偽史 裏聖

青月 日日

偽史 裏聖

 親戚に、叔父が一人いた。

 自らを歴史研究家と称していたが、その実態は好事家の域を出ず、現代の言葉で言うならば、社会との繋がりを絶った引きこもりに近しい生活を送る男だった。親族の集まりでは、その存在は常に腫物のように扱われ、誰もが遠巻きにしていた。私は玖堂悦史という。親族は皆、「悦史」と呼んだ。しかし、どういうわけか叔父は、私のことを「悦くん」と呼んだ。私にだけは心を開いていた。周囲の大人たちが眉をひそめる彼の奇矯な言動も、幼い悦史の耳には甘美な物語のように響き、不思議と馬が合ったのだ。


 今思えば、あの頃から違和感があったのかもしれない。叔父の語る狂気じみた歴史の裏側で、見えざる何者かが悦史に囁きかけ、その心を捕らえようとしていたことに、当時は知る由もなかった。


 その叔父が、亡くなった。


 数ヶ月前から精神の平衡を欠き、閉鎖病棟に入院していたのだが、死因は急性心不全とされた。表向きは、そうなっている。だが、担当医が首を傾げながら漏らした言葉が、私の心に小さな棘のように刺さっていた。「何の予兆もなかった。彼自身の意思で心臓が動きを止めてしまったかのようだ」。まるで、生きることを、ふとやめてしまったかのように。


 叔父のささやかな遺品の中に、私宛の小さな封筒が一つだけ残されていた。古びた洋封筒のざらりとした感触が指先に伝わる。封を切ると、中から現れたのは、折り目のないの札で十万円と、一枚の便箋だった。便箋には、万年筆で書かれたのであろう、叔父特有の少し右上がりの癖字で、一行のURLと、それに続くID、そしてパスワードが記されているだけだった。


 自宅に戻り、書斎の静寂の中、ノートパソコンを開く。埃と古紙の匂いが支配する叔父の部屋を思い出しながら、私はタイプした。指定されたURLにアクセスすると、現れたのは飾り気のないブログのログイン画面だった。IDとパスワードを入力し、エンターキーを押す。画面が切り替わり、そこに現れたタイトルを見て、私は思わず苦笑した。


『偽史 裏聖』


「叔父さん、歴史研究家を名乗る者が、堂々と偽の歴史を語ってどうするんだ」


 独りごちながらも、私の指はマウスを滑らせていた。それは一般には公開されておらず、叔父が一人、自身の思考の迷宮を彷徨うために作り上げた電子の書斎だった。そこに書き連ねられていたのは、一つの存在を巡る、狂気的とも言える研究の記録だった。


「大六天」


 その名が、ブログのあらゆるページで執拗に繰り返されていた。叔父の説は、常軌を逸していた。彼によれば、大六天とは単なる神仏の名ではない。それは、日本という国が形を成す遥か以前、神話の時代よりもさらに古くからこの地に潜む、根源的な怪異そのものであるという。


 ブログの記事は、学術論文のような体裁を保ちながらも、その行間からは異様な熱気が立ち上っていた。


『……神世七代、その第六代、面足尊(おもだるのみこと)・惶根尊(かしこねのみこと)の御代、かの者は初めて明確な形を伴い現れたとされる。古史古伝の異本には、名を「第六天」と記すものあり。しかれども、それは天之御中主神(あめのみなかぬしのかみ)に連なる天津神の系譜とは明らかに異質。北方の荒ぶる神か、或いは海のかなたより来たりし異神か。その出自は闇の中である。天津神の治世において、かの者は一度、弾圧され、歴史の表舞台から姿を消した。だが、滅びたのではない。深く、永く、この国の土の底に潜伏したのだ……』


 私は背筋を伸ばし、画面を食い入るように見つめた。叔父の文章は、まるで見てきたかのような異様なリアリティを帯びていた。


 やがて仏教が伝来すると、その怪異は巧妙に復活を遂げる。仏教における第六天、すなわち欲界の頂点に君臨する魔王「他化自在天(たけじざいてん)」の名を被り、神仏習合の時代の混沌に紛れて、再びその力を取り戻したのだという。空海を名乗ったという謎多き高野聖(こうやひじり)たちこそが、その名を再びこの国に伝播させた張本人である、と叔父は断定していた。


「面足尊」「月読命(つくよみのみこと)」といった、古事記や日本書紀において名前だけが記され、その具体的な神格や物語が欠落している神々。平安の闇に超新星の如く現れた「平将門」。そして戦国の世を駆け抜け、神を自称した「織田信長」。叔父の説では、これらの歴史上の特異点、常人には理解しがたい力を持った天才や英雄たちは、皆この大六天の影響下にあったか、あるいはその化身ですらあったというのだ。


