2話:特別な。

「おはよう、透子」

「おはようございます、お父さん」

 朝だ。やはり朝は毎日こうだ。家族と過ごして、大きな食卓を囲む。いつも通り。当たり前だが宿題は夜のうちに済ませてある。これもいつも通り。変わらないから退屈だ、とも言えるかもしれない。もちろん変わらないから盤石であるのだが。椅子は揺らさず、脚も揺らさず、しめやかに朝食を摂る。礼儀作法についてわざわざ意識しなくても一通りできるのは、我が一族だから、なのかもしれない。具体的には頭の隅で考え事ができる。そう、やはりこんな時間は退屈だからして──。

「最近学校はどう?」

「どう、とは」

「うーん、なんとなく?」

 ──母が話を振ってきた。珍しい。珍しいというのは「なんとなく」というところもだ。

「最近変わった気がして」

「気のせいじゃないですか、変わりませんよ」

「そんなことないと思うんだけどなあ」

「なんだ透子、何かあったのか?」

「ないですよ、お父さんもお母さんも、わたしを心配しすぎです」

 たまにある。わたしが輪に入れられそうになることは。家族の輪というものなら、当たり前のようにわたしも入っているはずだと、そういう扱いを受けることがある。……まあ、実際(わたし以外は)そう思っているのだろうけど。なんだかんだと変化に気づくのだから、家族は家族をちゃんと見ている。

 ただ、振り払うのも簡単だ。踏み込まなくとも生きていける。秘密というものはこの距離でも隠せる。人は優しいからこそ、すべてを暴く必要はない。どうしてほしいか、本人が言う通りにする。それが、並一通りの人間関係だ。

 そうして、朝は過ぎていく。いつも通りの朝。誰に踏み込まれても変わらない。わたしはもうあれ以来釘付けで、夢中だ。それ以外に興味がない。「あの日」。そのあと家を出て学校にたどり着いてつまらない授業を受けて、その間ずっと思い出していた。やっぱり今日も、待ち望むようにいとおしむように、ああの日のことを思い出していた。

 ……まあ、その「あの日」は驚いたのだけど。この死んだ空間に毎日来るようになってから、初めての変化があったあの日。

 「あれ」と出会い、その破綻を"お姉ちゃん"と呼んだ、あの日だ。

 ──知らない人が、突如として目の前に現れた。庭園で、ぽつりぽつりと独り言をこぼしていた時だった。

 駆けてきたのに、ふらりと。落ち着いていないのに、すっくと。幽霊みたいに、何の前触れも着地もなく、その人影は目の前に存在していた。わたしの前に立っていた。本当に、突如。

 絶えるように荒れた呼吸。汗ばんでわずかに透けた制服。伏せられたまま揺れる顔。左手小指の銀の指輪。それでも体は、脚はひっしと立ち止まっていて、明確に相対する。髪の毛は耳を通り越してうなじまで隠れるくらいに全体的に伸ばしていて、闇色の艶が膝についた腕の前に垂れていた。

 そういう体勢だが、ギリギリ校章は見える。高校一年生、だろうか。誕生日の差はあるかもしれないが、とりあえずわたしの三つ上、十四歳か十五歳か、ということになる。身長もわたしよりは若干高めだろうか、屈んでいて正確にはわからないが。……と、それはともかく。

「……あの」

 とりあえず、どうしようか。ここに誰か他の人間が来るとは、まったく想定していなかった。どういう理由で来て、どういう理由で今まで来なかったのか……などと問う権利も別にないだろう。一応誰でも入れる場所だ。仕方ない。

仕方ないが、そうでない前提でこの五ヶ月を過ごしてきたのに、この人にもここに来るルーティンがあるならば、わたしの趣味はご破算だ。

 趣味。この庭園で過ごすこと。特に足元の蟻のような虫けらと戯れること。そのために時間と昼食を削ること。とにかく捧ぐことは、中学生になってからも続く趣味だった。

 ここは私とそれ以外の場所で、救い難いもののために汚れてやることに価値がある。とどのつまり、他人──他の人間がいると居心地が悪い。以上の理由で、まずい、かもしれない。

