第18話


 意識を取り戻してそっと目を開けば、見知らぬ天井が視界に入る。

 指から順に体が動くかを確認してから、体を起こす。


 痛みはなかった。

 寝かされていた場所がベッドである事を確認して、僕は意識を失う前の出来事、自分の敗北を思い出す。

 ……つまりここは、闘技場の医務室か。


 戦いに敗れて意識を失い、けれども命を失わずに目を覚ますなんて、闘技会の模擬戦だとそれが当たり前ではあるのだとしても、僕は幸運に思わずにいられない。

 大きく息を吐き、立ち上がる。

 どのくらい、意識を失っていたのだろう?


「おぅ、起きたか? よく眠ってたな。気分はどうだ? ふらつきはないか?」

 気付けば、すぐそこの椅子にゲアルドが座ってて、僕の様子を見ながら幾つかの質問をしてきた。

 あぁ、どうやら、殴られて気を失った事で後遺症が残ってないかを心配してくれてるらしい。

 いや、でも殴ったのはゲアルドなんだよなぁ……。


 とはいえあれは闘技場の試合での出来事だから、彼を恨むのは筋違いである。

 僕は手を握って開いて、それから自分の内面に意識を落として観察して、違和感がない事を確かめてから、

「うん、問題はないよ。寧ろ調子がいいくらいかも」

 首を縦に振ってそう答えた。


 ゲアルドは僕の言葉に笑うけれど、いや、実は強がりじゃなくて、本当にそう感じるのだ。

 命の掛かった戦いではなかったとはいえ、自分より格上の戦士と真剣勝負を行って、死なずに生き残った事で、僕の感覚は少し研ぎ澄まされたのかもしれない。

 もちろん、戦いの熱がまだ残ってて、錯覚してるだけって可能性はあるんだけれど。


「まぁ問題がないようで何よりだ。俺も後味が悪い思いをせずに済んだな」

 なんて風にゲアルドは言う。

 そうか。

 彼でも親しく言葉を交わした相手が、自分との戦いで不調を引き摺れば後味の悪い思いはするのか。

 それはそれ、これはこれで割り切るタイプかと思っていたから、少しだけ意外だ。

 尤も、後味の悪さも一晩酒を飲めば次の日には忘れるのが、ゲアルドのような生き方をする者達の常ではあるのだろう。

 そうでなければ、何時知り合いと戦場で相対するともしれない傭兵なんてやってられない。


「お、忘れる前に渡しとくぞ。これがクリューの分の賞金とメダルだ。運営の連中から預かっておいてやったぞ」

 そう言って、ゲアルドは僕に向かって布袋を放り投げた。

 受け止めれば、中でガチャガチャと金属のぶつかる音がする。

 中身は、大きなメダルが一枚と、リャーグ銀貨が幾らか。

 大した額じゃないけれど、旅費の足しにはなるだろう。

 何よりこの先リャーグに向かうなら、リャーグ銀貨は使い易い。


 以前にも述べた通り、リャーグの貨幣は西方国家群で流通するものの中では最も信頼性に欠け、つまり価値が低いのだけれど、それでも発行元のリャーグに近付けば、流通してるのはリャーグの貨幣だ。

 他の貨幣を使うと場合によっては悪目立ちするから、ここで手に入るなら悪くはない。

 まぁ、闘技会の運営にしてみれば、賞金をケチった結果なのかもしれないけれども。


 しかし、幾ら大した額じゃないからって、僕への賞金をゲアルドに預けるのはどうなんだろう。

 持ち逃げなんてせこい真似はゲアルド程の実力があればする必要はないし、彼に預かるって言われたら断るのは難しいとは思うが、それにしてもだ。


「さて、お前さんが起きたなら、俺もそろそろ行くとするか」

 僕がメダルと賞金の入った布袋を懐にしまうのを見届けてから、ゲアルドはそう言った。

 どうやら彼とは、ここでお別れになるらしい。

 短い期間ではあったけれど、ゲアルドには色々と世話になったし、彼は陽気で賑やかだったから、また一人になるのかと思うと少しばかり寂しくもある。

 それに何より、命が掛かった戦いではないとはいえ、負けたことが悔しかったから……、もう暫く一緒に居られれば、雪辱を晴らす機会もあるかもなんて思ってたのに。


「どこへ行くのか、聞いてもいい?」

 だからだろうか、僕はゲアルドに行先を問う。

 いや、感傷からってだけじゃなくて、彼が近場で傭兵仕事をしようっていうなら、万が一にも敵対しないように、さっさと先に進もうと思って。

 そりゃあ雪辱は果たしたいが、戦場でゲアルドと相対するのはあまりにリスクが高すぎるし。


「あぁ、お前さんに負けたら、付いて行くのも面白いかったが、俺が勝ってしまったしなぁ……。ドレアム王国にでも行ってみるか。あそこは、軟弱な連中ばかりだと思ってたが、お前さんのようにそうじゃないのもいるってわかったしな」

 するとゲアルドは、まるで僕の考えが一から十までわかってるかのような、そんな顔でにやっと笑って、行先はドレアム王国だと告げた。

 ……ドレアム王国かぁ。

 また随分と、彼とは相性の悪そうだ。

 だって僕の出身地なんだから、ゲアルドが馴染めそうにない事くらいはわかる。


「行く先は真逆だね」

 ドレアム王国での振る舞いとか、お勧めの店とか、困った時に頼る先とか、僕はゲアルドに何かを伝えようかと考えて、でも結局、それらは口から出なかった。

 何故なら、にはそんなもの、必要としなさそうだったから。

 ゲアルドなら、相性が悪かろうがなんだろうが、その実力と嗅覚で、きっとなんとかするだろう。 


「そうだなぁ。でも、生きてりゃまた会うさ。俺も何時かはリャーグに帰って、それからあの連中に会いに行くからな」

 そう言って差し出された大きな拳に、僕も自分の拳を合わせる。

 確かに、生きてさえいればまた出会える事があるかもしれない。

 この世界は広いけれど、名を上げれば噂は遠くまで届く。

 そして今の西方国家群には、名を上げる機会が数多く転がっていた。


 だから、再会の保証なんて全くない僕らけれど、

「またね」

「おう、またな」

 互いの無事を祈りながら、別々の、真逆の道を進むのだ。



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