『……大六天の本質は、人の欲望そのものである。故に、これを完全に滅ぼすことは不可能だ。為政者がこれを討伐し、封じ込めたと安堵しても、人の世に欲が尽きぬ限り、かの者は何度でも、異なる名、異なる姿で蘇る。快楽、富、権力、現世利益。人の望む全てを肯定し、その成就を約束する。それは根源において「産めよ生やせよ、命を賛美せよ」という生命の衝動であり、必ずしも悪ではない。だが、その衝動は時に激しく暴走し、国一つを焼き尽くすほどの災厄と化す……』


「歴史研究家より、小説家の方がずっと向いていたんじゃないのか、叔父さん」


 私は再び呟いた。だが、その声にはもう、先程のような嘲りの響きはなかった。ページを繰るごとに、叔父の狂的なまでの論理と、膨大な資料の断片によって構築された世界に、私は知らず知らずのうちに引きずり込まれていた。信長はこれを御し、天下布武の力とした。秀吉は、そのあまりに強大な力を恐れて弾圧しようとした。そして家康は、これを認め、体系化することで安定を図ったのだと。


 叔父のブログの更新は、ある一点でぷつりと途絶えていた。彼が入院する、その直前の日付だった。最後の数記事は、その「大六天」信仰の総本山を探し求める旅の記録だった。


 始めに、彼は東京都台塔区にある第六天酒寄神社に目をつけていた。だが、神社の創建が景行天皇の御代、西暦110年であると知ると、すぐに興味を失ったようだった。「仏教伝来のはるか昔ではないか。これでは辻褄が合わない」と、彼は記している。


「神話の時代からいたって、自分で書いていたじゃないか」


 思わず画面に突っ込む。だが、叔父の思考はさらにその先へ飛躍していた。彼によれば、その怪異は、仏教伝来後に初めて「大六天」という名を与えられたのだ。それ以前は、別の名で、あるいは名もなき存在として、この地に息づいていたに違いない、と。


 そして、彼が最後に行き着いた場所。彼の探求の終着点であり、おそらくは彼の精神を砕いた場所。それが、千葉県香取市山蔵に座す、山蔵大神と、その別当寺であった歓福寺だった。ブログには、現地へ向かう直前の高揚した書き込みが残されていた。その後の記録は、ない。叔父は、そこを訪れた後、あの病室で、自ら心臓を止めたのだ。


 叔父から託された十万円が、机の上で存在を放っている。これを黙って懐に入れるのは、どうにも寝覚めが悪い。だが、それだけではない。私の心の奥底で、叔父が追い求めた狂気の世界への好奇心が、むくむくと頭をもたげていた。叔父が最後に見たものは、何だったのか。


 五月の連休、初夏の日差しがアスファルトを白く照らし出す中、私は車のハンドルを握っていた。


 東関東自動車道を成田方面へとひた走る。都市の喧騒が遠ざかり、車窓の風景は次第に緑の濃度を増していく。大栄インターチェンジで高速を降り、国道51号を佐原方面へ。やがて県道へと逸れると、対向車もまばらになった。関東ローム層が作り出した下総台地の、緩やかな起伏がどこまでも続く。樹枝状に侵食された谷津田の緑が目に鮮やかだ。道路脇に迫る雑木林では、成熟する前の若葉が、容赦のない初夏の日差しに焼かれ、その輪郭をきらきらと震わせている。その光景は生命力に満ち溢れているはずなのに、なぜか私の目には、焦げ付くような渇きと、暴力的なまでの苛烈さとして映った。


 県道114号を右に折れ、しばらく進むと、古木の一群が見えてくる、右手に「山蔵大神」と記された看板と、数台分の駐車場が現れた。地元の崇敬者以外、訪れる者も少ないのだろう。砂利が敷かれただけの簡素な駐車場に車を止め、エンジンを切ると、世界から音が消えた。代わりに、むわりと濃密な土と草いきれの匂いが、開けた窓から流れ込んでくる。


 少し遠回りをして、一の鳥居から境内へ足を踏み入れた。鳥居をくぐった瞬間、空気が変わるのが分かった。燦々と降り注いでいた日差しが、天を覆う古木の枝葉に遮られ、まだらな光の点となって地面に落ちている。気温が数度、下がったような気さえした。肌を撫でる風が、ひやりと冷たい。


 参道の右手には、かつて旅館であったという、今は営業していない洋風の建物が、蔦に絡まれながら静かに佇んでいた。その異質な光景を横目に見ながら二の鳥居をくぐると、正面に「大六天王宮」の神号額を掲げた、壮麗な拝殿が姿を現した。社務所、額殿、神楽殿、神輿殿。村の鎮守というには、あまりにも立派すぎる伽藍が、静まり返った境内に威容を誇っている。叔父がブログに記していた違和感。その意味が、私には痛いほど理解できた。