 とはいえ、悲観するには早いだろう。独り言も聞かれていたなら変人奇人と思われたかもしれないが、それでここから離れてくれるならむしろ好都合だ。まあ何はともあれ、とりあえず「いつも通り」に。ならばとりあえずやるべきは、この先輩の何やらただならぬ調子に対して、適切な応対をすることだ。

「どうか、しましたか」

 だから、そう何気なく声をかけて。

「……う」

「う?」

 ゆらりとその顔が持ち上げられるまでは、何も気づいていなくて。 

「……ゆう……っ! ゆうっ、ゆう……!」

 ──それが、"お姉ちゃん"からの初めての言葉だった。

 その黒黒とした瞳、雫に潤む視界の奥。"ゆう"。まさに狂ったように、わたしに向けてそう振り絞っていた。

 泣きじゃくっていた。それなのに涙も拭っていなかった。こぼすばかりで溢れるばかりで、泣くのが下手だった。それくらいはわたしにもわかった。泣いたことがないようなわたしでも、祖父が死んだ時に色んな人が泣いていたのを見ていたから。

 それのどれとも違ったから、不思議だった。まともに見えなかった。人間に見えなかった。でも、初めてのことだった。誰かに、心躍らされるのは。

 だって明らかに、わたしの前だから泣いている。

 呻くような泣き声があたりを染め上げなくて、響かない。掬い上げなければ消えてしまう叫びに、ささやかな魂を込めている。あなたがまともな人間なら、そろそろ平常心を取り戻す頃だ。自分は一体何を、あなたは誰、と、並一通りのコミュニケーションに軌道修正を図る頃だろう、そう思う。

 決してそうはしないから。救いを求めることすらできないから。ずっとずっともがくばかりだから、わたしはこう思ったのだ。

「ねえ──」

 蜘蛛に捕えられた蝶のように、汚く飛び散った猫のように、生殺与奪を握られた蚊のように、残飯に群がる蟻のように。

「──なんて、呼べばいい?」

 救い難い存在だと、そう決めた。

 なら、それでいいじゃないか。どうにもやっぱり、人間には興味が向かないけれど──。

「"お姉ちゃん"、って。"お姉ちゃん"って、呼んでよ……!」

 ──このいきものは、今までで一番の愉しみだ。

 それが出会い。それが変化。多分ずっとこれからも、誰にも言わないわたしだけの玩具。

 わたしから手を差し伸べるのだから、やはりあれは人ではない。

 わたしについて。クラスに友達はいない。横で為される会話は聞こえるけど素通り。あの集まりは吹奏楽部だろう、その曲目は次のコンクールの課題曲だろう、そういうことはわかったりするけれど、

 こちらからは踏み込まない。何も求めない。自分が持っていないものは、自分で求めないと手に入らない。転じて、求めたくないのなら求めなくていい。普通の人間には、そういう判断ができる。

 あなたにはそれができないから、今日もあそこへ向かうのだ。救われないいきものを救うことには、すべてを捧げる価値がある。

 わたしについて。あなたについての所感。

 心躍る、愉しい時間の始まりだ。

 いつもの扉、いつもの道。かつてのルーティンと大体同じ。放課後も、庭園も、特別なひとりきりはそのままに。違うのは色彩の数だ。蟻はどこまで行っても蟻で、頭から爪先まで黒一色でしかない。餌をいくらあげたって、ありきたりな反応しかない。

 でも、でも、でも。

「──"ゆう"」

 あの日手にした、あの日わたしが取った指先は──。

「今日も来たよ、"お姉ちゃん"」

 ──一寸触れただけで、七色を見せてくれたのだ。

 飽きるまでは、遊ばれてあげよう。

 ねえ、"お姉ちゃん"。

 どんな人かは知らないし、性格やら人柄なんてどうでもいい。

 あなたといういきものに求めるのは、ただ一つ。

 あなたはどこまで、救いようがないのですか?

