


「さぁて、行きますかぁ」


 陽奈はスクールバッグを肩に提げ、大きく伸びをしてのんびり歩き出した。




 始業5分前。

 教室に着いた陽奈は自席に座ってスマホをいじるギャルを見つけた。

 イケてるオーラ、美人、バッチリ完璧なメイク、すらっとしたスタイル。

 そんな彼女を見て、陽奈はむっと口をへの字に曲げる。


「あ、ひなち、おはー」

「おはよ、ニコ」


 屋久島虹心やくしまにこ、どういうわけかこの白ギャルは陽奈に懐いている。最初話したきっかけは出席番号が並んでいたからという理由だ。

 虹心はその気になれば一夜にして学年のカーストトップに君臨できるだろう少女だ。


 しかし、今は陽奈以外と積極的に接点を持とうとしていない。

 その理由は陽奈にも分からない。

 自分は目立たないし、目立つ気もない。平々凡々、ただのんびり徐々に年老いているだけの人間だ。


 流行りのスイーツ、コスメ、ファッション。SNS映えする撮影技術。ショート動画撮影。他にも他にも。

 高校生らしい、今この瞬間しかできないことに全力で取り組む、所謂「陽キャ」と呼ばれる生き物たちと一緒にいた方が絶対楽しいはずなのに。


 ……そう思いつつ、陽奈は虹心と気安く挨拶を交わす関係を続けている。

 拒絶するのにもカロリーがかかる。 一緒にいて居心地も悪くない。虹心とお近づきになりたい他生徒達から粘っこい嫉妬の視線を向けられるのはうざったいが、気にしないのにも慣れてきた。