 言葉を選ばずに言えば、ここは「場違い」なのだ。

 周囲に広がるのは、穏やかな里山の風景。この場所に、これほどまでの規模の神域が存在する理由が見当たらない。古代の祭祀場であったことを示す巨石や奇岩があるわけでもなく、特殊な鉱脈が眠っているわけでもない。かつて交通の要衝であったという記録もない。なぜ、ここだったのか。なぜ、ここに「総本山」を置く必要があったのか。叔父が抱いたであろう疑問が、そのまま私の内側で反響する。


 参拝を済ませ、拝殿に背を向けた時、私の視線は境内の隅にある一本の木に吸い寄せられた。黒くごつごつとした幹肌が、まるで老人の皮膚のようにこぶだらけになった古木。その異様な姿は、周囲の木々から明らかに浮き上がっていた。枝の伸びる様が、苦悶に身をよじる人間の腕のように見える。いや、この木だけではない。この境内全体が、何か巨大な意志によって歪められ、作り変えられたような、不自然な調和を保っているのだ。それはまるで、美しい庭園の真ん中に、ぽつんと置かれた異界の石ころのような、埋めがたい違和感だった。


 その感覚が、記憶の扉を叩く。ふと、幼い日に聞いた叔父の言葉が、耳の奥で蘇った。あの時も、私は何か得体の知れないものを見て、感じたままを叔父に話したのだ。叔父は嬉しそうに目を細め、私の頭を撫でてこう言った。

「悦くん、いいところに気が付いたね。その違和感は、真実にたどり着くために君だけが持つ鍵になるんだよ」

 あの時は意味も分からず聞き流していた言葉が、今、現実の重みを持って私の心に突き刺さる。


 解けない謎は、私の探求心をさらに強く掻き立てた。些細な違和感の正体を突き止めたい。叔父を狂わせたものの欠片にでも、触れてみたい。そんな衝動に駆られながら、私は山蔵大神を後にした。


 次の目的地、歓福寺はすぐ近くだった。来た道をそのまま進む。車は長い坂道をゆっくりと下っていく。それはまるで、日常の世界から、より深く、古層の領域へと降りていく儀式のようにも感じられた。坂を下りきった場所に、歓福寺はあった。同じ香取市内にある、日本厄除三大師として名高い同名の寺とは違うが、立派な古刹だ。


 叔父のブログによれば、かつてこの社寺は隆盛を極めたという。毎年十二月七日の祭礼には、東京をはじめ関東一円から参拝客が押し寄せ、木遣りが奉納された。境内から坂の下まで、露店がびっしりと立ち並ぶ賑わいだったという。その面影は、今はもうない。道端に残る「吉乃屋旅館」という看板だけが、過ぎ去った日の喧騒をぼんやりと伝えているだけだ。


 寺の脇にある信号を曲がると、車一台がやっと停められるほどの空き地があった。そこが駐車スペースらしい。再びエンジンを止めると、先程よりもさらに深く、重い静寂が私を包み込んだ。誰もいない。「八方除け」と刻まれた石柱の立つ参道を進み、「厄除の石段」を登る。苔むした石段の一段一段に、見えざる誰かの念が染み込んでいるかのような、ねっとりとした気配がした。


 そして、本堂が目の前に現れた。

 静まり返っている、という言葉では足りない。そこは、音という概念そのものが存在しないかのような、絶対的な沈黙に支配されていた。開け放たれた戸の奥は、真昼であるにもかかわらず、光を飲み込むような漆黒の闇に沈んでいた。その闇の中で、巨大な赤い提灯だけが、まるで暗闇に浮かぶ臓物のように、生々しい色を放っている。目が暗闇に慣れてくるにつれ、提灯に書かれた文字の一部が見えてきた。墨痕も鮮やかな、二つの文字。


「天王」


 その上にも何か書かれており、おそらく「大六天王」と書かれているのだろう。赤と黒のコントラストが、私の網膜に焼き付く。


 言いようのない力に引き寄せられるように、私は本堂の前に進み出た。カビと古い木材、そして微かに線香の香りが混じり合った、澱んだ空気が鼻をつく。手を合わせ、叔父の冥福を、そしてこの旅の無事を祈ろうと、静かに目を閉じた。