 ※

 寂れた小屋に二人。みすぼらしいベンチの真ん中に二人。一人乗ると軋んで、もう一人腰掛けるとまた軋む。私が左で、お姉ちゃんが右。なんとなくそう決まった。割としっくりくる。いつもお姉ちゃんが先に来て、右端に座って「おいでおいで」としているからなのだが。わたしが来るなり顔を上げて、ちょっと嬉しそうに誘っているのに、わざわざ厳しく断る道理はそんなにない。まったくない。いくらなんでも無邪気な笑みを虐める趣味はない。というわけで、そういう定位置。わたしとあなたの、それぞれの居場所だ。この関係はしばらく続くのだろうから、色々なことはそうやって少しづつ決めていけばいいだろう。

「おつかれさま、お姉ちゃん。授業はどう? 高校は難しい?」

「そうだねえ、難しいな。そりゃあ"ゆう"よりは難しいことを習ってるはずなんだけど、普通はそのぶん私も賢くなってるはずなんだよ」

 そうして「いつも通り」、滑らかに密やかに、穏やかな会話が始まった。いつも通り、わたしの明るい(生まれてこのかたこんなテンションで喋ったことはなかった)問いかけと、「お姉ちゃん」の慣れ親しんだような歳上らしい語り口。しとやかな姿勢で座るかわいらしいお姉ちゃんと、慣れない身振り手振りで明るく接するわたし。こういう感じで接し合う「もの」だということも、尽くして得られる変化の一つだ。

 ちなみに"ゆう"、というのは言うまでもなく、「わたし」の呼び名だ。誰の名前か、どういう意味かは知らない。お姉ちゃんがわたしを"ゆう"と呼ぶ、以上でござい。まさしくフー・アー・ユウである。

 そんな駄洒落に消化するくらいには、わたしにとっての"ゆう"の正体は割とどうでもいいことだ。重要なことがあるとすれば、お姉ちゃんにとっての"ゆう"が大切な存在であるという状況判断だろう。つまり、"ゆう"の印象は損ねてはいけない。努めて清く正しく、求められる誰かになる。というわけでまあ、つつがなく──。

「わたしは成績はいいけど、多分お姉ちゃんの方が色んなことを知ってるよ。長生きってのはそういうもの。自信持って」

「……そう」

 ──あ、まずい。

「……そんなことよりお姉ちゃん、もっと近くで座ろうよ。こっちからくっついちゃおうか」

「何言ってるの、ゆうったら。本当に、甘えん坊なんだから」

 ……よし、セーフ。甘えん坊なんだから、に混ざる困ったような笑い声が、地雷回避の成功を告げるリアクションだ。なにかこうこちらが投げ損ねると露骨に萎れ、フォローするとこれまた露骨に跳ね上がる。

 "お姉ちゃん"はアンバランス。すらすらと喋り笑うのに、時折止まる。壊れる。平たく言えばぎこちない。だから、わたしだけが直してやれる。玩具の修理も、趣味を彩るものだろう。

 ついでにちゃんと少し近寄ってみると、あちらからも細っこい腰を寄せてきた。わたしと違って腰だけ細く、ちゃんと薄い肉がしっかりくびれを作っている。あと他の話をすると髪も真っ直ぐ艶やかで目も大きくて二重でまつ毛も長くてキラキラしている気さえして羨ましい……はいいや、甘えん坊なのはどっちなんだか。こういう愛嬌を、わたしこそ身につけねばなるまいな。

 さっきの「そう」は、かなり落ち込みながらの「そう」だった。それくらいはわかる。かなり余裕で。別にわたしが人間観察に秀でているとかそういうことではなく、この人は上辺を取り繕うのが上手だからだ。つまり逆説的に言うと、隠せない時が露骨に浮き出るからだ。

 今のは、何かの地雷を踏んだパターン。基準は不明だが、上手い発言ができていなかった時。しかもお姉ちゃんときたら、その時決して怒りはしないので始末が悪い。一人で持ち帰って、多分一人で苦しんでしまう。それは困る。それは嫌だ。うまくバランスを取って、気持ちよく帰ってもらわなくちゃならない。

 まあ望まれるなら、ずっと帰らなくてもいいけどさ。捧げられるタイミングがあるなら、きちんと縋らせてあげたいから。

「じゃあとりあえず今日も聞かせてよ、お姉ちゃんの話」

「はいはい。ゆうの頼みとあらば」

 長い黒髪に覆われた耳でわたしの声を受け止めて、黒ずんだ瞳がこちらを向く。相変わらず、小慣れた笑顔だ。ふふん、と得意げで、喜びを隠そうともしない。もっと他のものは、隠していることさえ気取られないようにしているのに。

