第4話 草の匂いと雷の兆し
朝の光が薄いカーテンを透けて差し込む。
ロイはスージーの体を支え、関節の可動と筋力を確かめた。
「痛みはありませんか。もう一度お願いします」
スージーは一歩ずつ体重を載せ、つま先で軽く弾む。
「うん。大丈夫。走らなきゃ、ね? ……ほら、ほら」
「かなり順調ですね」
メアリーが横で姿勢と呼吸を見て、短く頷く。
「動作に異常なしね。日常生活に問題なし」
「よかったぁ。じゃ、午前は武具屋さんだよね?」
スージーがぱっと笑って、エプロンをはずす。
「じゃ、出発前に軽く食べよ。準備してくる!」
ロイはメアリーと小さく目を合わせた。
「今日の依頼は魔物の少ない所ですが、少し心配です。無理しないようによく見ておく必要がありますね」
「当然。しっかり監督する」
二人の視線が、自然と柔らかくなった。
♢
鍛冶の熱気が漂う武具屋は、朝から鉄と油の匂いで満ちていた。
カウンターの奥から、がっしりとした親方が顔を上げる。
「おう、坊主に嬢ちゃん。今日の用件は?」
「スージーの装備の相談です。タンク職なので、盾と武器、短槍を見せてください」
親方が顎をしゃくる。
「スージーはそっちの子か。手を見せな」
スージーは素直に掌を差し出す。親方が指の長さと握りの癖を素早く確認する。
「細めのにぎり、やや楕円ぎみか。盾は軽いもんがいいな。……装備の予算次第だが、あの辺りの——」
ちょうどその時、あの街道で救った戦士が入ってきた。
「親方、例の件で——おっと。ロイじゃねえか」
ロイが微笑む。
「コナーさん。お加減はどうですか」
「おかげさんでな。……で、嬢ちゃんは新しい仲間か」
スージーが小さく会釈する。
「スージーです。よろしくお願いします」
コナーはロイ達の見ている棚に視線を送り、肩越しに親方を見た。
「そうか。ロイの兄ちゃんには以前助けられてな。もし装備を揃えにきたなら、餞別ってほどじゃないが、俺の装備を使ってくれるか?」
親方がうなずき、裏から扱いやすい長さの短槍と軽量の小盾を持ってくる。
「こいつの盾と槍なら、簡単なグリップ調整ですぐに渡せる。革鎧は体格合わせが要るから後日だ」
「いいんですか? 助かります。調整費用は——」
ロイが財布に手をやる。
親方がコナーを見る。
「調整費はツケでいいか?」
コナーは肩で笑い、親方にうなずいた。
「恩返しだ。俺につけてくれ」
スージーがまっすぐコナーを見る。
「大事に使います! ありがとうございます!」
「いいんだ。もう使わないからな。蔵で眠っているより、こいつらも喜ぶだろ」
談笑するロイ達を傍目に、親方は装備を裏の作業部屋に持って行った。
♢
「さあ、握ってみな」
スージーは短槍を手に収め、握り替える。指がすいつくような握り心地だ。
「——ぴったり。当たりも良い」
「盾も腕を通せ。革ベルトは一穴分詰めるか」
「お願いします。手首側を一段だけ」
親方がバックル穴を一つ増やし、端を焼いてほつれ止めをする。
コナーが小さく笑った。
「似合ってるな。兄ちゃんをしっかり守ってやんな」
ロイは深く頭を下げた。
「本当にありがとうございます。」
親方がまとめて伝える。
「革鎧は採寸してからだ。仕上がりは数日後。今日はその二つを持っていきな」
「わかりました。助かります」
♢
森の外れは、昼過ぎでも薄く冷えていた。
依頼主の薬師は腰に籠を下げ、採取場所を指し示す。
「この一帯です。選別は戻ってから私がやりますので、まずは採取の手伝いを」
「わかりました。危険があればすぐに伝えます」
ロイは膝をつき、根元の土を崩しすぎないよう小さなスコップで掬う。
「メアリーは周囲の警戒をお願いします」
「任せて。魔力探知を広げておく」
スージーは籠を持ち、ロイの隣で摘みとった葉を受け取る。
「根は土を落として、茎は折らないようにしないとね!」
依頼主も数歩離れた場所で手際よく摘み始めた。
小一時間が過ぎたころ、斜面の湿った草で依頼主の足が滑った。
「うわっ——」
ロイがすぐ肩を支える。
「大丈夫ですか!?——これは、足首を痛めてますね」
軽い捻り。ロイは包帯を取り出し、即席のテーピングで固定する。
「……これでぐらつきは抑えられます。これからスキルで回復しますね」
スージーが首を傾げた。
「ねぇロイくん。応急手当てしなくても治るんだよね?」
「はい。できます。けど、手当をしておくと——」
ロイは薬師の手を握る。
「手を離さないで下さい。——《復元-リザレクション》」
柔らかな光が、包帯の内側に染みるように流れた。熱が引き、腫れが静かに退いていく。薬師が驚いて足首を回した。
