第2話
私は抜き身の刀を両手に持ち右肩近くに少し振り上げた状態で恐る恐る鬱蒼とした森の中へと足を踏み入れた。
腰の高さ程もある雑草を避けつつ、少し湿った感じのする土の地面の上を選び、地面から飛び出ている木の根に躓かないように注意しつつも、足元だけじゃなく前後左右と頭上にも十分注意しながら慎重に進んだ。
ピンク色の丸い果物のような実がなっている木までは10メートル程だったが、恐る恐るゆっくり慎重に近づいて行った。
お目当ての背の低い木に近付くにつれて、とても甘く良い香りがすることにすぐ気が付き、思わず私はニヤリとしてしまった。
私はすぐに手を伸ばすことはせず、そっと刀身でピンク色の丸い実に触れたが何も起こらなかったので、ゆっくりと左手を伸ばしてその実に触れた。
少しヒンヤリしていて桃と違ってツルツルの表面で、軽く指に力を入れてみたところリンゴのように割と硬い実であることが分かった。
私は右手に持ったままの刀の刀身を軽く実の茎にあてるとほとんど手応えもなく茎を切断し、丸い実だけが私の左手の平の上に乗っかった。
結構ズッシリした重さを感じつつ、綺麗なピンク色の丸い実を鼻に近づけると、ますます甘くて良い香りが鼻腔を通して脳に到達し、思わずゴクリと音を立てて生唾を飲み込んだ。
ズボンには両サイドにポケットがついていたので二つをそれぞれのポケットに入れて、左手にもう一つを持って合計3個の実を手に入れて、警戒を緩めず慎重に小屋まで引き返した。
何事もなく無事森林を抜けて小さな池のところまで戻り、ポケットに入れた実を取り出して芝生の上に置いて、一つの実を手にしてもう一度鼻に近付けて香りを楽しんでから意を決して一口かじりついた。
「ガブリ、シャクシャクシャク・・・ゴクン」
「ンッ!ンーーーッ!」
「美味いッ!凄く美味いッ!美味過ぎる!」
記憶がほとんど定かではない自分が言うのもなんだが、生まれてこのかた味わったことのない美味しい果物だった。例えようのない、形容しようのない美味しい果物だった。甘くて爽やかでみずみずしくてシャクシャクした歯ごたえが心地良くて何とも幸せな気分になる美味しさだった。
あっという間に丸ごと皮ごと食べ尽した。文字通り後には何も残らない程に食べ尽した。驚くことに芯はおろか種すらなかったからだ。
これ程美味しいのだから何個も食べたくなるかと思ったのだが、一つ食べ終えたところで満腹感と満足感が十分満たされ、そのことにも驚いた。
しかもその後何だか心と体がスッキリして妙に力がみなぎってきて、このままじっとしているのがもったいない気持ちになって居ても立っても居られず、芝生に置いていた日本刀を手にしてこれまでやったこともやり方も知らない真剣の素振りを行うことにした。
全くでたらめな素振りではあるが今ここには私しかおらず誰の目も気にすることはないので、とにかくじっとしていられない衝動を真剣の素振りにぶつけることにした。
すぐに10回を超えて、続けて50回を超え、さらに100回もあっという間に超えたが、驚いたことに全く息が上がることがなく腕の筋肉も痛くなく全然疲労していることもなく素振りし続け、私はある種のトランス状態になってハイな気分のまま無心で素振りをし続けた。
確か1万回は越えたと思うが既に回数などもうどうでもよくなっており、こうなったら自分がどこまで素振りし続けられるのか限界までやってやろうという気になってしまい、そのまま延々と素振りし続け、いつの間にか日は沈み辺りは暗くなっていた。
恐らく真夜中付近になったという辺りで突然疲労ではなく猛烈な眠気が襲ってきた。
