第4話 草の匂いと雷の兆し


朝の光が薄いカーテンを透けて差し込む。


ロイはスージーの体を支え、関節の可動と筋力を確かめた。


「痛みはありませんか。もう一度お願いします」


スージーは一歩ずつ体重を載せ、つま先で軽く弾む。


「うん。大丈夫。走らなきゃ、ね? ……ほら、ほら」


「かなり順調ですね」


メアリーが横で姿勢と呼吸を見て、短く頷く。


「動作に異常なしね。日常生活に問題なし」


「よかったぁ。じゃ、午前は武具屋さんだよね?」


スージーがぱっと笑って、エプロンをはずす。


「じゃ、出発前に軽く食べよ。準備してくる!」


ロイはメアリーと小さく目を合わせた。


「今日の依頼は魔物の少ない所ですが、少し心配です。無理しないようによく見ておく必要がありますね」


「当然。しっかり監督する」


二人の視線が、自然と柔らかくなった。



鍛冶の熱気が漂う武具屋は、朝から鉄と油の匂いで満ちていた。


カウンターの奥から、がっしりとした親方が顔を上げる。


「おう、坊主に嬢ちゃん。今日の用件は?」


「スージーの装備の相談です。タンク職なので、盾と武器、短槍を見せてください」


親方が顎をしゃくる。


「スージーはそっちの子か。手を見せな」


スージーは素直に掌を差し出す。親方が指の長さと握りの癖を素早く確認する。


「細めのにぎり、やや楕円ぎみか。盾は軽いもんがいいな。……装備の予算次第だが、あの辺りの——」


ちょうどその時、あの街道で救った戦士が入ってきた。


「親方、例の件で——おっと。ロイじゃねえか」


ロイが微笑む。


「コナーさん。お加減はどうですか」


「おかげさんでな。……で、嬢ちゃんは新しい仲間か」


スージーが小さく会釈する。


「スージーです。よろしくお願いします」


コナーはロイ達の見ている棚に視線を送り、肩越しに親方を見た。


「そうか。ロイの兄ちゃんには以前助けられてな。もし装備を揃えにきたなら、餞別ってほどじゃないが、俺の装備を使ってくれるか?」


親方がうなずき、裏から扱いやすい長さの短槍と軽量の小盾を持ってくる。


「こいつの盾と槍なら、簡単なグリップ調整ですぐに渡せる。革鎧は体格合わせが要るから後日だ」


「いいんですか? 助かります。調整費用は——」


ロイが財布に手をやる。


親方がコナーを見る。


「調整費はツケでいいか?」


コナーは肩で笑い、親方にうなずいた。


「恩返しだ。俺につけてくれ」


スージーがまっすぐコナーを見る。


「大事に使います! ありがとうございます!」


「いいんだ。もう使わないからな。蔵で眠っているより、こいつらも喜ぶだろ」


談笑するロイ達を傍目に、親方は装備を裏の作業部屋に持って行った。



「さあ、握ってみな」


スージーは短槍を手に収め、握り替える。指がすいつくような握り心地だ。


「——ぴったり。当たりも良い」


「盾も腕を通せ。革ベルトは一穴分詰めるか」


「お願いします。手首側を一段だけ」


親方がバックル穴を一つ増やし、端を焼いてほつれ止めをする。


コナーが小さく笑った。


「似合ってるな。兄ちゃんをしっかり守ってやんな」


ロイは深く頭を下げた。


「本当にありがとうございます。」


親方がまとめて伝える。


「革鎧は採寸してからだ。仕上がりは数日後。今日はその二つを持っていきな」


「わかりました。助かります」



森の外れは、昼過ぎでも薄く冷えていた。


依頼主の薬師は腰に籠を下げ、採取場所を指し示す。


「この一帯です。選別は戻ってから私がやりますので、まずは採取の手伝いを」


「わかりました。危険があればすぐに伝えます」


ロイは膝をつき、根元の土を崩しすぎないよう小さなスコップで掬う。


「メアリーは周囲の警戒をお願いします」


「任せて。魔力探知を広げておく」


スージーは籠を持ち、ロイの隣で摘みとった葉を受け取る。


「根は土を落として、茎は折らないようにしないとね!」


依頼主も数歩離れた場所で手際よく摘み始めた。


小一時間が過ぎたころ、斜面の湿った草で依頼主の足が滑った。


「うわっ——」


ロイがすぐ肩を支える。


「大丈夫ですか!?——これは、足首を痛めてますね」


軽い捻り。ロイは包帯を取り出し、即席のテーピングで固定する。


「……これでぐらつきは抑えられます。これからスキルで回復しますね」


スージーが首を傾げた。


「ねぇロイくん。応急手当てしなくても治るんだよね?」


「はい。できます。けど、手当をしておくと——」


ロイは薬師の手を握る。


「手を離さないで下さい。——《復元-リザレクション》」