 ともかく、これがわたしたちの新しい日常。特別な趣味。救い難いいきもの・・・・に、わたしが命を吹き込んでいること。壊れた人間の世話は初めてだけれど、これ以上ないくらい救い難い。ならばとりあえずは取り止めのない話で、あなたの幸せな時間を紡いでみようじゃないか。それだけでも、心躍る。

「今日もまあ、宮川さんと曽根さんと一緒にいたんだけどね」

「お姉ちゃんは友達がいて羨ましいねえ」

「ゆうも頑張ればできるよ、自信持って」

 はは。別に要らない。

 なんてもちろん顔には出さず、ちゃんと会話を続ける。嘘を吐くのが得意なわけではないが、何を考えているかわからないようにするのは得意なのだ。ここはお姉ちゃんとは真逆かもしれない。お姉ちゃんと呼んでと求められたから慣れない芝居に勤しんでいるとして、この人はわたしの下手くそな芝居を責めたりしない。心の底から「ゆう」なるものだと信じ切っている。

 もちろん精進はしていくつもりだが、ずいぶんと優しい「お姉ちゃん」らしい。「ゆう」のすることなら、何でも許せる、と。許容はすなわち期待。誰かの期待を背負うなら、それはいつも通りのわたしなのだ。

「それでお姉ちゃん、今日はどんな話したの」

「別に大した話はしてないよ」

「それでも聞きたいの、今はそういう時間でしょ」

「……むう。面白くないと思うけどな」

「そんなことないよ、楽しみ」

「なら、仕方ない」

 これは本音。面白い面白くないの話をすれば、あなたが存在するだけでわたしは愉しいから、あとはどうであろうと構わない。笑っているのも喜んでいるのも身体を寄せるのも得意げに声を上擦らせるのも、あの日みたいに掻きむしるように泣き喚くのも。手の届くところにあるうちは、ずっとずっと愛でさせてもらおう。

「そうだなあ。今朝学校に着いたら、曽根さんと宮川さんがじゃんけんしてて」

 ちなみにお姉ちゃんの友達は、主にこの「曽根さん」と「宮川さん」らしい。今まで聞いたところによると、ポニーテールの百七十センチメートルが曽根さん。ウェーブがけたセミロングの百八十一センチメートルが宮川さん、らしい。……でかい。

 お姉ちゃんの身長は百六十センチないくらい(百四十センチ台のわたしよりは大きい)だと思われるが、その三人が並んで歩くのか、というのはある種見てみたい光景ではある。とんでもない凹だ。

 まあ、見ることはないだろうけど。

「じゃんけん? また二人とも、変なことしてるね」

 どんなにこの人のことを知っても。

 どんなにこの人の日常を識っても。

「そうそう、それで聞いたらさあ、割り勘の一円の余りで揉めてるって」

「あはは、平和だね。それを見たお姉ちゃんは、一体どうしたのでしょうか」

 わたしにとっては、「お姉ちゃん」。ここで逢う、いきもの。それだけで、十二分に心躍るのだ。

 ……と、そろそろ会話に集中しなきゃ。少なくない経験上お姉ちゃんが割り込んでくる展開は、たいてい波乱を孕んでいる、という。

「その一円をかけて、じゃんけんすることになりました……」

「おかしくない?」

 なんでまったく関係ないやつが、くだらない小銭のやり取りに挟まってるんだろう。流石に突っ込みが口を突く。しまったと思う。まともに人と話したことがないわたしは、どうやら失言が多めらしい。声にするのは苦手だ。しかし"ゆう"については、どうやら軽率な発言が喜ばれる。ならばこれでいいのだろうか。難しい。

「いや、わかる。ゆうの言いたいことは、わかる。でもねこう、二人とも押しが強いんだよ」

「はあ。ちなみに宮川さんの台詞は」

「私たちの争いに、引導を渡してくださいませんか? 曽根さんったら、じゃんけん十本先取なんて言い出して、みっともなくって」

 そんなこんなでこほんと咳払いののち、なんか若干、柔らかそうな声真似。多分だけど知らないけど、宮川さんには似てない。楽しそうだから許すが。ちなみにお姉ちゃんの名前は知らない。会話の中で断片的なあだ名は出てくる。