 そう考えれば、虹心と一緒に過ごす時間は陽奈にとってそう悪い物じゃない。


「ぷはぁ~」

「ニコ、席の主が来たのにどうして余計だらけるの?」

「んー、ラストスパート的なー?」

「ラストスパート?」

「ひなちの椅子と机を温めてあげてんの~」

「必要? それ」


 などと、朝っぱらから意味の無い会話を楽しむ分には彼女は普通の高校生だった。


 ◇


 放課後、虹心にねだられ、コンビニで買い食いを楽しんだ後、陽奈は帰路につく。


 電車を使えば片道三時間――しかし陽奈は駅とは逆方向に向かう。

 住宅地の中にある公園、名前にもなっている特徴的な貯水塔の足下にそれはあった。


 高さ3メートルほどの鉄扉。

 そしてその前には電子端末が設置されている。


『危険。ここより先に進むには探索ライセンスA+相当が必要』


 陽奈が近づくと、そう警告が鳴った。


 ダンジョン。

 この世界は、全く別の異世界と部分的に繋がっている。

 その世界には魔物と称される、人を見れば容赦なく襲ってくる化け物が闊歩している。


 幸いなのは、その魔物は決して自分たちの世界から出てこないこと。

 不幸なのは、今人間たちの世界のインフラ、そのエネルギーは魔物達を倒して得られるコアを燃料に賄われていること。


 石炭、石油、原子力、太陽光――様々なエネルギーに手を出してきた人類だったが、そのどれよりも魔物のコアは効率がよく、安全に使用できる。

 欠点である、コアを取るためには魔物を倒さなければならないという点に目を瞑りさえすれば。


 故に、危険を冒してダンジョンに潜り魔物を狩る者達を、世間では冒険者と呼んだり、その行為自体をマイニングと呼んだりする。


 それはそれとして。


 そんなダンジョンの入口前に立ち、陽奈は定期入れから出したカードキーを端末にかざす。


『エクスプローラー、ランクA+、“パレット”、承認。ゲートを開きます』


 異世界への扉が開く。

 陽奈はそこに緊張もなく足を踏み入れた。



 扉を抜けた先は、何一つ遮る物の無い永遠に続く草原だった。

 A+ダンジョン、『夢救むきゅう草海そうかい』。

 爽やかに見える世界だが、視界を上げれば見える真っ黄色の空が、ここが異世界だとはっきり教えてくれる。


「アイリンク、オン。ストリーム開始」


 陽奈がそう呟くと、彼女の視界に幾つかマークのようなものが浮かび上がった。

 ダンジョンを征く際は誰しもがアイリンク――分かりやすく言えば『録画』することを義務づけられている。


 そしてストリーム。これはその録画を配信する機能。

 ダンジョンブロードキャスト、略して『ダンブロ』。というか正式名称を使う者は極めて稀だ。


 ダンブロでは日夜問わず、全世界で、攻略、探索、マイニング……様々なダンジョン活動の様子が配信されている。

 非日常的で、時にエキサイティングで、時にバイオレンスな『現実』の映像は、現代における最大の娯楽のひとつと言っても過言ではない。

 このダンジョン配信の普及によって犯罪率も低下した――などという話もあるが、陽奈が生まれる前からの話だから、彼女はよく知らない。


 陽奈がわざわざアイリンク情報を全世界に垂れ流すのは、その映像を視聴されることで彼女に収益が入るからだ。

 詳しいシステムは知らない。視聴者数も知らない。

 けれど、彼女の口座には配信の度、アルバイトせずとも一人暮らしを続けられる程度の収益が積み上がっていっている。


「…………」


 全世界に垂れ流しているにも関わらず、陽奈は無言のまま、淡々と歩みを進める。

 アイリンク、つまりは彼女の視界がそのまま配信されているわけだが、彼女自身こんな映像を見たところで誰が喜ぶのかと疑問に感じていた。


 世の中にはストリーマーと呼ばれるダンジョン配信を生業としている者もいる。

 そういった者達はアイリンクではなく配信用のドローンを使い自身の全身を見せつけたり、巧みな話術で視聴者を盛り上げたり、視聴者が書き込めるコメント欄を確認しながら会話を楽しむらしい。


