第9話 娘たちは女子野球部を設立する
お風呂場から出たあと、リビングで尾崎さんに『絵本の完成原稿』を手渡した。
「では先生ぇ……原稿も頂きましたので、今日は帰りますねぇ。名残惜しいですけど、また一カ月後に……」
せつない笑顔を残して玄関に向かおうとする尾崎さんの背中に手を伸ばした。
「あっ! ま、待ってくださいっ!」
「はい?」
呆けた顔でこちらに振り返る。
ふぅー……。危なく風呂に入っていて忘れるところだった。
娘たちが帰ってくるまで、尾崎さんを家に引き留めておく約束を。
そのために時間を稼げないかと思い、お風呂に入ったのが失敗だった。
まさか娘たち以外に、ひさびさにテレパシーを使うハメになるとは……。
もし約束を破って帰らせたりしたら、確定で浮気認定されてしまう。それだけは絶対に避けないと。
あたふたとして言い訳を考える。
「あ、あのぅ……尾崎さん……。そ、そのぉ……相談があるのですが……」
「相談、なんです?」
「あ、あの……娘たちのことで……」
たどたどしく口にした瞬間、瞳をキラーンと光らせる。
「もしかしてぇ、子供たちの『母親』になってほしいとかですかぁ?」
「イイィ――ッ! 違いますゥ! まったくもって全然カスりもせず違いますゥ!」
「いや~ん、先生ぇ、いいですよぉ♡ 私、あの子たちのこと大好きですからぁ♡」
僕の言葉を全力でスルーして身をくねらせている。
「ほ、本当に、違いますから……。そ、そうじゃなくて……え、え――っとー……あの――その――……」
こうして僕は、娘たちが帰ってくるまで尾崎さんをうちに引きとめることになった。
これは恐らく締め切りの百万倍大変なことに違いない。
(早くゥ帰ってきてくれぇ~~~~~ッ! 娘たちぃぃ~~~!)
情けなくも助けを叫ぶ。
◆◆◆
――父親が窮地に追い込まれているとは露とも知らず4姉妹は、第2北海道女子中学校の職員室で、担任の『樋口 恵子先生』に相談をしていた。
内容は野球部の設立についてだ。
「いいわよ」
「へっ? い、いいんですか?」
相談して十秒で設立し、4姉妹の長女 田中 真琴は呆気にとられた。
熱い想いも伝えられぬままアッサリと決まってしまい、嬉しさと困惑が入り混じった微妙な顔をしていた。
「ああ、野球部だろ。なら、無条件でオッケェーさ。校長にはあたしから言っておくから、今日から始めていいわよ。だがまあ……まずは部員集めからかな。野球は9人いなきゃできないからな」
樋口先生に4姉妹は、「ありがとうございます」と言い頭を下げた。
「いやいや、あたしの方こそ感謝だよ。野球部を復活させてくれたんだからね。あたしは廃部になった野球部の顧問だったんだ。それに昔は、ここでエースピッチャーもやってたんだよ。だから嬉しいよ。またここの野球部が復活してさ。後はあたしにまかせて、あんたらはできるだけ早く部員の勧誘に行ったほうがいいな。今日は新学期だろ? 今頃 新入生たちが部活見学をしている頃だ。早くそいつらを勧誘しにいかないと他の部に取られちゃうわよ」
「そうですね、わかりました。じゃあみんな、手分けして部員を探すわよ!」
姉の号令とともに、妹たちは学校中に散らばり部員を勧誘しに行った。
◆◆◆
4姉妹が部員の勧誘に勤しむ頃、田中家自宅では、編集者 尾崎 まこを引き止めた4姉妹の父 『田中 薫』がトイレに引き籠もっていた。
理由は、引き止める話題が尽き、便秘と偽りここに逃げ込んでいたからだ。
《パパ》
「鳴?」
トイレのフタに座り、うなだれる僕の頭の中に四女から届く。
《なんだい、鳴?》
《パパ、実はね………》
部員勧誘のいきさつを聞いた。
《そうか……部員探しか……。でも、大丈夫かい? 鳴はそういうの苦手だろ?》
《うん、超苦手。初対面の人とうまく会話できないし……》
声が暗く沈んでいた。
《そうか……気持ちはわかるよ。僕もそうだからね。でも、がんばれ。君なら やればなんでもできるよ》
《絵は描けないよ……》
《あははっ、そうだね。でも、今回は関係ないだろ? 君ならできる。僕を信じろ》
《うん、パパを信じる。じゃあねっ》
声に元気を灯らせテレパシーを終わらせた。
便器に座り息をつく。
(さてと、みんなも頑張っていることだし、僕もがんばらなくちゃな……)
決意した。
このまま娘たちが帰ってくるまで便器のフタに座り、トイレに引き籠もることを――。
ドン ドン ドン!