「はい。じゃあ、曽根さんの台詞は」

「ちょっとみやっちー、それは話が違うじゃん。五回目くらいで二十本先取に切り替えたの、みやっちじゃん。つーわけでたきちゃん、あとは任せた」

 こんなふうに。"たきちゃん"は馴れ馴れし過ぎてわたしにはとても呼べやしないし、お姉ちゃんがいいのでお姉ちゃん。曽根さんとやらの物真似は、低めに声音を取っている気がする。しかし変な口調だな、どいつもこいつも。おかげでその口調だけで物真似の体をなしていて、やっぱりきっと似てないが、なんとも楽しそうに喋っている。お姉ちゃんが楽しいならいいことだ。

 で、それはともかく。

「で、お姉ちゃんはどうしたの」

「『私が勝ったら、私が一円貰う』、って言った」

 ええい、どうしてこうなるんだこの人は。「言った」、と他人事みたいに呟いたが、それはお前の奇行だろ。

「いや、だってさあ、ゆう、仕方ないじゃない、喧嘩両成敗って言うでしょ」

「……わたし、お姉ちゃんにまだ突っ込んでないんだけど」

「ああごめん、そういう顔をしてたから」

 ……呆れ顔が出てしまっていたか。先述の通り、わたしといえば何を考えているかわからないことには定評があるのだが。家族によればそうだし、数えきれない親族にも評判だ。

 けれどやはりそこは、"お姉ちゃん"だから、特別、なのだろうか。それとも、わたしが"ゆう"として振る舞っているから、特別、なのだろうか。わたしの脚がぶらぶらと揺れ始めたのは、多分そんな思考の発露。

 人格とは奇妙なものだ。皮を被って、覆い隠す。けれど付ける仮面を選ぶのは、間違いなく本人の意志。見せかけに見えて本質を捉えるものかもしれない……と、まさしく別人のように明るく振る舞ってみるようになって、時たま思うことだ。

「まあでも、そうだね。お姉ちゃんにはわたしのことは見抜かれちゃうな」

 これも本音。見せかけの裏の、見せかけを作るわたしまで。黒く輝く瞳は、吸い込んで捕まえるようにわたしを呑み込む。

「ふふっ。もちろん、私はゆうのお姉ちゃんだからね」

 お姉ちゃんだから、わかる。なら"ゆう"は、"お姉ちゃん"の何がわかっているのだろうか。考えなくもないことだ。わたしにできる限界と、あなたの求める理想の話は。

 でも、それだけ。

「ともかくそうだよ、それっておかしいじゃん、お姉ちゃんが一円取るって」

「ええ、そうかなあ」

 興味はない。どうでもいい。お姉ちゃんのためになることだけが大切で、このいきものが"お姉ちゃん"の仮面を被る経緯なんかは必要がない。夢の内容は知らないけれど、夢を見ている人は起こさない。それが、わたしの愉しみだ。どこまでも深く目覚めないとしても、どうでもいいことだろう。

「まあ、でも」

 だから、わたしは。

「お姉ちゃんがわたしのお姉ちゃんらしいなら、わたしは嬉しいよ」

 嬉しいと思ってほしいことを、嬉しがる。あなたが求めたいことを、求める。自分からは求められないことを、掬い上げる。そういう関係。どうしようもない関係。だから特別。

 夕日がわたしの後ろにあった。わたしを抱きしめるあなたの目には、多分その光が突き刺さっていた。

「……ねえ、ゆう」

「なあに、お姉ちゃん」

「私、今日は頑張ったかな」

「多分。聞いた限りでは、今日も頑張ってる」

 毎日の会話の終わりは、だいたいこんな感じ。あなたが確かめて、わたしが救いを捧げる。今日の頑張りの内訳は、三人がかりのじゃんけんに二十回勝利したお姉ちゃんの押しへの弱さとある種の強さと、フィフティ:フィフティってところかな。くだらないことにムキになるのも、つまらなくないならいいじゃないかと、そこは素直にそう思う。

「よかった。ゆうの他に言える人がいなくてさ」

「いいよ。わたしはお姉ちゃんのこと、好きだもの」

 うん、本心。ちゃんと愛でて、求めているとも。もちろん足りないこと、至らないこと、提供できていないサービスはたくさんある。が、まあおいおいだ、色々と。

 まだまだ始まったばかりで、遊び尽くすにはきっとたっぷり必要な玩具なのだ。それに遊び尽くすの定義は、多分お姉ちゃんに握られている。救いを必要としなくなる時が、わたしが遊び尽くした時。お姉ちゃんが救われないままなら、ずっとこのまま。