柔らかな光が、包帯の内側に染みるように流れた。熱が引き、腫れが静かに退いていく。薬師が驚いて足首を回した。


「おお……痛みがひいた」


ロイは説明を添える。


「応急処置をしておくと、受ける側の体力負担が軽くなるんです。だからできる範囲で手当てをしてから使うようにしています」


スージーが納得の顔でうなずいた。


「なるほど!じゃあ私も、現場でできる手当てを覚えるね!」


「助かります」


作業を再開して間もなく、メアリーの声が低く落ちた。


「——来る。数は五、左の茂みと斜面上」


ロイは小盾を構え、スージー達の前へ出る。薬師をスージーの背に庇わせた。


「距離十五。スージーは依頼人の近くで待機して。戦闘参加は無しよ」


「わかった」


黄緑の影が草を裂き、小さな牙を剥いて迫る。ゴブリンだ。五体。


「足を止める。——《氷鎖-フロストバインド》」


地面を薄い白が走り、先頭の二体の足が掴む。ロイは間合いを潰して小盾で一体の顔面を弾き、剣で肩口に浅い斬撃を入れる。深追いをせず、動きを鈍らせる。


「右から回り込みです!」


「任せて」


三体目が外へ流れて回り込む。ロイは一歩、二歩と下がりながら牽制するが、斜面上の一体が死角から滑り降り、スージーの背後を狙って抜けた。


スージーの瞳が大きく開く。


「——《光の盾-ルミナスイージス》!」


彼女の視線の先、背中の高さに透明な板がふいに現れた。抜けた一体の刃がそこに当たり、甲高くはじかれる。

反動でゴブリンの体勢が崩れた瞬間、メアリーが詠じる。


「《氷槍-アイスランス》」


凍る音。鋭い氷の槍が走り、抜けた一体の胸を貫いた。

ロイは前の三体を押し返し、間合いを切る。足を奪われていた二体は立て直せず、最後の一体は自棄に飛びかかってくるが、小盾に額を打って昏倒した。


短い静寂。草の揺れだけが残る。

ロイは呼吸を整え、スージーへ振り向いた。


「スージー、助かりました」


スージーは小盾を抱えたまま、胸を上下させて笑う。


「あたし、守るのは得意だよ。依頼人に怪我させるわけにはいかないしね!」


メアリーが倒れた個体の確認を終えて戻ってくる。


「斃したのは四。昏倒してる個体はとどめをさしておいたわ。逃走は一。採取は続行可能。……ただ近場でこの数に襲われるのは妙ね」


薬師が頭を下げた。


「命拾いしたよ。普段はこんな事無いんだけど…」


ロイは短く答え、周囲を見渡した。


「日が傾きかけてます。数が足りていれば、採取はここまでにして戻りましょう」



夕暮れの門をくぐると、街の空気は石と雨の匂いに変わっていた。


薬師の店で採取物を渡す。秤の皿が止まり、紙袋に収まった銀貨が手元にくる。


「助かったよ。また頼む」


「こちらこそ、ありがとうございました」


ロイが深く頭を下げ、店を出る。三人はその足でギルドへ向かった。


夜の気配を吸い込んだギルドは、酒と汗の匂いで温かい。掲示板の一角に、木札で縁取られた板が新たに掛かる。〈夜報〉の文字。


周囲がざわめいた。


「上級悪魔、北の峠で一時撃退だとよ」


「担当は“迅雷”って書いてある。あの女剣士だな」


「確か呪いをくらって療養中らしいぜ。しばらく動けねぇだろ」


ロイは板の文面を目で追う。短い報告文。峠名、被害なし、撃退、そして——呪い。


隣でメアリーが低く言う。


「上級悪魔の呪いは強大。完全解呪の例は、私は知らない」


スージーがロイを見上げる。瞳に不安が揺れた。


「そんなに……戻らないの?」


メアリーは首をわずかに振る。


「時間で薄まる類もあるけど、上位は別。魂に干渉する術式と聞くわ」


ロイは板から視線を外し、二人へ向き直る。


「……街の近くですね。上級冒険者は替えが効く人材ではありません。……もしかしたら、断言はできませんが——」


メアリーが目だけで問いかける。


「心当たり?」


「はい。呪術は試したことはありませんが、僕のスキルは毒や麻痺などの“状態異常の解除”も可能です。相性次第ではもしかしたら、と」


言葉を選んだが、胸の内で小さな灯が強くなる。長年の現場で掴んだ感覚。欠損も毒も、正しい形に戻す道筋がある。——呪いも、道筋があるなら。


スージーが小さく拳を握る。


「もし、その“迅雷”さんに会えたら……ロイくんなら」


ロイは頷いた。


「会えるといいですね」


メアリーが板から視線を外す。


「今日は戻る。明日の段取りは朝に詰めましょう」


「そうですね」


三人で受付へ向かい、報告と精算を済ませる。扉を押し開けると、夜風が冷たかった。


「……行きましょう」


三人の足音が、石畳に吸い込まれていった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る