「――っ!」
トイレのドアが外から叩かれた。
「先生ェ――っ! まだですかァ――っ! まだ何かあったら なんでも言ってくださいねぇ――っ! 私、あの子たちの母親になる気まんまんですからァ――っ! 将来の先生の妻として、なんでも聞いちゃいますよぉ―――っ! うふふふふっ♡」
ドン ドン ガン!
「ひぃぃ!」(こ、怖いよぉ……)
ガクガクと震えて便器のフタに座り、トイレに引き籠もり続けた。
◆◆◆
――第2北海道女子中学校の『図書室』で、メガネをかけた少女が椅子に座り、もの静かに本を読んでいた。
おとなしい見た目とは裏腹に、どこか近付きがたい雰囲気を纏っていた。
後ろから少女を見つめている者がいた。
4姉妹の四女『田中 鳴』であった。
緊張した面持ちで鳴は、本を読む少女の後ろから近づいていく。
「あ、あの……」
怪訝に振り返り、メガネをクイっと上げる。
「あなたはたしか? 今日転校してきた4姉妹の……私に何か用?」
この少女の名は『牧瀬 美佳子(まきせ みかこ)』。
鳴たちとは別のクラスの二年生。
なぜ、鳴の事を知っていたのかというと、鳴たち4姉妹は4つ子ということで学校中で注目されており、他のクラスに顔などが知れ渡っていたのだ。
「あ、あの……その……野球をやりませんか? 今日……新しく部活を作ったので……」
「嫌」
一言いって断ると美佳子は本に視線を戻した。
あきらめずに声を吐き出した。
「こ、ここに、今の時間いるってことは……あ、あなたは、なにも部活をやっていませんよね?」
本を見たまま美佳子は喋る。
「そうだとしても、私が野球をやるような人間に見える?」
「み、見えません……」
「じゃあ、帰って頂戴」
「は、はい……」
感情も見せず無機質に断られ、鳴はショボーンとして図書室から出ていく。
一歩出たとき――鳴の脳裏に『父の言葉』が浮かんだ。
――君ならやれば何でもできるよ――
ピタっと足を止めて、意を決して再度アタックすることを決めた。
「あ、あの、野球やりませんか、楽しいですよ!」
大きめの声で後ろから声をかけると、美佳子はビクッと振り返り――。
「な、なに、気持ち悪い……」
「き、気持ち悪いィ!」
美佳子の言葉にショックを受けるが、折れそうな心を唇を噛みしめて耐える。
(くっ! へこたれるなァ! 負けるな、アタックアタック!)
「あ、あの……野球、本当に楽しいですよぉ……」
「それで?」
よそよそしい鳴を見ようとはせず本を見たままだ。
「だ、だから、その、1日だけでもいいですから、体験入部してみませんか? 鳴たちは、部員が足りなくて困っています」
「私には関係ないことよ」
冷たく言い放つと本を読むことに集中した。
拳を握りしめ、正面に周り、いままでのよそよそしい態度を変えて声を上げる。
「 と、友達になってくれませんかぁぁ! 」
「――えッ!」
読んでいた本をボトっと落としてうろたえた。
「と、友達……? 私なんかと……?」
「はい。鳴はよく知らない人と話すのが超苦手。だから、まずは友達になりませんか? そうすれば、今度はちゃんと部活に誘えると思うから……」
「な、なんで私なんかと? 結構ひどいこと言ったわよね?」
ばつが悪そうに聞くと、上目づかいで。
「な、なんとなく……なんとなくだけど……あなたは鳴と同じで、人付き合い苦手そうだから……」
表情がムスっと変わり。
「それって……自分と『同類』だから誘ったってこと?」
「……は、はい……そうです……ごめんなさい……」
萎縮して頭を下げた。
「正直に言いすぎじゃない?」
「ご、ごめんなさい……」
「……でも、あってるわ……」
「えっ?」
暗い表情でうつむいた。
「……私もあなたと同じで、人付き合いが苦手……。でも、あなたとは違う。あなたみたいに諦めず、誰かを誘うなんてできない……。だからずっとここで1人……」
目の端にはわずかに涙が滲んでいる。
「いいわよ……」
「えっ?」
「だ、だから……その……入る………ち、違う……。その……笑わないで聞いてよね? こういうこと言うの、始めてだから……。そ、その……私と……『友達』になってくれないかな?」
うつむいたまま真っ赤な顔で握手を求める。
「うん!」
無邪気な笑顔でぎゅっと握った。
顔を上げた美佳子の表情は歓喜に彩られていた。
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