「……今日も、いい時間だった」

 ああ、本当に好いとも。

「そうだね、お姉ちゃん。いい時間、だった」

 そう互いに思っているから、きっとこれからも続くのだ。

「何か特別なことをしてるわけじゃないけど、『ゆう』といるだけで楽しいよ」

 並一通りで、埋没する。普段のわたしとあなたは、そんな二人に違いないとしても。

 それでも、この時間は。

「うん。わたしも」

 あなたにとって特別な、この時間は──。

「わたしも愉しいよ、お姉ちゃん」

 わたしにとっても、特別だ。

 こんなにも、救いようがないのだから。

「ただいま、お母さん、お父さん、おばあちゃん」

「おかえりなさい、透子さん」

「おかえり、透子」

「おかえり、透子ちゃん」

「はい。今日もみなさん、おつかれさまでした」

 帰宅してみれば、母の立つキッチンからはなにやら香ばしい匂いがしていた。この焼ける匂いはハンバーグだろうか、などと見当をつける。この頃は少し帰るのが遅くなったので、帰ってくるなり腹の虫を刺激されることが多い。これもどちらかと言えば、健康的で喜ばしい変化だと思われる。流石、お姉ちゃん。

 とはいえ、まだ晩ご飯には早い時間。家族に縛られるまでには、もう少しの自由時間がある。ご飯を食べてお風呂に入って床に着く前に、宿題くらいは済ませておかねば。あ、着替えも。

「では、ご飯ができたら呼んでください」

 ちゃんと告げて、二階に登っていった。学校が終わって、そのあとに特別な時間がある。けれど特別な時間が終われば、代わり映えのない我が家が待っている。こと、こと。階段を鳴らす柔らかいアキレス腱の動きは、なんの躍動も示さない。ただ望まれたように、振る舞うだけだ。

 かちゃりとドアノブを開き、

「何を、聴こうかな」

 つい独り言が漏れた。自室に入って、勉強用のイヤホンを取る。着替えるよりなにより、まず先に。何かのご褒美に買ってもらった、十万円ほどのお高いイヤホンだ。もちろん高級なぶん睡眠時のものとは音質が違って、特に重低音が立体的に響くのが心地よく……と、それはいいのだ。いやどうでもいいわけじゃないが、つまるところこのイヤホンは勉強用だから、とっとと課題を済ませてしまおう、ということだ。

 ちなみに勉強しながら音楽を聴くと集中できないという人は少なくないが、言わせてもらうならあれは少し誤っている。正しくは「人の言葉」を聞きながらでは別の情報を感じて集中できないのであって、音と音色で声を捉えればいい。声が発する歌詞の内容など、声音の変化以上に価値はない。少なくとも音楽においてはそのはずだと、そんな持論がある。聴覚が埋まるのが心地いいのだ、人間というものは。

(数学の課題が一つ、英語の課題が一つ。今度の小テストも踏まえると、倫理政経も少し触っておくか)

 たとえば音楽。たとえば声音。音に乗るのは心地よい要素であるといい。静かであっても少しの物音。独り言。頭の中でも鳴るけれど、耳から入れるのが一番いい。

(気分はエレクトロニックだな。でも一昨日もこれな気がする。同じジャンルばっかり摂取するのは視野が狭まって良くないし、あえて真逆のジャンルを選ぶ方がいい気もするな)

 まあそんなことたちを一応考えながら、しかし手短に。頭の半分で勉強、頭の半分で音楽だ。趣味と人生はこうやって絡み合っている。勉強が始まったらそっちに集中するのは当然なので、短い時間で並行処理しなければならない。

 左手でレジュメとノートを並べながら、右手でスマートフォンのプレイリストを検索……うん、うん。とん、とん、とん、とん。脚で、最初の四拍をとって。

 よし。

 制服姿のまま、取り出したシャーペンをくるりと右手半分の指に這わせる。残った小指を使って、スマートフォン上の再生ボタンを押す。ボリュームメモリは七割くらい。少々煩い方が、没頭できる。ここらの時間の余裕は少し前よりタイトになったぶん、やりがいがあるというものだ。もう一つ、お姉ちゃんのおかげに違いない。

