最終列車

@KOMIKOM

最終列車

 道夫(みちお)と栄子(えいこ)が座っている駅のベンチの背後から、若い男女の言い合いが聞こえてきた。小さな無人駅で他に客もいないせいか、男女の会話はよく聞こえた。

「やっぱ好きやねん」

 男が口を開いた。

「またアホなこと言うて。サチにもそう言ってるん、聞いてんから」

 女は甲高い声でそう言った後、頬を叩いたような乾いた音が、駅のホームに響き、女はどこかへ歩き去り、男が慌てて追いかけて行ったようだ。

「若いってええなあ……」

 子ども、もしくは孫に近い年齢の男女のやり取りを聞いて、道夫は苦笑いしながら、隣に座っている栄子に言った。栄子はふふっと口に手を当てて笑った。

 道夫は栄子を見つめた。栄子は道夫に目線を合わせたが、すぐにそらした。風が吹き、桜の花びらが舞い散った。

「奥さま……、少しでも良くなるといいですね」

 栄子は重い口を開いた。

「あの状態じゃ、それは無理でしょう……」

 道夫は絞り出すように言うと、栄子は悲しそうな顔をした。もっとも、妻は既にこの世にいないのだが、栄子はそれを知らない。

 最終電車の到着を告げるアナウンスが流れ、列車が入ってきた。それを合図に栄子は立ち上がった。道夫が栄子を自転車の後ろに乗せて、施設から連れ出したのが半日前。だが、栄子の出した結論は施設へ戻るということだった。

 道夫も少し時間を置いた後に立ち上がった。

 栄子は足を引きずりながら列車に乗り、ホームに立っている道夫と向かい合った。

「お元気で……」

 栄子の声は発車を告げるベルのせいで、途中から聞こえなくなった。

「栄子、やっぱ好きやねん!」

 道夫はベルに負けないくらい大きな声で叫んだ。

 栄子は口を両手で覆った後、「またアホなこと言うて」と涙をいっぱいためた瞳で、精一杯の笑顔を作った。

 道夫が何か言おうとしたが、先に電車の扉が閉まり、列車が走り出した。

 ドアの向こうの栄子が手を振っている。顔は笑っているが、目から涙がとめどなく流れている。

 道夫はたまらなくなって、駅の外に飛び出すと、停めていた自転車に乗り込み、電車を追いかけたが、すぐに足がもつれ、自転車ごと転倒した。

 列車はだんだん小さくなっていった。


                               (終わり)





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