私は前のめりになって倒れそうになる直前で、なんとか左足を前に出して片膝をついて踏ん張り、意識がなくなりそうになるのを堪えて自分と闘い、刀を鞘に納めて小屋に向かい、疲労や筋肉痛はないのだが強烈な眠気でやたらと足が重くて前に歩を進めるのがとても困難な状況で前進した。
ごく短い距離なのに途方もなく遠く感じた扉を開けて小屋に入り、朦朧とする意識の中なんとかブーツを脱ぐことに成功し、刀を杖がわりにしてベッドまで辿り着き、私はそのままベッドに倒れ込んだ。
刀は離さず両手で抱えて胸の前で抱いたままベッドに倒れ込むと完全に意識は途絶えた。
どのくらいの間深い眠りについていたのかは分からないが、今度は強烈な空腹感で強制的に目が覚め、意識が覚醒した途端全身を襲う激しい筋肉痛で思わず悲鳴を上げてしまった。
まるで痛みを感じる全神経を針で突き刺されたかのような耐えがたい痛みに加えて、この上なく酷い空腹感まで襲ってくるという生き地獄を味わいながらも生存本能が働き、すぐに池のほとりに置いたピンク色の果物を思い出し、またしても刀を杖変わりにして床に這いつくばって匍匐前進を開始した。もちろんブーツを履いている余裕などなかった。
まるでナメクジのような姿と速度で池まで這って進んで行くとお目当ての二つの丸い物体が目に映り、さらに近づくごとにあの素晴らしい甘い香りもしてきた。
口からはよだれがこぼれ、腹からはグゥグゥと大きな音が鳴り響き、あまりにも激痛の筋肉痛のため目からは涙がこぼれ落ちながらもなんとか池のほとりまで辿り着き、刀の鞘を使って愛おしいピンク色の丸い果物を手繰り寄せ、果物を手で掴むことすらせずに、頭だけを動かして大きく口を開けてガブリと果物にかぶりついた。
「ガブリ、シャクシャクシャク・・・ゴクン」
「ウグッ!グゥーーーッ!」
食道を通過して胃に到着したと思われたその瞬間、とんでもない快感と幸福感が全身を突き抜けた。まるで脊髄から背骨を通して電流が流れて痺れるかのような速度でエクスタシーが脳天を突き抜けた。
私はえびぞりになって白目をむいて、ビクンビクンと何度か痙攣した。とても人には見せられない状態だったことだろう。
その後放心して目もうつろな状態になったが、30秒程経った頃に頭が冴え渡ってシャキッとして、それまでの筋肉の激痛が虚のように消えてなくなり、私は上体を起こして食べかけの果物を手に取って残り全部をしっかりと咀嚼して味わいながら食べ尽した。
昨日は気が付かなかったが今食べたばかりの果物全てがあっという間に消化されていくのが自分でも分かり、すぐにまた身体中に力がみなぎってくるのが明らかに実感出来た。
そしてまたしても何かしないと気が済まない程にみなぎってくるヤルキを抑えることが出来ず、昨日同様に素振りをしようかと思ったところであることに気付いて思いとどまった。
身体がベタつく感じがして実に不快なのである。
思えば昨日は半日以上素振りし続けていたので、当然汗を沢山かいたことだろう。その後気絶するかのように深い眠りについたので気付かなかったが、今はベトつく身体の不快さが嫌というくらいよく分かる。
シャワーを浴びたい、出来れば風呂に入りたい、おまけに服も洗濯したい、ついでにシーツも洗いたい。
そういうわけで私は目の前の綺麗な池から流れる自然の用水路に衣服を着たまま入水した。
水路は私の身体の肩幅より少しだけ広い幅で、深さも30センチ程度なので私は水路に仰向けになって横たわった。
水は適度に冷たくてとても気持ちが良く、しばらくその心地良さを堪能してから服を脱いで全裸になってもう一度仰向けになって横たわりながら、身体中をこすって乾いた汗や皮脂汚れを洗い流した。
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