 では、そんなふうに別れたあとも色々愉しませてくれるお姉ちゃんに感謝しながら。今日のジャンルは、コンテンポラリー・クリスチャン・ミュージック。シャッフル再生の一曲目とともに、一問目に取り組みます。

 一人の時間は、相変わらず心地いい。愉しい二人の時間が新しくできたとしても。

 宿題も半ば、今は七曲目だ。あと二ページだ。気分がいいので、順調に進んでいる。気分がいいのもわかりやすく、今日あったお姉ちゃんとのやりとりのおかげだ。勉強に余裕が出てくると、だんだんこうやって片手間の思考が湧いてくる。飽きてくる、ということだろう。同じことを繰り返していてはつまらないと、そんなの当たり前なのだから。

 また、頭の隅にあなたが出てくる。

 そういう意味で、お姉ちゃんは面白い。毎日毎日別の話題を持ってくるし、それでいていつだって心底嬉しそうに笑みを浮かべる。身振り手振りは控えめだけれど、その分笑みは惜しまない。笑っていない時の方が少ないかもしれない。笑うといっても大声ではないが、そこはやはり可愛げだ。

 ずいぶんと背が高いらしい友人たちにも、さぞ小動物のように可愛がられているのだろう、と思う。そのぶん"ゆう"の前では"お姉ちゃん"でありたいと、あの振る舞いはそういうことかもしれない。帰宅部だろうし歳下と縁がないと考えると、わたしは可愛がるのに最適かもしれないのだ。

 けれど可愛がられる側からするとお姉ちゃんの中にはまたたくさんの穴が見えがちなので、"ゆう"としてはなかなか手の施し甲斐があるというものだ。だから、二人の時間は愉しい。

 多分理屈としては、こうやって特別になっている。わたしはいつでも一人が良くて、誰かと過ごすのは苦手だった。苦手なことか楽しいことばかりで、人生は充実していない。愉しめなきゃ、つまらない。家族の葬式ですら冷ややかだった人間は、あらゆるひとと繋がりを持てないのだろう。

 だけど、お姉ちゃんは、別だ。笑ってくれる。縋ってくれる。わたしを求める、そういう「いきもの」。

わたしのおかげで、お姉ちゃんは生きている。

「透子さん、晩ご飯ができましたよ」

 ……おっと、もうそんな時間か。ちゃんとお姉ちゃんにうつつを抜かすことなく宿題は終わらせたが、もう少しの間CCMを堪能していたかったかもしれない。まあ、仕方なし。停止ボタンをタップして、体勢だけを扉の外に向けて答える。筆記と音楽に僅かに揺れていた身体は、ぴたりと元に戻る。

「はいお母さん、着替えてから降りますね」

 ここから先は、一人でも二人でもない時間。好きなことを考えながら、片手間に生活をこなせばいい時間。どうでもいい時間。いつも通りの日常は、余裕だけでできている。

 なら今日の残りだって、お姉ちゃんのことをゆっくりじっくり考えて過ごそう。一日中、どこからどう遊ぶか考えよう。繊細で脆弱なトランプタワーだからこそ、壊さず永遠に積み重ねよう。わたしは、もっと愉しみたいから。

 心が動くなら、それは生きていると云う。

 ご飯は食べた。美味しかった。風呂は入った。落ち着いた。今はハンバーグとお湯の熱を身体の中に貯めながら、自室のベッドで寝転がっている最中だ。

 それにしても今更ながら、この家の生活は豪勢だ。母は特に料理人を目指していたりしたことはないらしいが、毎度手の込んだ料理を作ってくる。亜麻家に外から嫁ぐ人間、と考えれば、ある程度の一芸があって然るべきなのだろう。むしろ父の方が普通の人間に見えるが、あれで仕事はやはりできるらしい。

 そもそもこの大きな家を保つには、亜麻家当主が相応しい働きをして税金を納めねばなるまい。社長に仕事ができなくてどうするんだ、という話ではあるが、祖父がいなくなったあとを完璧に任せられると祖母は言っていた。そんなふうに他人を推し量れる祖母も含めて、大した家族だ。華麗なる一族だ。その中にわたしもいる。ならばわたしは何ができるのか、なんて青い悩みは、幸いあまり抱えたことがなかったのだが。

