第3話 カフェ・ベルメリア
男はアリサの顔を見た瞬間、ギョッとしたように目を丸くした。
アリサの瞳には涙が溜まっていたからだろう。
アリサは慌てて涙をぬぐった。
男の身なりが一般人のそれではなかったからだ。
紺を基調とし、金の装飾が施された騎士服。
田舎から出てきたばかりのアリサには、それがどれくらいの階級なのかはわからない。
しかし、前世と今世の知識を総動員した結果、目をつけられると帝都での生活が大変なことになることは理解できる。
「何があった? 手助けは必要か?」
男は丁寧に地面に膝をついて、アリサの顔を覗き込む。
父親以外の男性をこんなに間近でみたことがなくて、アリサは頬を染めた。
よく見れば整った顔をしている。骨ばった輪郭や切れ長の目は男らしい。
撫でつけた黒の髪が清潔感を引き立たせていた。
彼の赤い瞳がアリサをとらえる。
「どうした?」
「あの……。騎士様なら、帝都のことはなんでもご存じですか?」
「ある程度は」
アリサは顔を綻ばせた。
アリサが見つけられなかっただけなのだろう。東京に出てきたとき、ネットで検索してカフェを探し歩いていた。
そういうシステムがこの世界にはない。そういうときこそ、この帝都で長く暮らす人に聞くのが一番だ。
「パフェ、パフェを出しているお店をご存じではないでしょうか?」
「……パ? パフェ? それはなんだ?」
「パフェはパフェですよ! グラスにいろいろな食材を盛った美しいスイーツです!」
男は困ったように眉根を寄せた。
聞く相手を間違えたかもしれない。
彼はスイーツを好んで食べるようには見えないからだ。
肉の塊を両手に持っているほうが似合っている。
「では、ベルメリ通りの他にスイーツを扱うお店はありませんか?」
「あるにはあるが……。パフェというものを取り扱っている店はなかったはずだ」
「本当ですか?」
アリサは疑いの目を向けた。
だって、この広い帝都のスイーツの店を全部把握できている人がいるとは思えない。
前世のアリサは田舎から東京に出てきて、休日のほとんどをカフェ巡りに費やした。
それでも東京のカフェをすべて制覇することはできなかったのだ。
「そんなに心配なら、聞いてみよう」
男はそう言うと立ち上がる。そして、アリサに手を差し出した。
スマートな行為だが、こういうことには慣れていない。アリサはおずおずとその手を取って立ち上がる。
「あのカフェはベルメリ通りの店の中で一番の老舗だ」
男は三軒先の店を示す。ベルメリアと書かれた看板は色褪せていて、年季を感じる。
「この通りの名前の由来になった店だ。あそこのばあさんなら、帝都のスイーツにも精通している」
「そうなんですか?」
「ああ。そのパフェとやらがあるか聞いてみよう」
「はい!」
アリサは弾んだ声で言った。
カフェベルメリアは小さな店だ。
窓から中が見える。赤い煉瓦造りであることは周りと変わらない。
扉を開けるとカランカランと鈴の音が鳴る。
中は赤煉瓦を生かし、ところどころに花が飾りつけられていて雰囲気の店だった。どこか純喫茶のような佇まいだ。
店の奥から現れた老婦は男を見るなり、目を細めた。
「おや、エル坊。珍しい客だね」
「ばあさん、その呼び方はやめてくれ」
(エル坊……)
いかつい雰囲気すらあるこの男には、似合わないあだ名だ。
男は大きなため息をつくと、大きな右手で目頭を覆った。耳がわずかに赤い。
老婦は少女のように頬を膨らませる。
「なんだい。騎士になった途端、偉そうに」
「今はそういう話じゃなくて、聞きたいことがあるんだ」
「聞きたいこと? なんだい?」
エル坊と呼ばれた男はアリサに視線を向ける。
その視線を追って、老婦もアリサを見た。
二つの視線を受けて、アリサの心臓がわずかに早歩きになる。胸を押さえた。
「パフェを出しているお店をご存じないですか?」
わずかな間。
老婦は目を瞬かせる。
「……パ、フェ?」
(もしかして、名前が違うのかな?)
前世ではパフェと呼ばれていたものだけれど、今世は違う名称で呼ばれている可能性がある。
「えっと、グラスに砕いたクッキーやゼリー、クリーム、フルーツなどを盛りつけたスイーツなのですが……」
「その全部を乗せるのかい? グラスに?」
「はい。知りませんか?」
「そんなの聞いたこともないよ。そんなに入れたら、味が混ざっちまうだろ?」
老婦は不服そうに言った。
「混ざっても合うものを盛りつけるんです」
「へぇ……」
「ご存じありませんか?」
「知らないねぇ。少なくとも帝都では見ないねぇ」
「そんな……」
(パフェが存在しないなんて……!)
アリサは力なく崩れ落ち、床に膝をついた。
「だから、言っただろう? ないと」
男はどこか誇らしげに言う。この騎士は本当に帝都に詳しいのだろう。
二度手間を取らせてしまったと思うと申し訳ない。
アリサは二人に深々と頭を下げる。
「ご迷惑をおかけしました」
「せっかくだから、何か食べていくかい?」
老婦が優しい笑顔で言った。
壁にかかったメニューには、焼き菓子やケーキの名前が並んでいる。
喉が鳴った。
しかし、背中のリュックがもぞもぞと動く。
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