 その、瞬間だった。


 左の耳の後ろを、ふわりと生温かい何かが撫でた。 それはただの風ではなかった。 湿り気を帯びた、まるで誰かの呼気のような、人肌の感触だった。


 ぞくりと総毛立つ。 そして、鼓膜を直接震わせるように、声が聞こえた。 男とも女ともつかない、粘りつくような囁き声。


「やっと会えたね、悦くん。きみをずっと待っていたよ」


 心臓が氷の手に掴まれたように凍りついた。反射的に目を見開く。


 バサッ。


 私の目の前、本堂の板張りの床に、乾いた音を立てて何かが落ちた。それは、一冊の古びた大学ノートだった。茶色く変色し、角が擦り切れた表紙。そこに、見間違えようのない、叔父の右上がりの癖字で、こう記されていた。


『偽史 裏聖』


 世界から色が消え、音が遠のいていく。私の視界には、その四文字だけが、禍々しい存在感を放って浮かび上がっていた。震える指が、ゆっくりとノートに伸びる。乾いた紙の感触。しかし、その奥に、まるで生き物のような微かな熱が宿っているのを、私は確かに感じ取っていた。


 車に戻り、ハンドルを握りしめたまま、私はしばらく動けなかった。心臓が肋骨の内側で暴れている。あの声、あの肌触り。幻聴や気のせいでは断じてない。だが、恐怖と同時に、私の内側では別の感情が燃え上がっていた。歓喜だ。抗いがたい、冒涜的なまでの歓喜。ついに見つけた。叔父を蝕んだものの正体に、触れることができる。


 震える手で、ノートの表紙を開いた。

 最初の数ページは、叔父のブログで読んだものとよく似ていた。几帳面な文字で、学術書からの引用や、異本の比較、削除されたと思しき箇所の考察などが、整然と並べられている。インクの掠れ具合から、叔父が万年筆で丹念に書き記したことが窺えた。紙からは、古びたインクと、そしてなぜか、熟れすぎた果実のような甘く腐った匂いが、微かに立ち上っていた。


 だが、ページをめくり進めるにつれて、その筆致は明らかに変化していった。整然としていた文字は次第にのたうち回り、漢字は減り、ひらがなが多くを占めるようになる。文章の辻褄は合わなくなり、同じ言葉の執拗な反復や、意味をなさない絶叫のような記述が、紙面を黒々と埋め尽くしていた。それは、正気から狂気へと堕ちていく人間の精神が、克明に記録された断崖だった。


 そして、私は気づいてしまった。その狂的な文章の隙間に、まるで紙魚(しみ)のように、別の筆跡が紛れ込んでいることに。叔父の文字ではない。もっと細く、か弱く、しかし神経質に尖った、別の誰かの文字が、囁きかけるように挿入されているのだ。


『……悦くんも、知りたいのだろう?……この国の本当の姿を……』


『……さあ、こちらへ。もっと深く……』


 それは、私に、読者である私に、直接語りかけてきていた。

 背筋を冷たい汗が伝う。しかし、私はページをめくる手を止めることができなかった。そして、ついに最後のページにたどり着く。そこには、インクが滲み、途中で力が尽きたかのような、未完の一文だけが記されていた。


「……瞬間よ、とまれ、。……あなたは、──」


 その言葉が、何を意味するのか。私にはまだ、知る由もなかった。

 だが、その掠れた文字をじっと見つめていると、あの声が、今度は私の頭の中に直接、ゆっくりと響いたのだ。恐怖と、畏怖と、そして抗うことのできない甘美な誘惑が、私の全身を包み込んだ。


『叔父はただの案内人。私が本当に欲しかったのは、幼いあの日からずっと、きみだけだよ、悦くん』


 ああ、そうか。雷に打たれたように、悦史は全てを理解した。この甘美な声は、叔父も聞いたのだ。そして、この呪われたノートを血で汚してきた無数の者たちもまた、同じ声に導かれ、同じ囁きに狂い、同じ末路を辿ったのだ。彼らは皆、次の奏者を舞台に上げるためだけに、消費され、壊れていった哀れな案内人に過ぎなかった。

 この『偽史 裏聖』とは、狂気に憑かれ、大六天の声を聞いた者たちが、血を吐きながら次の生贄へとバトンを渡すための、呪いの系譜そのものなのだ。


 そして今、そのバトンは悦史の手に渡された。この声を受け入れてしまえば、叔父と同じ狂気の果てに、自ら心臓を止める日が来るのだろう。その逃れようのない破滅の運命を、悦史ははっきりと理解していた。


 だが、彼は歓喜していた。

 仕組まれた宿命を、絶望的なまでの恐怖と共に、心の底から悦んで受け入れていた。

 彼は、新たな語り継ぐ者となる。この物語の、次の頁を、自らの血で綴るために。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

偽史 裏聖 青月 日日 @aotuki_hibi

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