(わたしは、お姉ちゃんに何をしてやれるだろう)

 そんな悩みは、ぐつぐつと煮やしていた。

 わたしは特になんでもない。そういう自認は事実として存在する。わたしに秀でたことがあるとすれば、なんでも求められた通りにできることくらいだ。

 勉強しろと言われたら勉強するし、お淑やかにしろといわれたらお淑やかにする。自分で選んだものなど、せいぜい前髪を束ねる髪留めくらい。それも寝る前には外してしまうから、今のわたしはつま先から頭のてっぺんまで従属でできている。

 だから思う。わたしは、お姉ちゃんに何をしてやれるだろう、と。救いを求めることすらできない愚者を救うには、相手に従うだけでは足りないのだから。

 悩み、巡らせる。踏み込む。不甲斐なく、うまくいかない。そんなの普通はありえないから、愉しい。苦労が余地。試行錯誤が範疇。頭を使って心を砕いて、それほど愉しいのなら、もっとやれることはないか、そう思うのも趣味のうちだろう、ということだ。

 ここまで悩めるのだから、つくづく幸せだ。

 あなたは、お姉ちゃんは、今この瞬間は、一体どうしているのだろう。救われない時間は、どうやって生き延びているのだろう。今までは、どうして生きてこれたのだろう。

 わたしの前のお姉ちゃんは、"お姉ちゃん"しか見せてくれない。あくまで"ゆう"に構う存在であり、あちらから何かを求めることはない。いつだって話しかけてやらなければ、棒切れみたいに止まったままなのだ。安らかな笑みだけ貼り付けて。

 けれどあのいきものはきっと、わたしの前でだけお姉ちゃんになることができて、それ以外のところでは今までずっと一人で生きている。

 本当は"お姉ちゃん"でいることが、あなたにとっての救いになるのに、そんなことに気づかず、わたしに会うまで生きているふりをしてきた。泣いたことすらなかったように。自分自身ではわからない救いを見つけることについては、わたしという贖いは敏感だ。虫に動物に死骸にこればかりを探してきたから、わたしだけはあなたを見つけられている。

 望み通りの救い難いものになれるのは、わたしの前だけ。ならばわたしがお姉ちゃんにしてやれるのは、お姉ちゃんでいられる時間を伸ばすこと。今わたしがやっているのを反対にしたように、いつでも"ゆう"を想わせること。一人にしないこと。そのためにわたしの時間をドブに捨てるのは、とっても贅沢な愉しみだろう。

 どうしているかな、また会いたいな。そう思わせて深みに沈めて、理想の"お姉ちゃん"の形に仕立て上げてやる。それがあの人の望みなのは、ちゃんと理解している。

『お姉ちゃんって、呼んで』

 あの日から唯一求めてきたことなのは、理解している。

 睡眠用のイヤホンをつけ、三千を超えるライブラリからランダムシャッフルを始める。軽やかなトランペットの音が、睡魔への行進曲の始まりを告げた。脚のリズムも、弛緩して。

 うん、今日もいい気分で寝られそうだ。音は音として捉えれば、思考を邪魔することはない。むしろより確かな答えを出す助けをしてくれて、緩やかな微睡にも作用する。寝る前の議題だけ、明日会うまでの議題だけ考えて、今日も今日とて眠りに就こうか。

(なんで、あの時)

 議題なんて、もう最近はずっと同じだ。もうすぐ二週間だ。そこまで来て、今の関係が定着して。でもここで立ち止まってしまったら、やっぱりどうしてもつまらない。思考停止なんて正解と同じだ。進まないのは進めないのと同じだ。平和は実に不自由だ。

(あの時、お姉ちゃんは)

 だから、進もう。あなたといういきものを、もっと脆くてもっと綺麗に組み換えよう。

(『お姉ちゃんって、呼んで』って、"泣いた"んだろう)

 ──組み換えようと思いながら、思うから。心は相反する。移り変わる。言葉にならない興味。

 あなたが唯一求めた感情の正体。求められない弱者をわたしが救い上げる今の形ではなく、最初の最初にわたしを閉じ込めた感情の爆発。そこにこちらからこそ、わたしという繋がりは問いかけている。

 だってあなたが泣いたのは、わたしの前だけでなのだから。

 そう、"わたし"が意味を求める。

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