俺とオトンとセーラー服

坂口衣美(エミ)

俺とオトンとセーラー服

 部活が終わって家に帰ると、キッチンの換気扇の下で、オトンが超ミニスカのセーラー服姿でタバコを吸っていた。


 世界の終わりのような光景だが、これは現実だ。

 俺はいつも通り、廊下からオトンに声をかけた。


「ただいま」

「おかえり。晩メシ、なんにする?」

「弁当買ってきたから……」

「あ、そ。父さん明日からまた出張だから」

「へえ」


 どうでもいいので俺はそのまま自室に向かった。

 オトンは会社員。毎日、満員電車で通勤している。セーラー服で。


 え? 不審者じゃないかって?


 大丈夫。セーラー服は成人男子の正装になった。二年前から。

 理由はただひとつ。日本がサブカル大国で、それを盛り上げようという意味不明の政府の決定があったからだ。


 なぜセーラー服がサブカルを代表するのか? 

 俺はピンとこなかったが、調べてみると、セーラー服姿の女の子たちが敵と戦う有名なアニメがあったらしい。


 サブカル、なんと罪深いことか。


 そのおかげで俺たちは、すね毛をむき出しにしたおっさ……いや、成人男子を目撃するのに慣れてしまった。

 ちなみに、本家の女子高生たちは、超ミニスカをはかなくなった。おっ……成人男子と同じ服装はちょっと気が進まないのかもしれない。


 俺は自分の部屋でスマホを取り出す。通信ゲームとかはあんまりやらない。コミュ障なの、俺。

 ひとりで映画を観たり、ときどきWeb小説なんかを書いたりする。

 たまに誰かの文章を読んでコメントするときだって、めちゃくちゃ緊張する。


 誤字ってないかな、失礼な言葉遣いしてないかな。最低でも十回は読み返す。


「あ、また来てる」


 Web小説サイトを開いて、俺はつぶやいた。

 不定期に更新している連載小説に、誰かがコメントをくれるようになったのだ。

 たいして面白い小説じゃない。でも、誰かが読んでいる確かな証拠だった。


「ユウ様……今回も、楽しませていただきました……。いつも、丁寧な人だな……」


 俺はすぐには返信しない。というか、できない。

 しばらく考えないと言葉が出てこないのだ。


 そのときガチャッと部屋の扉が開き、オトンが顔をのぞかせた。


「雄太、ちょっとすまんが、手伝ってくれんか」

「なに」

「いやな、スカートが」


 オトンははいている紺色の布地を少し持ち上げて見せた。

 うわあ、やめてくれ、お……成人男子の絶対領域は目に優しくない。


「またかよ……派手に破いたなあ」


 オトンはよくスカートをひっかけるのだ。裾がほつれて、情けない状態になっている。

 俺はしぶしぶ裁縫道具を引っ張り出して、針と糸を準備する。


「悪いなあ……こういうの、まかせっきりだったからな、母さんに」


 オトンはタバコのにおいをさせながら言う。スカートははいたままだ。

 脱げよ、と実の父親に迫るもはばかられて、俺は黙って作業に入る。

 俺のオカンは入院中だった。ちょっとした風邪をこじらせて肺炎になった。来週あたりに帰ってくる予定だ。


 ちくちくと針を動かし、俺は思う。


 俺に裁縫を教えたのは、こういう事態を見越していたのかもしれない。オカンにはどこかそういうところがあった。

 そのうちセーラー服は特別じゃなくなる、超ミニスカは年若い女子の特権ではなくなるといつか言っていたのもオカンだ。


「雄太もそろそろセーラー服を用意せんといかんなあ」


 俺は無言で針を進める。まあ、楽しみではないが、苦痛でもない。セーラー服を着るのは社会に出るために必要だ。


「そうだ、さっき母さんから連絡が来てな。なんとかという小説を読んでいるらしい」

「へえ」


 オカンは読書をするタイプではなかったが、入院生活は退屈なのだろう。


「なんでも、女子高生がミーアキャットを相棒にして、黒魔術を使う敵と戦う話だとか……ミーアキャットって、どんなやつだっけ?」

「ブハッ」


 俺は思わず吹き出した。

 それ、俺が書いてるやつじゃん。


「父さんそういうの疎いんだけどさ、作者とやりとりできるんだって? お……応援コメント? それに返事が返ってくるとか」


「ゴフゥ」


 俺は耐えきれずに針を落とした。

 と、いうことは、俺はオカンのコメントに頭をひねって返信をしていたのか。


 なんということだろう。現実はどうしてこうも過酷なんだ。

 セーラー服姿のオトン、俺の小説の読者らしいオカン。


 ああ、やっぱり世界は終わりだ。しかしオトンはなんにも気づいていないように続ける。


「面白いらしいぞ。ミーアキャットは可愛いし、主人公の女子高生も強くてかっこいいと言ってたな」

「……」


 俺は落とした針を拾い上げた。


 世界は終わったかもしれない。でも、終わりは始まりだ。


 さっさと繕い物を済ませて、コメントに返事をしよう。そして小説の続きを書くのだ。

 セーラー服を着て通勤するようになっても俺は小説を書くだろう。


 事実は小説より奇なり。


 でもなあ、と俺は考える。


 それを超えるものを生み出すのが人間だ。

 俺だって、いつかもっとたくさんの人をうならせるものを書きたい。


「母さんが退院したら、セーラー服を買いに行くか」


 オトンの言葉に、俺はうなずく。


「スカートの柄、チェックにしたいな」


 オトンはタバコ臭い息を吐いて笑った。


「雄太になら、なんだって似合うさ」


 未来なんて誰にもわからない。それでもなにかを夢見ることは無意味じゃない。


 俺はチラリとスマホを見る。そこにはきっと、数えきれないくらいの夢を持った人たちがアクセスしているはずだから。




✤✤✤✤✤


コメント


連載している小説が進まず……企画から刺激をもらえないかと書いてみました。

三題噺です。

宜しくお願い致します……。

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