「おお……痛みがひいた」
ロイは説明を添える。
「応急処置をしておくと、受ける側の体力負担が軽くなるんです。だからできる範囲で手当てをしてから使うようにしています」
スージーが納得の顔でうなずいた。
「なるほど!じゃあ私も、現場でできる手当てを覚えるね!」
「助かります」
作業を再開して間もなく、メアリーの声が低く落ちた。
「——来る。数は五、左の茂みと斜面上」
ロイは小盾を構え、スージー達の前へ出る。薬師をスージーの背に庇わせた。
「距離十五。スージーは依頼人の近くで待機して。戦闘参加は無しよ」
「わかった」
黄緑の影が草を裂き、小さな牙を剥いて迫る。ゴブリンだ。五体。
「足を止める。——《氷鎖-フロストバインド》」
地面を薄い白が走り、先頭の二体の足が掴む。ロイは間合いを潰して小盾で一体の顔面を弾き、剣で肩口に浅い斬撃を入れる。深追いをせず、動きを鈍らせる。
「右から回り込みです!」
「任せて」
三体目が外へ流れて回り込む。ロイは一歩、二歩と下がりながら牽制するが、斜面上の一体が死角から滑り降り、スージーの背後を狙って抜けた。
スージーの瞳が大きく開く。
「——《光の盾-ルミナスイージス》!」
彼女の視線の先、背中の高さに透明な板がふいに現れた。抜けた一体の刃がそこに当たり、甲高くはじかれる。
反動でゴブリンの体勢が崩れた瞬間、メアリーが詠じる。
「《氷槍-アイスランス》」
凍る音。鋭い氷の槍が走り、抜けた一体の胸を貫いた。
ロイは前の三体を押し返し、間合いを切る。足を奪われていた二体は立て直せず、最後の一体は自棄に飛びかかってくるが、小盾に額を打って昏倒した。
短い静寂。草の揺れだけが残る。
ロイは呼吸を整え、スージーへ振り向いた。
「スージー、助かりました」
スージーは小盾を抱えたまま、胸を上下させて笑う。
「あたし、守るのは得意だよ。依頼人に怪我させるわけにはいかないしね!」
メアリーが倒れた個体の確認を終えて戻ってくる。
「斃したのは四。昏倒してる個体はとどめをさしておいたわ。逃走は一。採取は続行可能。……ただ近場でこの数に襲われるのは妙ね」
薬師が頭を下げた。
「命拾いしたよ。普段はこんな事無いんだけど…」
ロイは短く答え、周囲を見渡した。
「日が傾きかけてます。数が足りていれば、採取はここまでにして戻りましょう」
♢
夕暮れの門をくぐると、街の空気は石と雨の匂いに変わっていた。
薬師の店で採取物を渡す。秤の皿が止まり、紙袋に収まった銀貨が手元にくる。
「助かったよ。また頼む」
「こちらこそ、ありがとうございました」
ロイが深く頭を下げ、店を出る。三人はその足でギルドへ向かった。
夜の気配を吸い込んだギルドは、酒と汗の匂いで温かい。掲示板の一角に、木札で縁取られた板が新たに掛かる。〈夜報〉の文字。
周囲がざわめいた。
「上級悪魔、北の峠で一時撃退だとよ」
「担当は“迅雷”って書いてある。あの女剣士だな」
「確か呪いをくらって療養中らしいぜ。しばらく動けねぇだろ」
ロイは板の文面を目で追う。短い報告文。峠名、被害なし、撃退、そして——呪い。
隣でメアリーが低く言う。
「上級悪魔の呪いは強大。完全解呪の例は、私は知らない」
スージーがロイを見上げる。瞳に不安が揺れた。
「そんなに……戻らないの?」
メアリーは首をわずかに振る。
「時間で薄まる類もあるけど、上位は別。魂に干渉する術式と聞くわ」
ロイは板から視線を外し、二人へ向き直る。
「……街の近くですね。上級冒険者は替えが効く人材ではありません。……もしかしたら、断言はできませんが——」
メアリーが目だけで問いかける。
「心当たり?」
「はい。呪術は試したことはありませんが、僕のスキルは毒や麻痺などの“状態異常の解除”も可能です。相性次第ではもしかしたら、と」
言葉を選んだが、胸の内で小さな灯が強くなる。長年の現場で掴んだ感覚。欠損も毒も、正しい形に戻す道筋がある。——呪いも、道筋があるなら。
スージーが小さく拳を握る。
「もし、その“迅雷”さんに会えたら……ロイくんなら」
ロイは頷いた。
「会えるといいですね」
メアリーが板から視線を外す。
「今日は戻る。明日の段取りは朝に詰めましょう」
「そうですね」
三人で受付へ向かい、報告と精算を済ませる。扉を押し開けると、夜風が冷たかった。
「……行きましょう」
三人の足音が、石畳に吸い込まれていった。
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