「……む」


 陽奈が足を止める。

 足下の草も、風も、においも音も、何も変わりはない。

 しかし、陽奈はそれに勘づき、大きく後ろに跳んだ。


「ギジャアアアアアッ!!」


 直後、巨大なミミズのような魔物が、つい先ほど陽奈が立っていたその足下から飛び出してきた。


「サイレントワームか」


 その種族名を陽奈が呟く。

 サイレントワームは地中を徘徊し、獲物を狙う魔物。

 ブヨブヨした外皮は打撃を弾き、ばっくりと割れた口の中には鋭い歯が無数に生えている他、口や全身の小さな穴から毒酸をまき散らすという性質を持っている。


 頭の中で情報を整理し、陽奈はスクールバッグをかつぎ直して虚空に手をかざす。

 するとどこからともかく、一振りの剣が現れた。

 メカニカルな意匠の超硬質ブレード。

 高校1年生、平均的な身長の陽奈にも扱いやすい、一般的には短めのブレードだが、これで十分。


「……っ」


 かけ声も無く、陽奈は駆け出す。

 放って逃げても潜って追いかけてくるのだから、自ら間合いを詰め、仕留めた方が都合がいい。


「ギジャアアアアアッ!!」


 地中潜行時の静かさとは裏腹に、鋭い叫び声を上げるサイレントワームは、陽奈を迎え撃とうと口から毒酸を吐き出した。

 陽奈は当たり前のように、進路を反らして回避する。


「ギジャアアアアアッ!!」

「うるさい」


 懐に抜けられたサイレントワームが、全身の噴射孔から毒酸をまき散らす。

 闇雲にまき散らされた散弾のような毒酸を当然に躱し、さらに懐へと迫り――噴射孔の上部にある窪みへと足を掛け、それを足場代わりに駆け上っていく。

 サイレントワームの肌に刃を立て、切り裂きながら。


「ギジャアアアアッ!?」


 悲鳴と共に毒酸をばら撒くサイレントワームを切り裂きつつ、上部に到達。

 グロテスクな口は危険な武器でもあるが、同時に急所を隠す弱点でもある。

 肌を裂かれた痛みに怯んでいるうちに、陽奈はトドメを刺そうとブレードを構え――。


「キェアアアアアッ!!」

「っ! ガドラコアトル……!」


 つんざくような奇声と共に空から巨大な怪鳥が舞い降りてくる。

 ガドラコアトル。硬度の非常に高い羽を纏い、さらにその羽を自在に操り飛ばしてくる、近接武器を扱う陽奈にとっては少々面倒な魔物だ。


 しかし、新たな敵の襲来を前にしても陽奈は怯まず、ほんの少し鬱陶しそうに舌打ちをしただけ。

 手負いのサイレントワーム、そしてガドラコアトル。

 その両方に対処するため、即座に動き出した。



 ダンジョンへと侵入し、およそ30分後。

 陽奈は入口とは別の出口からダンジョンを抜け出した。


 そこは、陽奈の暮らすアパートから徒歩5分程度の場所にあった。

 電車で3時間、されどダンジョンを経由すればドアtoドアで1時間も掛からない。

 異世界とこの世界の次元は歪んでいる。時に徒歩で行ける距離の出口が地球の裏側と繋がっていたり、逆に何日も掛かる距離の出口がこの世界ではすぐ近くにあることもある。


 陽奈にとって、A+ダンジョンは学校を気軽に往復するためのちょうど良い近道だったのだ。


「ふぅ……あ、スーパー寄って帰ろ」


 ほんのりとした疲労感を覚えつつ、陽奈は歩き出す。

 その制服、背負っていたスクールバッグには殆ど痛みも汚れも無い。


 ランクA+。陽奈はこのランクの価値に興味が無い。

 それが世界でも有数――同年代だと数人程度しかいない、天才中の天才しか得られない段位であるいうことも、どうだっていい。


 親元を離れて一人暮らしする。

 比較的賃料の安いアパートを選ぶ。

 その上で登下校を『短く快適』に行う。


 その条件に一致したからこそ、『夢救の草海』を通学路にしているにすぎない。

 ついでに配信していれば、システムはちゃんと理解していないが、お金も貯まっていくし。


「今晩はカレーにしようかなぁ。楽だし、お母さんも文句言わないもんね……ん」


 頭の中で献立を立てつつ歩く陽奈のスマホが震えた。


「もしもし、ニコ? どした?」


 友人からの雑談の誘いに乗っかりつつ、歩く陽奈。


 こうして彼女の日常は回っていく。


 彼女が知らないうちに、世界に大きな熱狂を沸かせながら――。


◆◆◆


動画配信サイト『ダンブロ』。

配信名『タイトル設定なし』にて。


『お、始まった』

『今日はちょっと遅めだったね』

『初見です』

『初見さんいらっしゃーい』

『ご新規様一名入りましたー』

『ゴーグル視聴おすすめ』

『スマホ勢です。ゴーグル持ってるので切り替えてみます!』

『ああ、また一人犠牲者が……』

『最近初見さん増えたよね』

『パレットちゃん、切り抜きとかまとめサイト増えたからね』

『俺のパレットちゃんが遠い存在に』

『最初からお前のじゃない定期』

『パレットちゃんは放送が規則的だから合わせやすいのよね。もはやこれに合わせて仕事調整してるまである』

『俺も』

『わかる』

『わ、ビックリした!』

『あ、サイレントワームさんちっす』

『サイレントワーム:危険度ランクA』

『最早常連さん』

『こわ……全く接近気がつかなかった』

『でもパレットちゃんは察知してるんだよなぁ』

『Aランクとか見たことないんですけど……』

『このダンジョンはAプラだからゴロゴロいるよ』

『喋った!』

『かわいい』

『ありがたい……』

『パレットちゃんは接敵したら対象の名前を呟くのがルーティーン』

『声かわいいよね』

『そして当然のようにブレスを躱していく』

『既に速すぎて何がなんだか』

『俺はまだついていけている……!』

『ファッ!?』

『これどこ登ってるんや?』

『解説動画で言ってたけど、毒酸の噴射孔踏み台にしてるらしい』

『こわ……』

『でもかわいい。顔見えないけど』

『アイリンクじゃ自分は映らないしね、当然dかえど』

『だから顔が見えないからいいんだと何度言えば』

『増えた!!』

『増援だ!?』

『ガドラコアトル:危険度ランクA+』

『化け物やんけ!』

『どっちもどっちなんだよなぁ』

『うわ、羽ヤバ』

『羽ビットによるオールレンジ攻撃だとぉ!?』

『巻き込まれるサイレントワームくん』

『は?』

『へ!?』

『何が起きた!?』

『羽を踏み台にしたッ!?』

『一歩踏み違えたら地面に真っ逆さまなんだが……』

『いや、それより飛んでくる羽の上に乗ること自体おかしいから』

『軽やかにお乗っかられるわ』

『硬っ』

『羽もガチガチやん。さすがAプラ』

『どーすんのこれ』

『は!?』

『サイレントワームくん!?』

『毒酸直撃!!』

『ここでサイレントワームくんとの共闘は激アツ展開すぎる』

『拙者、かつての敵と共通の敵を前に共闘する展開大好き侍』

『つかこれ、毒酸誘導したでしょ』

『マジ?』

『パレットちゃん、何が見えてるんだ……』

『うお、毒酸で禿げたところに容赦なく……!』

『また髪の話してる……』

『ガドラコアトルと禿の心を削る配信者』

『あ、ちゃんとサイレントワームくんにもトドメ刺すのね』

『そりゃそうでしょ』

『サイレントワームくん、きみの勇姿は忘れないよ』

『なんかかませ犬みたいになってるけどサイレントワームくんもメチャクチャ強い筈なんですけどね……』

『解説動画楽しみだな。解説者の困惑っぷりも含めて』

『吐きました』

『新規くん!?』

『草』

『大丈夫。ゴーグル視聴勢はみんな通る道だよ』

『その内癖になってくるから』

『なりたくねぇ(なってる)』

『安心しろ新規くん、このダンジョンはエンカ平均3分だから』

『大体配信30分くらいだから10回はエンカする計算』

『もう一回吐けるドン!』

『もう一回で済むんですかねぇ……』

『胃液にも限界はあるから』

『え、コア回収しないの!?』

『パレットちゃんはしないんだよね』

『売れば儲かりそうなのに。もったいな……』

『でも回収のために解体してたら次のエンカしそうだしなぁ』

『ほんまイカれてるわこのダンジョン』

『言ってた傍からエンカした!』

『これまた大物だなぁ。ここじゃよく見る光景だけど』

『このヤバい光景がリアルタイムで行われているという事実』

『やっぱパレットちゃんはすごいわ』


配信時間:32分

最大同時視聴者数:45,162人

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