第一章 拒む聖剣と揃う拍
第一節 選定と結集 ― 炎の欠片を携えて
第一話 選定の鐘、光は王子を指す
鐘の音が王都の空を震わせた。
朝の光は雲を割り、王城の影を越えて、石畳の大通りと人波を金色に染め上げる。群衆のざわめきは遠く、ひとつの場所へと収束していた――中原の守り手たるグランツ王国の大聖堂である。
大聖堂は、静かな海のように広い。高く弧を描く天井から垂れる灯は、風もないのに微かに揺れ、長い長い年月がここを聖域として磨き上げてきたことを告げていた。両壁のステンドグラスには、かつての戦と和解、祈りと誓いの物語が刻まれている。赤と青の玻璃を透して差す日の光は、磨かれた白大理石の床に色の帯を落とし、参列者の衣に静かに揺れた。
奥、祭壇のさらに奥。
そこに安置されたのが、光の結晶である。人の背丈ほどの透明な柱に封ぜられたその結晶は、今は眠るように沈黙している。古より伝わる言い伝えによれば、時至れば結晶は自ずと脈動し、選ばれるべき一人へと光の道を示す。――勇者選定の儀。大陸の危機に際し、ただ一人、その名を与えられる者のための儀であった。
祭壇の手前、王国の至宝が静かに鎮座する。
聖剣〈ルミナスブレード〉。
剣身は曇りなく、しかし太陽の下でも眩い白ではなく、むしろ月のように柔らかな光を内に秘めている。刃に刻まれた古い紋は、見る者の胸の奥に冷たい緊張を灯す奇妙な静けさを持っていた。
王の席には、グランツ王と側近たち。
その右手には、南方・聖アルディナ教国から来た高位聖職者たちが列をなす。清廉な白の法衣が波のように連なり、その中央に、一人の若い神官――セリナ・アルディナが控える。淡金の髪は慎ましく結われ、青い瞳は祈りの海のように澄んでいた。
左手、鋼の音を纏って座するは東方・ノルフェン連邦の使節団。
前列に立つ長身の騎士は、重鎧の肩に大楯の影を落とし、視線は一分たりとも彷徨わない。名をダリウス・ノルフェン。連邦が民意の名の下に送り出した、盾たる男である。
西方・ヴァルド帝国の席には、黒と朱の紋章旗。
その列の中でひときわ鮮やかな赤髪を結い上げた少女が、魔力の静脈を感じる者特有の落ち着きで祭壇を見つめていた。帝国宮廷理術院の末席に列する理術師。いまは特務に就く。イリス・ヴァルド。その翡翠色の瞳は、光の結晶に潜む理を読み解こうと、微かに細められる。
そして、列の端、儀礼の衣に馴染まぬ革の装い。
カイル。
辺境の森の自由民。国の名を冠する姓を持たぬその少年は、他の誰よりも静かに、しかし誰よりも確かな足元で立っていた。狩人の眼は、祈りの空気の揺らぎすら捉える。
大聖堂の中央、司祭が三度杖を打つ。
「――静粛に。今より、神々の御名のもとに、勇者選定の儀を執り行う」
低く、よく通る声が、石壁に柔らかく反響した。唱和の祈りが始まる。王国の言葉、教国の言葉、連邦の誓い、帝国の礼式が重なりあい、やがて一つの旋律となる。大陸が今だけは、同じ願いのもとに集っている。
セリナが一歩進み出る。胸元の聖印が、祈りとともに微かに光る。
「願わくば、選定は正しく、導きは清らかに。命のために、正義のために、希望のために」
彼女の声は、雪のように静かで、炎のように強かった。
視線が、祭壇の奥――光の結晶に集まる。
沈黙。
長い一息の果て、結晶の中心で、ほのかな灯が芽吹いた。鼓動のように淡く点り、消える。もう一度、今度は先ほどより確かに。空気がわずかに震え、髪が、衣が、祈りが、目に見えぬ波に撫でられる。
その光は細い糸となって伸び、静かに、迷いもなく、会衆の中の一人へ――
若き銀髪の少年へと、吸い寄せられた。
ライエル・グランツ。
この国の第二王子である。
王族の列の端に控えていたその青年は、瞬間、自身の胸の奥で、何かが目を覚ます音を聞いた気がした。喉が乾き、掌が汗ばむ。逃げるべきではない。だが、跪くべきでもない。これは、選ばれる者が、選ぶ瞬間だ。
結晶の光が揺らぎ、確信へと変わる。
参列者の息が合わさって止まる。王は立ち上がり、司祭は杖を掲げ、セリナは祈りを深め、ダリウスは静かに顎を引き、イリス(帝国特務魔導師(理術師))は瞳に針のような光を宿し、カイルはただ、獣が風向きを読むように、世界の変わる匂いを嗅いだ。
「――選定は示された」
司祭の宣言。鐘が二度、三度。
扉から差す光は、一筋の道となって祭壇へ続く。
ライエルは歩み出る。
光の結晶は、その背を押し、聖剣〈ルミナスブレード〉は、ただ静かに待っている。
彼は祭壇の前に立ち、深く息を吸った。
これが、物語の始まりであり、終わりへと続く最初の一歩なのだと、誰もが理解していた。
――聖剣に触れるのは、次の瞬間。
大聖堂に、沈黙が降りる。
世界は、刃の縁のように細い静寂の上に立っていた。
――――
【用語補足】
- 聖剣:勇者だけが扱えるとされる王都の象徴の剣。
- 神官:祈りによる加護や結界を行う役職。
- 理術:幾何式で位相を制御する学術的な魔術体系。
- 選定の鐘:勇者選定の儀の開幕を告げる鐘。
【あとがき】
初日五話投稿
設定資料 20:00
第一話 20:00
第二話 20:08
第三話 20:16
第四話 20:24
第五話 20:32
第六話以降
第一章完結まで毎日投稿
平日: 朝7時台
土日祝: 朝9時台
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます